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年記部分拡大(左側:大徳二年四月日、右側:「中書省」か?)
 吉池孝一「管軍千戸所印(パスパ字漢語)一顆」(『KOTONOHA』第18号、2004)はこの印の 背面に年記があることを指摘し、腐食によってかなり見づらい状況にあるものの、 その文字を「大徳[不明]年四月」と読み、「年数部分は不明瞭。「二」もしくは「三」の ようにも読み取れる」とした。すなわち、「大徳二年四月」ないし「大徳三年四月」と読んだ 訳である。今回さらに詳しく調べた結果、新たにいくつかの点が確認できた。
  (1)年記部分は「大徳二年四月日」と見えること。
  (2)年記部分の右隣(鈕の左)に正確には読み取れないが最低三文字が刻まれていること。
  (3)その三文字が「中書省」である可能性があること。

 まず、(1)について。肉眼で背面を直視した場合には、当該箇所の数字は判然としない。横の 線が2本はっきりと確認できるが、その上下にも何らかの線があり、「二」か「三」かの判断 は容易ではない。しかしパソコン上で画像を拡大し、さらに多少のデジタル処理を施して眺める と、「二」の上部に見えた線は「徳」の右下の「心」の部分であり、「二」の下部に見えた線は 「年」の第2画の線であることが確認できる。「徳」の「心」の部分は第2画の線が比較的短く、 この時代の貨幣「大徳通宝」の「徳」の字形によく似ている。

 さらに、年記の末尾に「日」の字が確認された。「月」字の下にたっぷり1字分の余白があり、 最下部に「日」字が見える。このように「月」と「日」の間に数字を入れずに余白を設ける方法 は他の官印の背記にもよく見られるものであり、また碑文の年記にも確認される形式である。
 結局、本印は大徳二年(1298年)四月のものと断定してよい。私印では通常このような背記が ないため、正確な製造年を知ることができないが、官印の場合それを特定することができ、文 字研究の面からは大いなる恩恵となりうる。

 次に(2)および(3)について。厳密に言えば、この部分には確実に同定しうる文字は存在しない。 官印全般の体例に照らして、この部分にはこの印を製造した役所名が記されているはずであり、 そのような予見に基づけば、「中書省」のように読めなくもないということにすぎない。
 他のパスパ文字官印ではこの部分に「中書礼部造」「行中書省造」などとあり、本印でもその ような記載が期待される。画像では鈕のすぐ左側の中央に数本の横線(これを今仮にBとする) が確認でき、さらに下部に「省」ないし「造」と見なしうるような影(これをCとする)が見 える。Bはその横線の数から推して「書」「車」「庫」などのような文字と思われるが、Cを 「造」と想定した場合、文字Bが役所名の末尾ということになり、「書」「車」「庫」などでは 多少の不自然さを免れない。もしCを「省」と見なせば、Bは「書」である可能性が高く、 はっきりとは見えないがその上の部分(A)に「中」を想定できる。その場合、他の印に見ら れる「造」の文字が本印では欠けていることになるが、単に確認できないだけで実際にはいずれ かの箇所(例えば次の行の中央)に記されている可能性も考えられる。
また、他の印の例から すれば、「中書省」という大官庁名のみというのは不自然であり、具体的に「中書礼部」または 地方官庁たる「行中書省」とあることが多いから、本印の場合にも最上部に「行」が刻まれて いた可能性があるが、残念ながら全く確認できない。いずれにせよ、この部分はすこぶる不明瞭 であり、「中書省」も一つの可能性としてのみ提出しておく。

 なお、他の官印では鈕の右側に印面のパスパ文字と同内容の漢字が刻まれているから、本印 でも「管軍千戸所印」という文字があるはずであるが、腐食が激しくほとんど確認できない。

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この解説は中村雅之「元代官印「管軍千戸所印」の背記について」(『KOTONOHA』19号、2004) より抜粋した。