初版:『愛知県立大学外国語学部紀要言語・文学編』第28号、(B5判、P293〜P316)、1996年3月
字句修正版=HTML版:2000年5月2日,2001年1月10日,2003年10月21日
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言語学入門としてのエスペラント学習

堀 田 英 夫

Esperanta lernado kiel enkonduko en la g^enerala lingvistiko

HOTTA Hideo

 0. はじめに

 言語学の入門書にエスペラントが取り上げられることはあまりない。あったとしても、いわゆる「人工語」の一つとして紹介されているだけで、言語の一つとして研究した成果を取り上げているわけではない。アンドレ・マルティネ指導の博士論文であるジャコモ(1992)など、言語学の研究課題として取り上げられた例はあるのだが、まだ入門書に取り入れられることはないようである。本稿の目的も、専門的な研究成果を発表するものではない。教養としての言語学教育に、エスペラント学習が有用であることを示すことである。

 田中春美他(1988)『現代言語学辞典』の「artificial languages <<人工(言)語>>」の項には、「国際的な相互理解を円滑にするために人為的に作られた、誰の母語(MOTHER TONGUE)でもない中立的な言語をいう。自然言語 (NATURAL LANGUAGE) に対する」とある。最近の用語では、C言語や、FORTRAN などのコンピュータ言語に対して、フランス語や、タイ語などの人間の言語を「自然言語」という。エスペラントに「人工語」1)という呼び名を与えるのは、あたかもコンピュータ言語のような記号の集合のように認識されてしまうおそれがある。筆者は、ある大学の非常勤講師として担当した一般教育「言語学」(1、2年次対象)で、1990年度から1994年度までと、別の大学の関連科目「言語学」(3年次対象)で、1990年度において、エスペラントを学習しつつ言語学の基本概念を解説するという授業を、主として前期に行った2)。実際にエスペラントを学習した学生から、「人工国際補助語と聞いて、記号のような言語かと思っていたが、学習してみると普通の外国語と同じだったので安心した」というような感想を聞いた。

 国家統一や独立の手段の一つとして整備されたいくつかの言語についても、何人かの個人の「人為」が見られる。近代ブルガリア語の確立運動におけるペータル・ベロンとナイデン・ゲーロフ(寺島1993:383)、「インドネシア語の整備と普及に貢献した...独立をめざして闘ったナショナリストたち」(押川 1991:3)、ヘブライ語を日常言語として復活させたE. ベン・イェフーダ(松田1985:560)などの例が思いつく。フランスやスペインのアカデミー、日本の文部行政もそれぞれの国語に何らかの影響を与えてきているはずである。「自然言語」といわれる言語でも、何らかの「人為」が加わっていると考えることができる。 エスペラントには、確かに他の「自然言語」といわれるドイツ語や韓国・朝鮮語とは異なる性質がある。本稿の目的は、言語学入門として、エスペラント学習が有用であることを示すことにあり、それは、他のいわゆる「自然言語」とは異なる性質を示すことになる。筆者としては、人工語という呼び方は、コンピュータ言語に譲り、エスペラントも自然言語に含めたい3)。エスペラントと区別して、他のイタリア語やベトナム語などをいうときは、田中克彦(1993:210)やエスペラント界での呼び方にならい、「民族(言)語」と呼ぶ。

 ある受講生からは、「エスペラントなんか勉強して何の役に立つのか」という問いを受けた。ある言語を学習することが、役に立つか立たないかということは、どういう基準で考えるかによって異なってくる。今、ある人が英語がすばらしくよくできて、就職に有利だとか、通訳や翻訳の仕事に就くことができるとか、また、自分の会社で製造したものを中国語で売り込めるほど中国語が達者であれば、この英語や中国語は今すぐ経済的な利益を生むわけだから役に立つだろう。こういう、就職に有利だとか、仕事に使えるという意味では、エスペラントは今すぐ役に立たない。就職試験の科目にエスペラントを課す企業や役所があるとは聞いたことがない。語学の国家試験である運輸省の通訳案内業の試験にもない。「役に立つ」という言い方で、経済的な利益のみを考えるのなら、エスペラントは役に立たない。では、エスペラント学習はまったく役に立たないのだろうか。筆者が、エスペラントを取り上げたのは、学生にとって、二つ目、あるいは、三つ目の外国語として学習にあまり負担にならない言語であるという理由の他に、以下の点で学生に役に立つと考えたからである。

  1.  エスペラントを学べば言語のしくみがよくわかる。不規則活用や民族固有の言い回しにわずらわされることなく、一つの言語のしくみを見ることができる。
  2.  語や文法を英語と比較することによって、親族関係にある言語間の類似のしかた(音韻対応法則)や、類型論の考え方の基礎がわかる。
  3.  「どんな言語でも、コミュニケーション及び思考の道具として、その言語を母語とする人にとっては同じ価値を持つ」という近代言語学の言語観をエスペラントの思想から理解できる。
  4.  エスペラントの語や形態素はヨーロッパのいくつかの言語と共通性があり、将来いずれかのヨーロッパの言語や、その影響を受けた言語を学ぶ必要がでてきた時に役に立つ。
  5.  エスペラントを習得すれば、世界各地にエスペラントの組織があり、旅行や国際的な交流に役に立つ。

 最初の三つは、人間言語一般について考えるための授業科目が目標として教授すべき三つの点の基礎となると思われる。(1) 音声、語彙、文法などの面で、一つの言語内要素間の関係を見て言語の構造を考えるという点。(2) ある言語と別の言語のいくつかの要素を比較することによって、それらの言語間の関係を見たり、人間言語に共通するしくみを考えるという点。(3) 人間精神のいとなみの基礎であると同時に、社会との関わりで人間行動や思考を規定することがある言語について、近代的、理性的なとらえ方を身につけるという点の三つである。

