おろしゃ会会報 第15号その5

2008年8月30日

 

チェーホフの見た理想と現実

 

―『かもめ』から『ワーニャ伯父さん』へ

 

高田映介(愛知県立芸術大学卒・現在京都大学大学院修士課程1年)

 



目次

 

 

 

はじめに.... 1

第一章.... 2

第一節 用意された失敗.... 2

第二節 トレープレフの自殺.... 3

第二章 理想主義と現実主義 ――人々の回想から――.... 5

第三章.... 7

第一節『森の主』と『ワーニャ伯父さん』.... 7

第二節 絶望に裏打ちされた希望.... 9

 


 

はじめに

 

I・ブーニン[]は『チェーホフの思い出』[]の中でこう書いている――

 

久しく彼(チェーホフ)は、《陰鬱な》作家、《たそがれのムードのうたい手》、《病めるタラント》、万物をのぞみなく、冷ややかに眺めている人としか呼ばれなかった。[……]今では、やたらに説を曲げ、『空一面きらきらしたダイヤモンドで……』という文句を書き立てている。この十年間、繰り返し言われて来たのは―いわく《チェーホフ的優しさ、あたたかさ》、《チェーホフ的悲哀》、《チェーホフ的人間愛》、《桜の園のうたい手》……[]

 

偉大な作家の死から百年以上の年月が過ぎ、ブーニンのこの手稿が書かれてからも同じほどの時が流れたが、チェーホフに対するこうした「特色づけ」は、現代に生きるわれわれの間でも通用し続けているし、一種の定説として居残っている。しかし、この類の通り文句がわれわれの目をくらませてしまう当のものであるという可能性も、大いにあるのではないだろうか。ブーニンは上記の箇所に続けて、チェーホフは「陰鬱な人間」と呼ばれると憤慨し、彼の「やさしさ」と呼ばれるものには当惑し、「あたたかさと悲哀」に至っては、不愉快を感じるであろうと書いている[]

そこで、チェーホフの戯曲、『かもめ』[]と『ワーニャ伯父さん』[]のそれぞれの特色、および『かもめ』から『ワーニャ伯父さん』への進展を追うことを通じて、今われわれを捕らえているひそかな疑念に一つの解答を見出すこと、これが本稿の目的となる。『かもめ』と『ワーニャ伯父さん』を特に取り上げる理由は、一つにはこの二つの劇作に、たとえば人生観や芸術観といったチェーホフ自身の思想がよく投影されていると思われるためであり、もう一つには、いわゆる「四大戯曲」の中でも、『かもめ』と『ワーニャ伯父さん』は、連続的に執筆されたことによってとりわけ兄弟的性格を帯びていると考えられるためである。また、妻オリガ・クニッペル、友人ゴーリキーとの書簡のやり取りや、同時代人が文章に表したチェーホフ像なども資料として取り入れることで、作品の裏にある作家の姿を一層検討できるよう努めた。考察を通じて、晩年期に向かうチェーホフの思想の進展に対する理解をいくらかでも深めたい次第である。まずは、『かもめ』における主人公の死について、探ることから始めるとしよう。

 


第一章 

 

第一節 用意された失敗

 

トレープレフはなぜ、自ら命を絶ったのか。『かもめ』の最後における彼の自殺は、出来事そのものに非常にインパクトがあり、われわれに迫ってくるので、今更こんな問いを立てる必要すらないように思われる。ある意味では彼の死は、物語の幕が上がったその瞬間から――あるいは、ひょっとするともっと前からすでに―運命付けられているとさえ言えるのだ。しかし、その心情の実体とは、一体いかなるものだったのだろうか。

「ニーナ嬢が演じる、脚本は、トレープレフ君の。彼らは互いに恋しあっているんです。だから今日はふたりの魂が、同じ一つの芸術的イメージのために融合する、というわけでさ」(p.5)[]

第一幕の冒頭間もないメドヴェージェンコの台詞、これがまさしくトレープレフの青写真をそっくり表すものである。芸術と、ニーナ――この二つがトレープレフにとっての希望であり、望みであって、物語の幕が上がった時点では、彼もまだ意気揚々とそれらを追い求めているのだ。しかし、芸術の方にはとうから黒い影が忍び寄っていることは、すぐに伺われる。トレープレフは下男のヤーコフに向かって、もしくは独り言めいて、こう言い言いする――

「十分したら、持ち場にいてくれよ。[……]もうじき始まるから」

「幕を開けるのはきっかり八時半、月が昇る時に」

「もちろん、もしニーナさんが遅れでもしたら、効果はみんなだめになっちまう」(p.7)

