パスパ文字('Phags-pa script)を知る | |||||||||
(1)パスパ文字の実例(貨幣銘文) (2)いつ誰が作ったのか? (3)パスパ文字の背景 (4)基本資料『元史』の釈老伝 (5)なぜパスパ文字を作ったのか? (6)日本のパスパ文字資料 (7)パスパ文字という名称 (8)パスパ文字以前の文字 (9)パスパ文字で何語を書いたか? (10)パスパ文字モンゴル語とパスパ文字漢語の碑文 (11)パスパ文字の用途 (12)パスパ文字の使用地域 (13)パスパ文字の文字表 (14)綴り方の特徴 (15)書写の方向 (16)パスパ文字を読む (17)基本参考文献 (18)チベットのパスパ文字 |
中統元年(1260)、チンギス=ハンの孫にあたるフビライ(在位1260-1294)が第五代の 大ハンに即位しました。そのときにチベット仏教の僧侶であるパスパに国師の称号を与え、 蒙古の新しい文字の作成を命じたと、中国の歴史書にあります。 文字が出来上がった正確な時期はわからないのですが、ともかく文字ができ、 至元六年(1269)に全帝国に頒布するよう詔がだされました。フビライが国号を元に 改めたのが1271年ですから、その二年前にパスパ文字が頒布されたことになります。 中統元年 (1260):フビライ即位 至元六年 (1269):パスパ文字を国字として公布 至元八年 (1271):国号を大元とする 至元十一年 (1274):第一回日本遠征(文永の役) 至元十六年 (1279):南宋を滅ぼし中国を統一 至元十八年 (1281):第二回日本遠征(弘安の役) 至正二十八年(1368):元朝滅亡 |
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