 言語学という科目でこれらの点の教育には、新たに外国語を学ぶのが必然というわけではない。しかし言語学は文字どおり言語の学問であるから実際の言語の具体例は提示せざるを得ない。英語しか学習していない学生や、異なる外国語を学習している学生が共通して確認できる言語としては英語と日本語がある。言語について考えるのに、母語の日本語の他に一つだけの外国語、英語を対照例として考えると、英語すなわち外国語という意識から、日本語については、英語と異なるという点だけで「世界の言語における日本語の特殊性」とか、さらには「日本人の特殊性」という誤った考えに、また、英語にのみ存在するかもしれない部分が、言語一般すべてに存在するかのような、誤りに陥るおそれがある。動物学では動物の観察が不可欠であろうし、法学で実際の法律を、医学で病人を見ないですむとは思えない。言語の学問である言語学は、言語を観察することから始まる。言語学者金田一京助のアイヌ語研究は有名である。近代ヨーロッパの言語学の始まりである印欧語比較言語学は、ラテン語、ギリシャ語にサンスクリット語を学んだことによって生まれたのである。アメリカ構造主義言語学はインディアンの言語を学ぶことがきっかけとなって築かれた。授業ではこのように説明して新たな外国語の学習の必要性を述べた。

 新たな外国語を学ぶとしても、エスペラントに限らず、他のどんな言語を取り上げても良いであろう。しかし外国語学習そのものが目的ではない授業では、文法に規則性があり、一定数の語根から多くの語彙を派生させることができるため学習にあまり負担にならない言語として、エスペラントが最適と思う。

 上に掲げた五つの有用性の内、残りの二つは、いわばおまけで、本質的な点ではない。4.は、他のヨーロッパ語の一つであってもあてはまる。5.は、他の言語だと地域が限定される点が異なるものの、他の言語でも言える外国語学習の利点の一つである4)。ここでは、上記の五つの点の内、最初の三つだけについて順に見る。授業のテキストとして、安達(1988)、Imbert(1990)、サカモト(1967)、(1991)を用いた。以下の文例や説明方法は、これらの書を含め多くの文献に負っていることを記しておく。

1. エスペラントを学べば言語のしくみがよくわかる。不規則活用や民族固有の言い回しにわずらわされることなく一つの言語のしくみを見ることができる。

 この第1の点について見るのに第2の、他言語との比較のうち共時論的対照もあわせて見ることにする。

1.1. 音声学、音韻論

 発音を学習する際に、日本語話者が見過ごして(聞き過ごして)いる音(連続)の違いを意識することができる。これはエスペラントでなくても他のどんな言語の学習でも可能と思われるが、エスペラントの場合、発音どおりに綴る、言い替えれば綴りが音素表記であるため、綴りの例外にわずらわされることなく発音と向き合える点は異なる。綴りと発音との関係が複雑な英語などで、音声記号による語学教育の試み(梅棹 1992:92)があるようである。その場合、学習者は、音表記と正書法と両方を学ばなければならない。エスペラントは、正書法だけを学べば良い。

1.1.1. 無声破擦音 c [ts], c^ [t∫]の説明で、日本語のタ行をエスペラント表記すると、 ta, ti, tu, te, to でなく、 ta, c^i, cu, te, to であることを示し、 ta, ti, tu, te, to ; c^a, c^i, c^u, c^e, c^o ; ca, ci, cu, ce, co の音連続を発音することによって、日本語タ行の子音に3種類を区別できることを示す。これらの音を含む具体例としては、tiri(引く、引っ張る), turisto(旅行者), c^erizo(さくらんぼ), c^okolado(チョコレート), franca(フランスの), cigno(白鳥), cent(百), speco(種類), dancu(踊れ)などがある。

1.1.2. 有声破擦音 g^ [dз], 有声硬口蓋歯茎摩擦音 j^ [з]の説明で、日本語のヂとジが、昔は音が異なっていたはずであるが、現代では同じ音になっていることを示す。ヅとズの昔の音は、dzu[dzu], zu[zu]と表記できることを紹介して[dz]と[z]の音の区別にも気づかせる。これらの di, zi, g^i, j^i ; du, zu, g^u, j^u など の発音し分けや、聞き分けは、日本語話者には練習が必要である。具体例には、 g^ardeno(庭), j^au~do(木曜日), fromag^o(チーズ), mang^aj^o(食べ物), edzo(夫), mezo(中央) などがある。舌と歯茎を一度接触(閉鎖)させる g^, dz と、両者の間にすきまを残しておいて発音する j^, z という説明をする。

1.1.3. 無声硬口蓋歯茎摩擦音 s^ [∫]の提示では、 日本語サ行音を sa, s^i, su, se, so と表記できることを示し、 s^i と si の区別を練習する。s^ipo(船), silko(絹)。

1.1.4. 弾き音 r と側面音 l の区別は、エスペラントでも日本語話者に難しい。r は、英語の摩擦音と違う。イタリア語やスペイン語の弾き音である。 regi(支配する) : legi(読む), birdo(鳥) : bildo(絵) などの区別すべきミニマルペアがある。授業では、ふるえ音の出し方を先に教えてから弾き音を練習した。ふるえ音は、日本語ラ行を、舌の先を口の中のどこにも接触させないよう、息を強く出しながら発音をする練習を続けるとできるようになるはずである。この「ふるえ」を一度にしたのが弾き音である。

1.1.5. 日本語、英語にもない音として、無声軟口蓋摩擦音 h^[x]がある。「寒い冬の日に凍える手に息を吹きかける要領で発音する」と教えている。ロシア語、スペイン語などにもあり、日本語話者にもそれほど難しい音ではない。この音を含む語は多くないが、無声声門摩擦音 h と区別すべきペアとして、horo(時間) : h^oro(コーラス)がある。