芝居の幕開きまで、どんと構えていることなどできない。トレープレフは神経質になっている。心の奥底で、芝居は失敗に終わりそうだと、我ながらうっすら感づいているかのようだ。それと言うのも、座席には母アルカージナがいるからである。アルカージナは決して冷血の母親ではないが、有名な女優ゆえの気位と、何より激しい自己愛とが、息子の打ち込んでいる仕事に理解を示すことを許さない。たとえば、トレープレフの書いた台詞をからかいの種にしたあとで、周囲からたしなめられても、平然とこんな風に言う。

「あの子は自分で、これはおふざけだって予告していましたよ。だからこっちも、そのつもりでいたんだけれど」(p.15)

この言いように、アルカージナのキャラクターが凝縮されている。彼女は単純な性格で、全体としては悪気はないがために、その勘の鈍さが一層トレープレフの自尊心を傷つけることになるのである。しかし、アルカージナだけではない。彼女の愛人であるトリゴーリンも、伯父のソーリンも、教師のメドヴェージェンコも、皆身内の書いた芝居だという点では腰を落ち着けて舞台を眺めるが、トレープレフの真剣のほどを慮ってはいない。しかも、実際はただ真剣というだけに飽き足らず、トレープレフは、芝居が失敗に終わりそうな予感と同時に、大成功のうちに幕を下ろす想像も抱いているのである。そこには、有名人である母親の七光りから逃れたいという欲求や、既成の枠に凝り固まった芸術に対する不満、自らの才能にたいするひそかな自負、そしてもっと言うならば、生きている個人としての自分を表し、認めて欲しいという願望が渦巻いている。彼の胸の中では、いかにも若々しい過剰な期待と、過剰な不安とが入れ代わり立ちかわりしているのだ。彼は欲求の捌け口を求めている。そういう訳で、ニーナが息を切らしてやって来た時、熱烈に彼女を出迎える。

「僕は、彼女なしでは生きられない……あの足音さえ素晴らしい。……僕は、ものすごく幸せだ……[……]可愛い魔女が来た、僕の夢が……」(p.9)

この段階では、トレープレフにとってニーナは希望そのものである。彼は恋心を口走り、胸は温かな空想で膨らむ。ニーナの愛情を信じて疑わないが、実はここにも気持ちの行き違いがあって、ニーナの方では、トレープレフの脚本をずばり「演じにくい」と苦情を申し立てている。彼女は内心では彼の戯曲を「つまらない」と感じており、「戯曲というものは、やっぱり恋愛がなくてはならない」と決めているのである(cf. p.11,23)。あまつさえ彼女はすでにしてトリゴーリンの存在を意識している。つまり、頼みのニーナさえ、思い入れはトレープレフに比べればはるかに少なく、ずっと現世的な視点で動いているのである。

こうした面々に囲まれて上演するわけだから、芝居は案の定失敗に終わる。トレープレフは恥をかかされ、侮辱されたと感じ、飛び出していってしまう。ニーナは彼を追いはしない。彼を探しに行くのはマーシャである――マーシャは、あるいは熱烈に芝居を見ていたかもしれないのだが、彼女の崇拝ではトレープレフは満足しない。求めずとも向こうからやってくるものは、追うべき希望ではあり得ないからだ。ところが、彼女とは別にもう一人、トレープレフの芝居に好意的な人物もいる。医師のドールンがそうで、彼はトレープレフにこう助言する。

「作品には、はっきりと定まった思想があるべきです。なんのために書くのか。それを知っていなければならない。そうでなくて、決まった目的もなくこの美しい道を歩いて行ったら、君は道に迷って、自分の才能で身を滅ぼすことになる」(p.19)

これはまったく的を射た、トレープレフにとっては予言のような響きさえ持ち合わせた言葉だったのだが、ニーナを探す彼の耳にはほとんど届かない。それもそのはずで、彼は今しも飛び去っていこうとする希望の尾を掴もうと必死なのだ――上演が不首尾に終わったことは目に見えている以上、トレープレフは残る一方に望みをかけているのである。しかしもちろん、こちらも上手くいくはずはない。芝居の失敗は名声を求めるニーナの気持ちを冷淡にさせた。第二幕以降で、二人の仲は加速的に冷たくなっていく。

