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『KOTONOHA百号記念論集』序文




序文


 2002年11月に産声を上げた『KOTONOHA』も、ついに100号の区切りを迎えた。 この8年余りの間、毎月コツコツと続けてきた結果である。8年の歳月は決して短くはない。 創刊当時愛知県立大学の学部生だった野原将揮、寺澤知美、山本恭子の三氏は、 それぞれ早稲田大学、名古屋大学、金沢大学の各大学院で研鑽を積み、新進の研究者として 今回の百号記念論集に原稿を寄せてくれた。確かに8年余の時間が経過したのだと実感する。

 2002年10月に「KOTONOHA」という誌名が決まった経緯については、「『KOTONOHA』発刊5周年に寄せて」と 題して本誌60号(2007年11月)に記したことがある。ほんの偶然から決まったとも言えるこの誌名が、 今では執筆者にも読者にも違和感なく馴染んだものになってきたのは、やはり8年間休まずに刊行し続けたからだろう。

 一種のアマチュアリズムを保持したまま100号を迎えることができる『KOTONOHA』は幸せな雑誌である。 テーマの大小を問わず、真面目な論文や資料紹介から、気の張らないエッセーや学部生の初めての文章など、 雑多な内容のものを全て同じ土俵に上げて提供する、これが『KOTONOHA』のやり方である。そのような同人誌的な 雑誌は通常あまり長続きしない。それが100号まで続いたのは、なにより発起人である吉池孝一氏の情熱の賜物であり、 さらには本誌のスタイルと内容を気に入って、温かい励ましの言葉をかけて下さった多くの方々のおかげでもある。

 学問の世界において、長年の定説を覆すような新説を発表したり、それまで知られていなかった貴重な資料を 発掘公表することは確かに大きな栄誉に違いない。しかし、あまり注目を浴びることのないような小さなテーマなり、 ささやかな発見であっても、それを論じる仲間がいて、発表する場があれば、その研究には大きな充実感が得られる。 『KOTONOHA』が常にそのような小さなテーマを歓迎する雑誌であり続けてきたことは、この雑誌に関わってきた者 として誇りとする所である。『KOTONOHA』は研究成果を発表するだけの雑誌ではなく、むしろ学問と思索の楽しさを 伝える媒体なのだ。

 『KOTONOHA』の文章は毎月ウェブサイト「古代文字資料館」の中にアップされており、したがって読者の大多数は インターネット上でその内容を読んでいる筈である。しかし、『KOTONOHA』の“本体”は、輪転機で B5版の紙に印刷したものをホッチキスで留めただけの、発行部数30部のちっぽけな冊子である。ネットで公開している 以上、そんな紙の媒体は不要ではないかといぶかる向きもあろうが、このちっぽけな冊子こそが我々の喜びなのである。 月末が迫るたびに原稿の締め切りに追われ、時には寝不足になることもあるが、出来上がった冊子を手にした時の 感触は、まさに学問の楽しさと一体である。そのような同人誌的な側面は紙の媒体にして初めて味わうことができる。

 今回は第100号を記念して、いつもの冊子ではなく、正式な書籍として刊行することにした。こんなにも多くの 方々に原稿を寄せて頂いたのは全く予想外のことで、うれしい驚きであった。とりわけ、長田夏樹氏の最初期の文章を 載せることができたのはこの上ない光栄であり、本書の価値を高めるものと信じる。

 読者として、あるいは執筆者として『KOTONOHA』を応援して下さった全ての方に心よりの感謝を捧げたい。

                          
2011年3月31日
                              
中村 雅之