1.1.6. nun(今)や、kvin(五)、それに対格語尾の -n などにおいて語末にくる鼻音は、日本語の語末のンと異なるので、意識して舌先を上の歯(茎)につけて発音するよう指導しなければならない。ここで「本と雑誌」「本も雑誌も」「本か雑誌」のンの発音[n, m, η]を意識させ、相補分布する条件異音の例を示す。ただしこれは日本語の例で、本稿の目的とは異なる。

1.1.7. 母音は、a, e, i, o, u で日本語と数は同じである。エスペラントの唇を丸めて発音する円唇音の u と、日本語の唇を丸めないで発音する非円唇音のウと異なることは、強調しなければならない。日本語学や音声学の授業ではないので、イ、ウの無声化までは、説明しなかった。 sperta(熟練して、上手な) : supertago(うるう日), sketo(スケート) : sukero(砂糖), pistolo(ピストル) : psikologio(心理学) などの語の発音には、日本語母音の無声化について意識することが必要となろう。

1.1.8. アクセントは、後ろから2番目の母音を強く発音する「強さアクセント」であることを説明してから、アクセントのある母音は長めに発音されることがあることを示す。これによって自由異音の例を示すことができる。

suno [su/:no] (太陽), pano [pa/:no] (パン)
kanto [ka/nto] (歌), pando[pa/ndo] (パンダ)
patro [pa/tro / pa/:tro] (父), akvo [a/kvo / a/:kvo] (水)

安達(1988:11)

1.2. 形態論、統辞論

1.2.1. 品詞と文型

 文構造で中心的役割を果たす品詞である名詞、形容詞、動詞、それに副詞(派生副詞のみ)は、品詞によって語尾が決められている。逆に言えば語尾を見れば品詞がわかる。 名詞は、-o ; penso(考え)、形容詞は、-a ; pensa(考えの)で、 これらは、文中で、複数語尾 -j と対格語尾 -n が加わることがある。 動詞は、時制、法による語尾が決まっている。 不定法 -i ; pensi(考える、考えること), 現在形 -as ; pensas(考える、考えている), 過去形 -is ; pensis(考えた), 未来形-os ; pensos(考えるだろう), 条件法 -us ; pensus(考えるだろうに), 命令法 -u ; pensu(考えよ)。 副詞は、特定の語尾を持たない本来副詞と、他の品詞から -e の語尾で派生させるものとがある ; pense(考えて)。

 これらの品詞、時制などは、英語学習ですでに知識のある用語もある。「不定法」については英語で言う「不定詞」や「原形」であること。「対格」や「条件法」については、学習が進んで用例が出てきた時に説明する。

 他に、人称代名詞は、基本形が -i である。語形が短いのと語数が限られているので、動詞不定法とは容易に区別できる。定冠詞は、la のみ。前置詞、接続詞、数詞、それに間投詞は、語形だけでは区別つけられないが、よく使われる語の数は限られている。疑問や指示などに使われる語の含まれる相関語は、ki-, ti- などの語頭で区別できる。この、語形によって品詞がわかるということからどういう利点があるのだろうか。

 例えば、Kiel vi fartas?(ごきげんいかがですか)という挨拶に対する返答、Mi fartas bone.(元気です)という文の中で、なぜ bona(良い) でなく bone(良く) なのかという質問を何人かの学生から受けた。たぶん英語の I am fine. とエスペラント文の Mi estas felic^a.(私は幸せです)から、形容詞を使うはずと推測したのだと思う。ここで、farti が健康状態を表す一般動詞で、esti が主語と補語(述詞)を結び付ける働きをする動詞と説明し、一般動詞と繋辞動詞の違いを意識させることができる。また、名詞を修飾するのが形容詞、動詞や形容詞を修飾するのが副詞という品詞の定義も紹介できる。

 以下のような基本的な文型も、それぞれの語の意味はわからなくても、動詞語尾(-as, -is)から述語動詞が、名詞・代名詞語尾(-o,-i)から主語が、目的格語尾(-n)から目的語が、形容詞語尾(-a)から補語である語がどれであるかをすぐ理解することができる。

Neg^as. 雪が降っている。[述語動詞]
La hundo mang^as. 犬は食べている。[主語]+[述語動詞]
La knabo estas sag^a. その少年は賢い。[主語]+[繋辞動詞]+[補語]
Li mang^as panon. 彼はパンを食べる。[主語]+[述語動詞]+[目的語]
Oni kredis tion vera. 人々はそれが本当だと信じた。
[主語]+[述語動詞]+[直接目的語]+[目的格補語]
Mi legas la libron, kiun mia patro ac^etis hierau~. 私は 父が昨日買った本を読んでいる。
[主語]+[述語動詞]+[目的語], [関係代名詞対格形]+(所有形容詞)+[主語]+[述語動詞]+(副詞)

1.2.2. 指示語

 指示語の提示では、エスペラント、英語、日本語と対照させることによって、日本語の三項対立、英語の二項対立とエスペラントの一項のみの指示語の体系を示す。エスペラントでは c^i をつけ加えることによって近接指示となる。日本語の指示語が二項対立の複合であるとかの議論には踏み込むことはしなかった。

エスペラントtio
(c^i tio tio)
英語 this that
日本語 コレ ソレ アレ

 抽象的な事柄や実体のはっきりしないものを示す tio(それ/あれ) と、具体的な事物を示すtiu(それ/あれ、その/あの) との区別は、難しい。既出の名詞の代わりに用いる g^i(それ)との区別も難しい学生もいる。