してみると、何気なしに始まる第一幕は、実のところトレープレフの決定的な転落の瞬間だと言うことができる。挫折を味合わされた彼は自分の内に閉じこもるようになるが、その落胆の暗い雰囲気は物語の全体を包み、あらかじめ予定された結末に向かう静かな原動力となる。トレープレフは絶望するように仕向けられているのだ。

 


第二節 トレープレフの自殺

 

このことをもっとよく見てみよう。芝居の上演が不興に終わり、ニーナとの仲が怪しくなった時点から、トレープレフは目に見えて若々しさを失い、鴎を撃ち殺すような暗示的態度で彼女の心を一層自分から遠ざけるようになる。ニーナがトリゴーリンに惹かれていくのを知りながら、表立って止めることもしない。何故だろうか?――おそらく、流行作家であるトリゴーリンに対する密かな羨望が、彼をがんじがらめにしているのである。トリゴーリンの「芸術」に対して物申したいことがある、そのことの正しさも感じているのに、現実には相手の方こそ成功した作家であり、ニーナまでその魅力で虜にする―自らの思い描くところとはかけ離れていくばかりの現実の歯がゆさに、トレープレフは苛立ち、ふさぎこんでいる。やるせない思い悩みが、彼をして自らに銃口を向けることを意識させ始めているのだ。

場面としては登場しないものの、このトレープレフの自殺未遂について、第三幕の冒頭で他の登場人物の口から様々に語られている。アルカージナは主な原因を嫉妬だと考え、一方ソーリンは無為な暮らしで自尊心が痛んだのだろうと推測する。それらは二つとも部分的には当たっているが、全てではない。現実に即して生きている彼らには、トレープレフの失意が肌身に感じられないのである。トリゴーリンに至っては、何がトレープレフを苦しめているのか全く分からない。そもそも、彼は自分に食って掛かる若者に気を揉んでもいないのである。

「何しろあの息子が、えらくむちゃをやるんでね。ピストル自殺をしかけたかと思えば、今度は私に決闘を申し込むとか言う。で、一体何のためかな?[……]いや、席は十分にあるじゃないか、新しいものにも古いものにも。――どうして押し合うことがあるかね」(p.33-34)

同時に無関心でもあるようなこの冷静さに、トレープレフは憧れと妬みを燃やさずにはいられない。トリゴーリンの落ち着きは、すでにしっかりと地位を固めた人間が持つものであり、それこそがトレープレフが欲するところのものなのである。トリゴーリンを巡って母親と言い合いになった時、トレープレフの鬱憤は爆発する。

「ほんものの天才か!こうなったら言わせてもらうが、僕はあんたがたの誰よりも才能がある、一番才能があるんだ!あんたがた、古いやり方にしがみついている連中は、芸術の最高位をひとりじめして、自分たちのすることだけが正当だ、本物だと思いこんでいる。そして残りの人間を追い立てて、絞め殺すんだ!僕は認めないね!母さんも、あいつも、誰が認めるものか!」(p.40)

しかし、声高に言うほどの自信は、本当は持ち合わせていない。これまでの場面で、すでに挫折を実感させられているからだ。トレープレフの胸中には、新しい別の態度が芽生え始めている。彼はもはや現実に目を向けるしかないのだと感じ始めており、そうであればこそ、アルカージナの情にすがるのである。この第三幕で、「あなたの他に、今じゃ僕には誰一人残っていない」(p.38)と母に打ち明けもする。しかしこの妥協が耐え難いものであることに変わりはなく、一瞬の安寧を得たと思った次の瞬間には、それは転覆されてしまう。しかも、現実とうまく折り合いをつけるられずもがいている彼に、さらに決定的なことが起こる。ニーナがトリゴーリンを追って出奔してしまうのだ。「同じ一つの芸術的イメージ」(p.5)を共に追うはずだった彼女のこの行動に、おそらくトレープレフは一層深い失望――それもうっすらと予感していたであろう失望だが――を味わい、それでも彼は、自らの希望と設定したニーナを追うのをやめることはできないので、ならばいっそと、自分でも現実的に活動することの方を選んだのであろう。その変化は、第三幕から二年後に設定された第四幕で、われわれにもはっきりと知らされる。トレープレフは野心だけが先走っていた時代とは違い、第四幕では雑誌に作品を掲載するまでになっているのであり、その意味では、トリゴーリンと同じ土俵に立つ人間に成長しているのである。

「イリーナ・ニコラーエヴナのお話だと、あなたはもう古い話はお忘れになって、お怒りも止まれたとのことですが」(p.51)