1.2.3. 疑問文

 内容疑問文(疑問詞を使う疑問文)の説明では、疑問詞が文頭へ移動する英語とエスペラントに対して、移動しない日本語という対照を示す。また選択疑問文も含めて、疑問文であることを示す語(c^u, do, カ)の使われ方を、選択疑問文でのみ必要なエスペラントの c^u と、選択・内容両方の疑問文で必要な日本語のカに対して、一般動詞の文での、選択疑問文と、疑問詞が主語以外の場合の内容疑問文で必要な英語の do というようにエスペラント、日本語、英語とで比較する。

1.2.4. 再帰代名詞

 再帰代名詞 si では、以下のような例文で、主語が目的語などで再び登場する(帰ってくる)という意味の再帰代名詞を理解させることができる。再帰代名詞は3人称のみ特別の語形があり、1、2人称は、再帰以外と同じ語形である。1、2人称では、主語と同一人物を指示することになるので再帰の特別の語形は不要である。英語の -self 形や日本語の「自分」は、さらに他の意味を持っていることが推測される。

Mi rigardis min.(私は自分を見つめていた)
私 見つめた 私を
Vi rigardis vin.(あなたは自分を見つめていた)
あなた 見つめた あなたを
Li rigardis lin.(彼は彼(その男の人)を見つめていた)
彼 見つめた 彼を
Li rigardis sin.(彼は自分を見つめていた)
彼 見つめた 自分(再帰)を

Li amas lian fianc^inon.(彼は他人のフィアンセを愛している)
彼 愛する 彼の フィアンセを
Li amas sian fianc^inon.(彼は自分のフィアンセを愛している)
彼 愛する 自分の フィアンセを

1.2.5. その他

 関係代名詞は、先行詞と数の一致をさせ、従属節での格の形にする。

Antau~ la domo staras miaj amikoj, kiujn mi invitis.
〜の前に 家 立っている 私の 友人達, 関係代名詞 私 招待した。
(家の前に私が招待した友人達が立っています)

 関係代名詞 kiujn は、先行詞 amikoj に一致して複数語尾 -j と、従属節での対格語尾 -n を持っている。このため主節と従属節との二重の関係を持っていることが明示される。また、他動詞・自動詞、状態動詞・動作動詞などを派生させる接尾辞 -ig^-, -ig-や、受動の接尾辞 -it-, -at-, -ot-、能動の接尾辞 -int-, -ant-, -ont- なども日本語や英語と対照させると態(ボイス)や相(アスペクト)などについて問題にすることができて興味深い。しかし実際の授業ではこれらの点まで取り扱う時間的余裕はなかった。

 英語などの民族語の文法学習では、基本的な規則の説明は、簡単に終わり、あとはたくさんの例外の提示が大部分の時間を占めるのではないだろうか。学生は、文法の学習とは例外を覚えることと思いこんでいるふしもある。エスペラントは、民族語の文法規則を取捨選択し合理的に整理して造られたものである。この言語の文法学習では、言語そのものの規則性や、英語、日本語の基本的な規則との比較に思考を巡らせることができると思う。


1.3. 意味論、語彙論

1.3.1. エスペラントは、接頭辞、接尾辞や語根の組み合わせを徹底的に活用して、記憶すべき要素の数を少なくてすむようにしている。これが学習上有利な点であると同時に、これによって語と語との間の意味的な相関関係や対立関係を意識することになる。また、意味を持った最小単位と定義される「形態素」の概念も容易に理解できる。「意味素性」、「意義素」、「成分分析」など理解するための基礎とすることもできる。以下、語の派生の例をあげる。

tago (日、昼)
tagmezo (正午) = tag-mez(中央)-o
antau~tagmezo (午前) = antau~(〜の前)-tagmezo
posttagmezo (午後) = post(〜の後)-tagmezo
tagmang^o (昼食) = tag-mang^(食)-o
tagig^o (夜明け) = tag-ig^(〜になる)-o
taglaboristo (日雇い労働者) = tag-labor(労働)-ist(人)-o
taglibro (日記) = tag-libr(本)-o
tagnokto (一昼夜) = tag-nokt(夜)-o
tagordo (一日のスケージュール) = tag-ord(順序)-o
c^iutago (毎日) =c^iu(毎)-tago
dumtaga (昼間の) = dum(〜の間)-tag-a
naskig^tago (誕生日) = nask(産む)-ig^(自動詞化)-tago

patro (父), patrino (母), gepatroj (両親)
frato (兄または弟), fratino (姉または妹), gefratoj (兄弟姉妹)
filo (息子), filino (娘), gefiloj (子供達)
bopatro (義父), bopatrino (母)
bofilo (婿), bofilino (嫁)
bofrato (義兄/弟), bofratino (義姉/妹)
duonpatro (継父), duonpatrino (継母)


1.3.2. 数詞と月名の比較から、ヨーロッパ語の月名の成り立ちに注意を向けることができる。二つずつずれているのは、ジュリアス・シーザーの julio (七月) とアウグストゥスの au~gusto (八月) が入ったためと説明する。

sep (七) - septembro (九月)
ok (八) - oktobro (十月)
nau~ (九) - novembro (十一月)
dek (十) - decembro (十二月)

 なお、ブラジルで発行された絵エス辞典(Chaves 1991:96)で季節名を示しているところでは、下記のように南半球での季節も紹介している。エスペラントだからこそ南半球からの視点もとれるのではなかろうか。

Nordamerika
(北アメリカ)
Sudamerika
(南アメリカ)
vintro(冬) januaro(一月), februaro(二月), marto(三月) somero(夏)
printempo(春) aprilo(四月), majo(五月), junio(六月) au~tuno(秋)
somero julio, au~gusto, septembro vintro
au~tuno oktobro, novembro, decembro printempo