こんな言い方で、トリゴーリンのトレープレフに対する態度が以前より丁寧になったことも、それを示している。彼は「ためらいがちに」(同所)トレープレフに歩み寄るのだ―無論、その背後には、ニーナとの一件から来る遠慮もあるだろう。ニーナも二年の間に変わった。彼女がトリゴーリンとの色恋沙汰の果てに堕落した私生活を送るようになった経緯は、皆が聞き及ぶところである。そして、第二幕から継続して示されてきたトレープレフの陰鬱な気分についてだが、これには一層酷くなるという形での進展がある。だがその理由は、以前とは違う響きを伴うようになったのだ。彼は原稿に向いながら、ぶつぶつと呟く――

「おれはあんなにたくさん新形式のことを言ってきたが、今じゃだんだん、自分も紋切り型にずり落ちていっている気がする」(p.55)

彼はまさに取り掛かっている情景描写をもっと良く仕上げようと頭を悩ませるが、考えるほどにいっそう自嘲的になる。「本当に作家になるなんて、誰一人考えも、思いもしなかった」(p.46)ところから、実際にその夢を叶えたのに、トレープレフの心は満足していないどころか、新たな―そしておそらくは最も大きな――絶望に彩られているのだ。その理由は彼自らが語るところである。

「トリゴーリンは自分の手をつくってあるから、楽なもんだ。……彼なら、土手の上で割れたびんのくびが輝いて、水車の影は黒々として見える――そら、これで月夜ができあがる。ところがおれは[……]いや、こいつはひどい」(p55)

「現実に」小説をものすようになったがために却って、トレープレフは自分に足りないものがあることをはっきりと感じている。それは書くことの技術であり、彼は技術の点では、成熟した作家であるトリゴーリンには叶うはずもないのだ。技術に染め上げられた芸術を毛嫌いしてきた彼だが、実際にはその技術がなければ傍目にも劣ることを痛感している。そうであればこそ、もはや問題は形式の新旧にあるのではなく、「魂のなかから自由に流れ出すものがあるからこそ書く」(p.57)ことだと自分に言い聞かせるのだ。しかし、トレープレフはそうすることもまた出来ない。何故出来ないのか―ニーナが、われわれにそのわけを教えてくれる。再び姿を現した彼女は、第三幕までの娘らしい、どこか浮気な雰囲気をがらりと変え、精神の奇妙な落ち着きと不安定さを呈している。そんなニーナの様子にも関わらず、トレープレフは一も二もなく彼女を歓迎する――希望の一つが帰ってきたのだから。だが、ニーナは彼が期待するような未来を二人にもたらしにやって来たのではない。トレープレフを懐かしんではいるが、愛してはいないのであって、共に旅立つつもりなどはない。生活の苦しさが彼女の持っていた娘らしい残酷さを薄めさせたので、ニーナは今では彼につれなく応対したことを恥じてはいる。その一方で、世の辛さを知る不幸せな女としては、一層の情愛を持って自分を捨てた流行作家のことを想っているのだ。

ニーナとトレープレフの違いはここにある。彼女は徹頭徹尾現世的な人間であり、「愚かな演技」(p.58)をくりかえしたあやまちも、それ故にこそ克服できる。彼女は、芸術はかつて自らが空想したように名声や光栄の輝きにふちどられてはいないことを、今やはっきりと悟っている。芸術の実態は土色の努力だということを知っているから、ニーナは耐えられるし、舞台の上の自分を肯定することもできるのである。今や彼女には、芸術はすなわち生きる術である。ニーナはその極意を、「忍耐力」(p.58)という言い方でトレープレフにも伝える。だがトレープレフはそれを受け止めるには、純粋に夢想家でありすぎる。漠然と形式を思い描いてきた彼には、もはや熱を入れるべき目的がない。まして魂の命ずるままにものを書くこと、あるいは演ずること――本当はそれこそが、ただ「忍耐力」でしか太刀打ちできないような辛く光のない道なのだが、彼は「この世ならぬどこかに浮遊する素晴らしい芸術」とでも言うべきヴィジョンを捨て去ることもできず、自分こそがそこに辿り着きたいという希望もまだ隠し持っているのである。トレープレフの不幸は、きっとこうしたことを自ら知らぬわけではないことであろう。だから彼は、ニーナが行ってしまうと共に完全に希望を失い、おもむろに自分に銃を向けるのである。

 


第二章 理想主義と現実主義 ――人々の回想から――

 