1.3.3. 原料となる語根について製品、食料、料理などを表す接尾辞 -aj^- では、動物とその肉で異なった語を用いる英語も示して、英語の歴史における支配者層のロマンス系の語と、被支配者層のゲルマン系の語の二重性に触れることができる。

bovo (牛)(ox) - bovaj^o (牛肉)(beef)
porko (豚)(pig) - porkaj^o (豚肉)(pork)
s^afo (羊)(sheep) - s^afaj^o (羊肉)(mutton)

 ついでに、時間があれば、日本語の「桜」や「牡丹」を紹介し、「かしわ」が関東では通じないことについても触れる。

c^evalo (馬) - c^evalaj^o (馬肉、桜)
apro (猪) - apraj^o (猪肉、牡丹)
koko (鶏) - kokaj^o (鶏肉、かしわ)


1.3.4. エスペラントは、純粋に合理性のみで図式的に創られた「先験語」(二木 1981:43)とは異なり、既存の民族語を基盤として、人為を加えて規則化、合理化をはかったものである。形態素の内部での同音異義を排除しておらず、民族語の伝統に基づく不合理さ、不規則性が見いだされる部分がある。安達(1991)では、以下のような例が紹介されている。

subac^eti(買収する) = sub-(下,こっそり) + ac^eti(買う)
subau~skulti(盗み聞きする) = sub- + au~skulti(聞く)
subridi(しのび笑いをする) = sub- + ridi(笑う)
subskribi(署名する) = sub- + skribi(書く) - *こっそり書く
substreki(強調する、下線を引く) = sub- + streki(線を引く) - *こっそり線を引く

aeropos^to(航空郵便) = aero(空気) + pos^to(郵便)
aeroplano(飛行機) = aero + plano(計画) -*航空計画 (aeroplan-で一つの形態素)

 この点は、学習上の難点となる。しかし形態素の概念を知るためのさまたげとはならないと思う。民族語でも、形態素をどこで切るか難しい例がたくさんあるのだから。


2. 語や文法を英語と比較することによって、親族関係にある言語間の類似のしかた(音韻対応法則)の基礎がわかる。

2.1. 音韻対応

 エスペラントの語彙は、語源が、ロマンス系 84%、ゲルマン系 14%、スラブ系 1.5%、ギリシャ語 0.5%(Mattos 1987、Zamenhof の「第一の書」と「第二の書」の語彙。Yamasaki 1991:4の引用による)という数値があるように、ヨーロッパの四つの語派の語彙から成り立っているので、同系統の語彙のみを取り出すのでなければ、音韻対応を見ることはできない。これはゲルマン系とロマンス系の語彙からなる英語と同じことで、その両者を比較対照し音韻対応を示すことができる語はさらに少なくなる。いずれにしても、語源まで考察した厳密な音韻対応を示すのではない。印欧語比較言語学の基礎である音韻対応法則の概念を説明するのが主眼であり、そのための例として、エスペラントと英語の語を示すのである。

 以下の例は、語頭音で、印欧語とゲルマン語との、グリムの法則第一音交替の一部に似た、p, t, k : f, θ, h の対応を示している。

エスペラント 英語
patro(父)  father
piedo(足) foot
plumo(ペン、羽毛) feather
por(〜のために) for
 
teatro(劇場) theatre
teorio(理論) theory
termometro(温度計) thermometer
tri(三) three
 
kalkano(かかと) heel
kapo(頭) head
korno(角) horn
koro(心) heart

2.2. 系統

 ヨーロッパの言語を学習していると、英語と似ている語があることに気づく。厳密な音韻対応でなくとも、発音や意味の類似、または、ずれから、言語と言語との関係や、語源探求に関心が向かうことが期待できる。エスペラントでも同様である。造語法や文法の面でも、似たところ、異なるところから類型論への関心が期待できる。

 数詞の、du(二) - two, dek(十) - ten, kvar(四) - four, kvin(五) - five, ses(六) - six, sep(七) - seven などのペア。それに、lerni(学ぶ) - learn, nomo(名前) - name, papero(紙) - paper, respondi(答える) - respond など、語形と意味が英語と類似した語はたくさんある。


2.3. 類型論

 シュレーゲル兄弟による古典的類型論を説明する例としては、英語で十分であるけれども、エスペラントを対比させると、エスペラントの、言語としての性格が浮かび上がる5)

2.4. 通時論、言語地理学、方言学

 努力して習い覚えた言語が、簡単に改変されたり、変化してしまったりしたら、誰もその努力をしようとしなくなってしまう。エスペラントは、人々の学習によってのみ成立し得る言語であるので、その学習努力を無駄にしないため、「エスペラントの基礎」については、改変不可との約束がなされている。

"Neniu persono kaj niniu societo devas havi la rajton arbitre fari en nia Fundamento iun ec^ plej malgrandan s^ang^on! ... Lau~ silenta interkonsento de c^iuj esperantistoj jam de tre longa tempo la sekvantaj tri verkoj estas rigardataj kiel fundamento de Esperanto : 1) La 16-regula gramatiko; 2) la <<Universala Vortaro>>; 3) la <<Ekzercaro>>." L.Zamenhof(1905) Antau~parolo "Fundamento de Esperanto"(誰もまたどんな組織も、我々の「基礎」にどんな最小の改変であろうとも恣意的に行う権利を有すべきでない! ... すべてのエスペランティストの長年の暗黙の合意に従い、次の三つの書がエスペラントの基礎としてみなされている:1) 16条の文法、2)「各国語辞書」3)「練習例文集」) Albault(1963:43-44).

 だから、通時論や、言語地理学、方言学について、エスペラントでの具体例を提示することは難しい。言語学という授業では、これらについては日本語の例を出すことになる。

 ただし、エスペラントは強力な造語能力を備えているため、一つの概念を表すのに複数の言い方が可能である。その中でどの言い方を選択するかには、エスペラントの言語共同体での慣用によるところがある。「コンピュータ」はザメンホフの語彙集にはないため、komputero, komputoro, komputilo, komputatoro, mas^ino, au~tomato などの語形(ジャコモ1992:214-227)が提案されたり、使用されたりしている。どの語形が定着するかは、エスペラント使用者の慣用にゆだねられている。また、百年以上の歴史の中で使用されるようになった語 kabeo(エスペラント運動をやめた人 < Kabe = ポーランド人 Kazimierz Bein 1872-1959のペンネーム), krokodili(エスペラント社会で母語で話す < krokodilo [動物]わに)などとともに、verda(緑の)という語が、「暖かい、心からの、友好的な」といった派生的意味を獲得したという調査結果が、早稲田(1983)に紹介されている。このような語彙の分野では、歴史的変化について専門的な考察をすることが可能である。


3. 「どんな言語でもコミュニケーション及び思考の道具としてその言語を母語とする人にとっては同じ価値を持つ」という近代言語学の言語観をエスペラントの思想から理解できる。

3.1. 言語の価値

 「言語の価値」について述べる場合、どんな価値について述べるのかということを考えておかなければならない。クルマス(1993:21-22)は、四つの価値をあげている。1)経済的価値、2)社会的価値、3)文化的価値、4)言語的価値の四つである。

 「経済的価値」とは、井上(1993)の言語の「市場価値」と同義の、その言語によって経済的利益を得られる度合いということと思われる。井上(1993:27)には、この市場価値を支配する要因として、話し手数、公用語として採用している国数、国家の経済力、文化度をあげている。他に、国際団体・会議における公用語採用数、商品開発などの基礎となる科学技術や、医学、薬学の情報源として使用される度合い、それに、最近では、情報処理機器にのるかどうか6)も、言語としての市場価値を決める要因となる。この経済的価値が、言語によって異なるということは、一般的に認められていることであろう。

 「社会的価値」とは、集団への帰属意識としての言語の価値ということであろう。アイルランド独立のイデオロギーとしての役割をはたしたアイルランド語、アメリカ合衆国での国籍取得のための必要条件の一つの英語能力などの例があげられる。これらの言語は、それぞれの共同体に所属できる価値を持っている。異なった方言を話すがために嘲笑の的になることは、その共同体で、その方言が負の価値を持つことを示す。

 「文化的価値」とは、「文学やその他の文化的な表現の手段としての価値」(クルマス 1993:21)とある。発音やリズムから、文学や詩歌の特定のジャンルに、向き、不向きの言語があるかもしれない。蓄積された文化遺産の量や質は、言語によって異なる。識字率や出版物の種類や量も、言語による違いがある。

 以上、三つの価値については、言語によって差がある。しかし四つ目の「コミュニケーションや思考の手段としての本質的価値」(クルマス 1993:22)、あるいは、井上(1993:28)の「母語に対しての価値」すなわち「絶対的情的価値」という意味で「すべての言語は同等の価値を持つ」と言えると思う。


3.2. 言語学での言語の価値

 近代言語学の古典的教科書、フェルディナン・ド・ソシュールの『一般言語学講義』やエドワード・サピアの『言語』などから、どんな言語でも言語としての価値は平等であるという言語観が読み取れる。

"La matie`re de la linguistique est constitue/e d'abord par toutes les manifestations du langage humain, qu'il s'agisse des peuples sauvages ou des nations civilise/es, des e/poques archaiuml;ques, classiques ou de de/cadence, en tenant compte, dans chaque pe/riode, non seulement du langage correct et de <<beau langage>>, mais de toutes les formes d'expression." Saussure(1916:20) 「言語学の資料をなすものは、まず人類言語のすべての現れである。それが未開民族のものであろうと、文明国民のものであろうと、上代、古典ないし退廃時代のものであろうと、その各時代においては、ただに正しいことばづかい、『美しいことばづかい』のみならず、ありとあらゆる形式の表現を考慮に入れるのだ。」小林英夫訳(16)

"There is no more striking general fact about language than its universality. ... The lowliest South African Bushman speaks in the forms of a rich symbolic system that is in essence perfectly comparable to the speech of the cultivated Frenchman." Sapir(1921:22) 「言語について、その普遍性よりも顕著な一般的事実はない ... アフリカ南部の最も未開なブッシュマンも、本質において、教養あるフランス人のことばに完全に比肩するほど、豊富な記号表示法(シンボリック・システム)の諸形式で話している」泉井久之助訳(19-20)

 言語についての研究の歴史を振り返って見ると、こういった言語観が獲得されるに至った経緯を知ることができる。学問や教養の言語であるラテン語の文法とは別に、普段自分たちが話している「俗語」の文法を書き、自分達の言葉もラテン語に負けない文法構造を持っていることを発見したこと。異教徒や「野蛮人」の言葉を学習し、異教徒の言葉にも豊富な語彙や、ちゃんとした文法があることがわかったこと。言葉はかくあるべしという規範主義から脱して、あるがままの言葉の様相を記述する文法研究の方法論を得たこと。過去の偉大な思想や歴史の書かれた言語のみならず、地方の素朴な農民の話し言葉も、比較言語学、言語地理学や方言学で、貴重な研究対象となることを学んだこと。かつては、ごたまぜの、不完全な言語と思われていたピジンやクレオールも、研究してみると人類言語に共通すると考えられる性格が発見されるようになったことなどである。