してみると、トレープレフは理想を追い求めた果てに、そこには思い描いたようなものは何もないのを知り、絶望に至ったのだと言うことができるだろう。では、彼が作中で羨望と嫉妬を抱き続ける相手である、作家トリゴーリンはどういう役割を担っているのだろうか。奇妙なことには、この中年の流行作家は、作者チェーホフと同じ体験をする。と言うのも、ニーナが彼にロケットを贈ったように、チェーホフ自身も一時期彼を恋した人妻リジヤ・アヴィーロワ[]から、著作のページ数と行数を記された「本の形をした下げ飾り」を贈られているのである。指示された一節――「もしいつか、わたしの命がお入り用になったら、いらして、お取りになってね」――までが、一字一句同じものである[]

そこで、もしトリゴーリンなる登場人物は作者本人をモデルとしているのだとすれば、第二幕で彼がニーナを相手にこぼす作家生活の実際的な心情も、違った趣に感じられてくる。

「強迫観念というものがあるでしょう。[……]昼も夜も、一つの考えがわずらわしく私について回っている。それは、書かなくては、書かなきゃ、書かなきゃ……というやつです。やっと中篇を一つ書き上げる、するとどういうわけだかもう次のを書かなくちゃならない。それから三つ目、三つ目の次は四つ目……。[……]いやはや、まったくなんて野蛮な生活だろう!そら、今私はあなたと話していて、興奮している。にも関わらず、書きかけの中篇があっちで私を待っていることを、一瞬たりとも忘れずにいるんです」(ЧАЙКА, p.29)

チェーホフは多産家であった。特に、主としてユーモア小説を世に発表していた頃のことを「新聞雑誌のために来る日も来る日も書いた」[10]と自ら記している通り、このいわゆる「チェホンテー時代」の作品は膨大な数に及んでいる。当時、彼はもっぱら金銭を目的に書いていた。医学生としての厳しい学業の傍ら、家計を支えるために、決して高くはない原稿料の獲得に努めていたのである。この過酷な生活は、おそらくチェーホフの体を参らせただろうが、かたや彼の文章にとってみれば、むしろ「特訓」であったと言うことができよう。限られた字数の中に、人の興味をそそるような変化に飛んだ筋書きを簡潔に収め、かつ彼一流の寡言をも盛り込む―ひと言で言うなら、その後のチェーホフ文学全体の支えとなる高い技術力というものを、この多作の時代が身につけさせたのである。チェーホフ本人も、自らの文章技術を自負していたことは疑いがない。彼は一九八七年頃、V・コロレンコ[11]に向かってこう言っている。

 

「一体僕がどんな風に短編を書いているかご存知ですか?……ほらこうですよ。」彼はテーブルを眺め、まっさきに眼にとまったもの―灰皿だった―を手にとり、わたしの前において言った。

「お望みとあれば―明日にも、短編がひとつ出来上がります。……題は『灰皿』です。」[12]

 

この逸話は、同時にチェーホフのまだ青年らしい大胆さと自信を伝えている。コロレンコの言によれば、こう言った時のチェーホフは「ほとんど冗談半分に文学の仕事をはじめ」たのであって、幾分は「たのしみ、気慰め」として、また幾分かは先に述べた通り「家計のための手段」として小説をしたためていたものらしい[13]。ところがそのわずか二年後には、チェーホフはこれも前述のリジヤ・アヴィーロワを相手に、同じ様なことを―しかしはっきりと違う雰囲気を持って――語っているのである。

 

「[……]僕の仕事は書くことです。それに僕は皆さんのお望みのものをなんでも書くことが出来ます」と彼は微笑を浮かべて言い足しました。

「この酒瓶について書けとおっしゃれば、すぐに『酒瓶』という題の物語ができます。思想は生きた形象から生まれますが、形象は思想からは生まれません。」[14]

 

ここには、かつて「気慰め」に文学の仕事をしていると言った時とは、何かまるで異なる響きがある。書き手の感じ方の違いだけに留まるものではない。コロレンコ言うところの「のんきなアントーシャ・チェホンテ」[15]から、われわれがより知っているところの「ア・ペ・チェーホフ」へ――いわば、「文学」そのものに対するチェーホフの姿勢が変わったのである。これは不可解なことではないだろう。彼は八十六年には老いたる作家D・グリゴローヴィチから、「純文学」の方面に邁進するよう手紙で勧められていた[16]のだし、それを受けて、八十八年には『たそがれに』でプーシキン文学賞を受賞、ついに同年、『曠野』[17]で文学上の転換期を迎えるに至った。この通り作品が次第にその趣を変化させていくのに伴って、作者の中にも、何か重苦しい決意とでも言うべきものが芽生えていったのであろう。事実、チェーホフとはドストエフスキー、ツルゲーネフ「以後」の時代、存命中だったトルストイもまた文学活動を放棄していた「巨匠なき時代」の作家だったのである。技術と才能とは分離されて存在するものではあり得ないから、再びコロレンコの言葉を借りて言うなら、その貴重さ故に「所有には大きな責任のかかる宝石」[18]を持っていたチェーホフが、ロシアの文学界に対する自分の重大な役割を感じるようになっていったということも、想像に難くないのである。