 国際舞台で用いられることの多い英語や、10億もの話し手を持つ大言語の中国語も、話し手の数が数人になったとまでいわれるアイヌ語も、また南米アマゾン川の奥地で自給自足の原始生活をいとなむ民族の言語も、どんな言語であっても同じ価値を持つという言語観、どんな言語でもコミュニケーション及び思考の道具としてその言語を母語とする人にとっては同じ価値を持つという、近代言語学の言語観を理解することは、現代世界の各地で起きている言語問題、さらには民族問題を考えるために、必要不可欠な基礎であり、人間言語一般について考えるための授業科目が目標として教授すべき、重要な点と思われる。


3.3. エスペラントの思想

 この言語観を理解するのに、エスペラントの思想から理解することができる。エスペラントの思想とは、次のようなエスペラント主義から読みとれるものである。

"La Esperantismo estas penado disvastigi en la tuta mondo la uzadon de lingvo neu~trale homa, kiu <<ne entrudante sin en la internan vivon de la popoloj kaj neniom celante elpus^i la ekzistantajn lingvojn naciajn>>, donus al la homoj de malsamaj nacioj la eblon komprenig^adi inter si,..." DEKLARACIO PRI LA ESENCO DE LA ESPERANTISMO, la Bulonja Kongreso: 1905 (エスペラント主義とは中立的人類言語の使用を全世界に広める努力をすること、これは人々の内面生活に干渉せず、現存する諸民族語を決して排除することなく、異なる諸民族の人々に相互理解の可能性を与えるような努力である)「エスペラント主義の本質についての宣言」1905年ブーローニュ大会 Albault (1963:33)

 英語のような言語が国際共通語として機能すると、英語を母語とする人たちには圧倒的に有利であり国際的な不平等が生じる、英語を母語としない者は、母語とする人たちより多くの勉強が必要となっている。そのための費用や時間、エネルギーを別の勉強に振り向けることのできる英語母語話者とは平等とはいえない。また母語話者をいつも教師と仰ぐ非母語話者の気持ちがある限り、真に対等なコミュニケーションが成立することは難かしい。また英語以外の言語が話されている地域の中でも経済的に英語を学ぶことのできる人、あるいは英語を学んだ人を雇える人だけが国際的なつきあいや商取引をできることになり国内的な不平等も生じる。そういう弊害を無くすため、誰もが学習しなければならない言語、文法と造語法を規則的にして誰もが容易に学べる言語を共通語にして、それぞれの民族語は民族語として保護発展させようというのがエスペラントの思想である。

 国際連合憲章や世界人権宣言の文面にも、人種や宗教の違いを越えた平等を述べるとともに言語の違いによる差別も無いようにと、うたわれている。

「第一条 国際連合の目的は、次の通りである。

三.経済的、社会的、文化的又は人道的性質を有する国際問題を解決することと、人種、性、言語又は宗教に関する差別のない、すべての者のための人権及び基本的自由の尊重を助長奨励することについて、国際協力を達成すること。」『国際連合憲章』(1945)

「第二条1.すべて人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、民族的的若しくは社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる事由による差別をも受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる。」『世界人権宣言』(1948)

 こういう思想は、これらの憲章や宣言が発表されるよりも40年も前から、エスペラントを造ったザメンホフがいくつかの機会に述べていることで、エスペラントの内在思想(interna ideo)となっている。

"Mi kredas, ke c^iuj popoloj estas egalaj kaj mi taksas c^iun homon nur lau~ lia persona valoro kaj agoj, sed ne lau~ lia deveno. C^ian ofendadon au~ persekutadon de homo por tio, ke li naskig^is de alia gento, kun alia lingvo au~ religio ol mi, mi rigardas kiel barbarecon." L.L.Zamenhof, 'Dogmoj de Hilelismo', ruslanda esperantisto 1906 n-ro 1. (すべての人民は平等だと私は信じる、そして私は、すべての人を、その出身によってでなく、その人としての価値と行為によってのみ評価する。人が自分と異なった民族の生まれであるとか、異なった言語、異なった宗教であるからゆえの侮辱や迫害すべてを私は野蛮なこととみなす) L.L.ザメンホフ「ヒレル主義の教義」『ロシア・エスペランティスト』1906年第1号。

 スペイン語を学べば、スペインやラテンアメリカの文化を学ぶことができ、アラビア語でもその言語圏に学ぶべき文化がある。民族語の学習には、単なることばでなく、その背景にある豊かな文化を学ぶという目的や副産物がある。エスペラントにも、世界のあらゆる言語からの豊富な翻訳文化とは別に、上で述べたような、内在精神と呼ばれる思想・哲学の文化伝統があり、これが、今までに提案された約800(二木 1981:43)とも言われる国際共通語の中で、エスペラントだけが、1887年に発表されて以来、百年以上も、学習され、使用され続けている理由の一つと思う。

4. まとめ

 言語のしくみと、他言語との比較対照、それに近代言語学の言語観という三つの点について、言語学入門としてのエスペラント学習の有用性を見てきた。形態素内部での意味と形態との関係での不合理があることや、通時論、言語地理学、方言学ではエスペラントの例を出せないといった不都合はある。そのため後期の授業では、別の観点から補う必要があった。また、筆者の授業方法で、当初の目的が達成されたかどうかは自信がない。「内在思想」があるからといって、基礎を勉強しただけでその精神を学びとれるというわけではない。しかし、綴りや文法の規則性、小数の語根から多数の語を派生させる造語能力による語彙学習負担の少なさ、それに、人間同士が対等な立場でコミュニケーションしあおうという内在思想を持った言語という点から、学生が二つめ、または三つめの外国語として学習するのに、エスペラントが好都合な言語であるということは、間違いないと思う。