われわれがここで注目したいのは、「技術」はチェーホフの最大の武器であると同時に、ある意味では足を引っ張るものでもあったということだ。確かにユーモア小説のおかげで技術を磨くことができたのだが、そのせいで人々の間に染み付いた「チェホンテー」のイメージに長らく閉口させられたし、才筆を認められたのちでは、別の苦労が現れたのである。そのことは、『かもめ』のトリゴーリンの台詞によく示されている。

「[……]人々は読んでくれて、「なるほど、うまい、才能がある」とか、「うまいが、トルストイの域にはほど遠いね」とか、「素晴らしい作品だ、しかしツルゲーネフの『父と子』のほうがもっと良い」とか、仰せになる。そんな調子で死ぬまでただただ、「うまい、才能がある」「うまい、才能がある」のくりかえし――、それ以上は何もない」(ЧАЙКА, p.30)

「私は自然を感じる。自然は私に、書きたいという欲求を、情熱を呼び起こしてくれる。ところが、私はたんに風景画家であるだけじゃなく、さらに市民でもあるわけだ。私は祖国を、民衆を愛している。私は感じるんです、もし自分が作家であるならば、民衆や、彼らの苦しみや、彼らの未来について語る義務がある。科学や人間の権利や、その他いろんなことについて語る義務がある、とね。それで私は、あらゆることを喋くるんです、大急ぎでね」(ЧАЙКА, ibid.)

これこそが、チェーホフの新たな煩悶である――流行作家トリゴーリンは、単に主人公の青年トレープレフの競争相手という役だけを負わされているわけではない。チェーホフは『かもめ』の中に、作家の二つのタイプを示して見せたのである。片方は、純粋さで書く者、天賦の才に頼り、芸術に対する情熱を持って書く者―もう片方は、「氷のように冷静に」[19]、はっきりとした見通しを持って仕事をこなす者である。無論、前者がトレープレフを、後者がトリゴーリンを指している。しかしながら、チェーホフは両者のどちらを優位に立たせているわけでもない。われわれがこの第二章で見てきたように、トリゴーリン≒チェーホフだとするならば、トリゴーリンもまた独自の懊悩を抱えていてしかるべきなのである。実際、トリゴーリンに対する格別否定的な表現などは見受けられないのであって、彼はちゃんと独立した人格を持った、一定の魅力のある人物として描かれている。

だがもし、『かもめ』が、青年トレープレフの純粋が踏みにじられる過酷な現実を描写するだけの戯曲なら、恋敵であるトリゴーリンはもっと徹底したヒールであるべきではないのか。そしてまたわれわれが、トレープレフは絶望するように「仕向けられて」いたのだと、すでに前章で述べておいたことを思い出してほしい。これらに共通する理由があるとすれば、一体何であろうか。それはトレープレフが―そしておそらくニーナも部分的には――作者の代弁者である、ということなのだ。思うにチェーホフは、トレープレフのように仕事をすることはついぞできなかったのではないか。チェーホフは文筆活動を始めた当初、「どんな熱烈な霊感も吹き消してしまうような環境」[20]の中で物を書いていた。そんな中にあっても着実に力をつけていくことができたのは、一重に、もって生まれた並々ならぬ落ち着きと、家族に対する責任があったからだろうが、いずれにせよ執筆の目的は金銭だった。そしてようやく腰を落ち着けて仕事に向かおうという時には、優れた技術はすでにすっかり彼の手に馴染み、彼を包んでいたのである。すぐ上で「落ち着き」と書いたが、チェーホフの才能とはいわゆる天才タイプの才能ではなく、 誰も追いつけないほどの速度で高い技術を勝ち得たそのことが、天賦の才だったのである。しかし、読者を面白がらせるためではなく芸術のために、「魂の中から」書こうという時には、定まった手は却って邪魔になるということもある―コロレンコは、一八八七年の『イワーノフ』[21]の執筆が、チェーホフに「はじめての、真剣な、純文学的な心労と苦悩をもたらした」[22]と書いているが、その脱皮の苦しみは、あるいはこうした事情を伴っていたのではないだろうか。

『イワーノフ』について今回は詳述しないものの、それでも一つ述べておきたいのは、『イワーノフ』もまた、主人公の死で幕を下ろす物語だということである。それも、『かもめ』同様絶望の末の死なのだ。イワーノフの死後、ほどなくしてサハリン島へ赴いたチェーホフは、文学上だけでなく人生における転機をも迎えたと言われる。イワーノフの自殺は、負性に彩られた出来事であるのとは裏腹に、新たな誕生とでも言うべき一面を持っているのである。してみると、トレープレフの死は、その後チェーホフに何をもたらしたのだろうか。「チェホンテー」が「チェーホフ」になった、さらにその次の、第三の思想上の大きな進展がそこにあるのだ。われわれはそれを、「理想主義」から「現実主義」への移行だとはっきり予言しておこう。『かもめ』において、純真なものが通俗的なものの前に屈することは、一見現実を克明に描いていると思われるが、トレープレフの自殺こそは、われわれがそうした見方だけに陥ることを防いでくれているのだ。絶望して死ぬ――これは劇的な、ロマンチックな出来事なのであって、何か素朴な、現実的な出来事というには当てはまらない。絶望の構図が仕組まれ、その中でイワーノフが死ぬ。十年経ってさらにトレープレフが同じように死ぬ。二つの死は異なるものではあるが、形は似通っており、どちらも新しい段階へと近づくための通過点である。ある意味では、チェーホフは自らの一部を葬っているとも言えるのであり、そのようにして飽くまでも自己に立ち向かうところに彼の個性がある。われわれは『ワーニャ伯父さん』によって、この第三期の進展についてよりよく検討することになるだろう。

 


第三章 

 

第一節『森の主』と『ワーニャ伯父さん』

 

『ワーニャ伯父さん』の執筆年度については、今日に至っても未だ決定打が出ていない。一般には『かもめ』執筆の翌年、すなわち一八九六年に書かれたと言われているが、これにはいささか奇妙な感じが伴う。と言うのも、チェーホフ本人が「舞台の約束に逆らって」[23]いると意識していた実験的な劇作に比べて、『ワーニャ伯父さん』の方が、むしろ古めかしいように感じられてやまないからだ。しかしわれわれは、おそらくそのわけを指摘することができるだろう――『ワーニャ伯父さん』は『かもめ』のずっと前、一八八九年に書かれた『森の主』[24]を下敷きとした改作なのである。

類似は、はっきりしている。まず登場人物のうち、退職した大学教授セレブリャーコフ、その美貌の妻エレーナ、教授の先妻の娘ソーニャ、先妻の母ヴォイニーツカヤ夫人は名前・役柄とも一致する。そのほかの人物は名前こそ少しずつ変更を受けているが、旧作のフルシーチョフは改作のアーストロフに、ジャージンはテレーギンに相当していると見て間違いないだろう。そしてソーニャの伯父ワーニャは、『森の主』ではジョルジュ伯父さんとして現れている。このワーニャ=ジョルジュが、二十五年の長きに渡り、年上の義弟の才能を信じて一途に仕えてきた果てに、その男の俗物ぶりに気がつくに至り、さらに恋も破れ、挙句には汗水して経営に従事してきた領地の売却を提案されるという手酷い侮辱に合って絶望と怒りに駆られ、銃を撃つ――こうしたストーリーについても基本的に同様で、ほぼ継承されていると言って差し支えはない。しかし二つの戯曲の性格がよく似たものであるとすれば、一体違いはどこにあるのだろうか。

大きな相違が二つ存在している。その一つは、『森の主』でのソーニャは「奇麗になったね」[25]と当然に言ってもらえるような美しい娘で、フルシーチョフとの恋も成就するが、『ワーニャ伯父さん』では不器量な娘に書き換えられ、アーストロフに対する想いも実らないという点。ソーニャはそれを悲しく嘆いている。

「ああ、美人じゃないってなんてつらいのかしら!ほんとうにつらいわ!おまけにわたしは、自分は美しくないってことを知ってるし、よく分かってるんだから……この前の日曜日、みんなが教会から出てきた時、わたしのことを話しているのが聞こえてしまった。一人の女の人が言ってたわ、「彼女は親切で、寛大な人だけど、あのとおり不細工なのが惜しいわね」って……不細工……」(ВАНЯ, p.85)