0) 本稿は、1995年7月27日に本学で開催された、愛知県立大学外国語学部言語研究会での報告「エスペラントなんか勉強して何の役に立つか」をもとに、加筆し、文章にしたものである。加筆にあたっては、出席者の貴重な質問やコメントを参考にすることができた。出席者に感謝します。

1) ブルームフィールドは、「semi-aritificial(半人工語)」と呼んでいる。Bloomfield (1933:506)、和訳:675. 同じ所でブルームフィールドは、裁定を求めに行く natives (母語話者)のいないことをエスペラントの欠点としている。以下に述べるように、対等のコミュニケーションという観点からは、母語話者がいないことこそ、長所と考えられる。

2) 後期は、世界の主要な言語を概観するというような別の内容の授業をした。

3) 他の国際語として提案されたものについては考察してないので、それらも自然言語に含めるという意味ではない。エスペラントについてのみの考察である。

4) エスペラントを使用する人口については、正確なところまったくわからない。「いちばん楽観的な人は1000万と言い、いちばん悲観的な人は10万と言う」ジャコモ(1992:33)。田中春美他(1988:44)には「五万人以上」とある。日本エスペラント学会会員数は、同会機関誌1995年7月号によると、1994年12月31日で1442人。世界エスペラント連盟は、団体加盟会員と個人会員からなる。団体加盟している国別団体は、同会年刊(Universala Esperanto-Asocio 1994)によると、55団体。これらの団体加入人数は調べられなかった。個人会員数は、1993年に115ヵ国の7280人。この連盟には、2182人からなる都市別世話人網が、86ヵ国にはりめぐらされていて、同上書(99-303)に連絡先一覧がある。受講生から「エスペラントはどこで話されているのか」という質問も受けたことがあるが、「世界中の主な都市にあるエスペラントの団体で」としか答えられない。同上書(57-71)には、芸術、宗教、鉄道、教育、コンピュータ、趣味、観光、エコロジー、経済、福祉、ジャーナリズム、法律など様々な専門別の団体のリストがある。活動実態は良く知らないが、多くの種類の書籍や専門語語彙集が出版されていることとあわせて考えると、エスペラントで表現できる分野は、多岐にわたることがわかる。

5) Wells(1978:27)は、膠着語(語を、形態素に明確に分節できる言語)に、エスペラントを分類している。

Ekzemploj de aglutina lingvo estas la turka, la japana, la zulua, kaj - kiel konate - la Internacia Lingvo Esperanto.(膠着語の例は、トルコ語、日本語、ズールー語、そして - 知られているように - 国際語エスペラントである。)

 ピロン(1981)は、言語を表層、中層、核心の三つのレベルに分けて類型を考え、エスペラントは、表層レベル、すなわち単語の形と音声体系は、ラテン・ゲルマン系であり、中層レベル、統語法と語順ではスラブ語的、核心レベルでは孤立語の構造的基準、すなわち形態素の不変異という基準に完全に適合するとしている。エスペラントは、単語の由来からは、ラテン・ゲルマン系言語と分類されるけれども、孤立語、膠着語のアジア語的性格が濃厚であるというのがピロンの結論である。

6) 自然言語の情報処理についての書 Las industrias de la lengua(言語産業)の編者 Jose/ Vidal は、"Las lenguas que no se industrialicen dejara/n de ser, en plazo ma/s o menos breve, lenguas vehiculares, lenguas de civilizacio/n. (産業化されない言語は、比較的短期間の内に、伝達手段としての言語、文明の言語ではなくなってしまうであろう)" (Vidal 1991:16)と述べている。この場合の「産業化」とは、情報産業化、すなわち情報機器による処理ができるという意味である。

引用文献


(Resumo)

Esperanta lernado kiel enkonduko en la g^enera lingvistiko

HOTTA Hideo

En kursoj de enkonduko en la g^enera lingvistiko, ni devas instrui tri punktojn: 1) pri la strukturo de unu lingvo, montrante la komparon inter la elementoj en la fonetiko, la vortaro kaj la gramatiko de unu lingvo, 2) pri la rilatoj inter lingvoj kaj pri la universalaj ecoj de lingvoj, montrante la komparon inter la elementoj de pluraj lingvoj, 3) pri la moderna kaj racia lingvo-rigardo, ke c^iuj lingvoj havas egalan valoron kiel lingvo.

Mi kredas, ke Esperanto estas utila por la instruado de tiuj tri punktoj.

1) Esperanto havas tute regulan ortografion, pro tio oni povas scii la fundamenton de la fonetiko. G^i havas ankau~ regulan gramatikon, pro tio oni povas koni facile la strukturon de unu lingvo, sen malhelpoj de malreguleco kaj etna propreco de esprimo. La ric^eco kaj reguloj de g^ia vortfarado helpas nin akiri elemantajn sciojn de la semantiko.

2) Esperanto havas similecon al la eu~ropaj lingvoj, pro tio oni povas koni rudimenton de la kompara lingvistiko. Se oni komparas g^in kun la japana kaj angla ligvoj, povas ekkoni elementojn de la tipologio.

3) Plie Esperanto havas la <<internan ideon>>. Unu aspekto de tiu ideo estas, ke c^iuj popoloj estas egalaj senkoncerne al diferenco de gento au~ lingvo au~ religio. Pro tio, se oni konas g^in, povas lerni la lingvo-rigardon de la moderna lingvistiko. La moderna lingvistiko rigardas, ke c^iuj lingvoj estas egalaj kiel lingvo: sistemo de signoj, kiun la homoj utiligas por pensado kaj interkomprenig^ado. C^ar lingvistoj eltrovis perfektan sistemon en lingvoj, ke oni kalkulis kiel <<sovag^aj>> au~ <<vulgaraj>>.


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