そしてもう一つは、旧作では、伯父さんは絶望し銃で自らの命を奪い取るのに対して、改作では、老いた義弟に銃口を向けるも失敗し、結局その銃を隠され、自殺をすることもままならず残されるという点である。

なぜソーニャは美しくなくなったのか。そして何より、ワーニャ伯父さんが死なないのはなぜなのか。これは明らかに意図された改造であり、われわれはこのことに注目する必要があるのだ。『かもめ』のトレープレフがそうだったように、またしてもここに絶望の構造が用意されたのである。

思えば『森の主』は、ジョルジュの自殺にも関わらず二組の恋が実る、全体としては明るい、ハッピーエンドの物語であった。つまりそこでは、伯父さんの死はドラマチックな効果を生み出すための一種の演出にすぎなかったのであり、大団円にまとまるそのほかの登場人物たちも、どこか浮世離れした様相を呈している。『森の主』がモスクワ小劇場に持ち込まれた際、「美しいドラマタイズされた中編小説ではあるがドラマではない」[26]と評された由縁もここにあるのだろう。その物語は確かに快く、美しい――ソーニャの顔が美しいように―それ故に、何か空想的で、現実味を帯びてはいないのである。だからこそチェーホフは変更を加えた。『森の主』から七年の歳月を経た、彼自身の変化を戯曲に反映させたのだ。われわれは前章で、『かもめ』においてチェーホフは自らの青春、若さとでも言うべきものを葬ったと述べたが、ぐっと老成しいよいよ「氷のように冷静」になった彼は、過去の作品に容赦なくメスを振り下ろしたのである。

「僕は四十七歳だ。仮に六十まで生きるとしたら、まだあと十三年残っていることになる。長いなあ!僕はその十三年を、どうやって生きていけばいいんだ?何をして、何によってその年月を埋めていけばいい?[……]せめてもし、残りの人生を、何か新しい方法で生きることができたらいいのに。よく晴れた日の、静かな朝に目ざめて、これから新しく暮らし始めるんだ、過去のことはみんな忘れた、煙みたいに消えてしまった、と思うことができたらいいのに。[……]新しい生活を始める……教えてくれ、どうやったら始められる……どうしたら始められるんだ……」(ВАНЯ, p.107108)

死に損なったワーニャ伯父さんの苦しみは、トレープレフのそれよりも一層重い。しかもチェーホフは、アーストロフの口を借りて、「われわれの状況は、君にしたって僕にしたって、絶望的だよ」と間髪入れずに言わせている(ВАНЯ, p.108)。技巧上の出来事でしかなかった伯父さんの「死」は、物語全体が現実的になったのに伴い、死よりも辛い「生」へと書き換えられた。チェーホフは「ドラマ」の緩やかな輪郭線を、厳しい「現実」の姿に彫刻し直したのである。ついてはここに、チェーホフが妻クニッペルに宛てた手紙の中の、興味深い一節を引用しておこう。

 

僕はメイエルホリドに手紙を書き、その手紙の中で、神経質な人間を表現するのにどぎつくやってはいけないと説得しておきました。人間の大半は神経質です、多くの連中が苦しみ、少数の人間は激しい痛みを感じている、しかしだからと言ってあなたは、もがいたり駆け廻ったり自分の頭を抱えたりしている人を一体どこで―街路ででも、家のなかででも―ごらんになりますか?苦悩を表現するには、それが実際の人生で表現されるように、つまり手や足によってではなく、トーンや眼つきによって、表現しなければならない。身振りによってではなく、物腰によって表現しなければならないのです。教養ある人々につきもののデリケートな心の動きは、外形だけでもデリケートに表現する必要がある。あなたは舞台の制約だと仰るでしょう。しかしどんな制約も嘘を許しません。[27]

 

これは、芸術普及座の俳優メイエルホリド[28]がハウプトマン[29]の『寂しき人々』の稽古でやった演技について述べているものではあるが、しかしこの手紙の日付は一九〇〇年一月二日、すなわち芸術座の面々が『ワーニャ伯父さん』をまさに舞台で演じていた時期と合致することを考慮すれば、チェーホフが『ワーニャ伯父さん』の演出に対しても同様の気持ちを持っていたと推測することも、行き過ぎではないだろう。チェーホフはソーニャ役の女優が誇張気味の演技をした時には、「《人間のすべてのドラマは内面に起こるもので、外面の表現にあるのではない》」[30]と注意を促しているのである。

大げさにではなく、自然に――同様の指示は『かもめ』の頃からすでに認められていたし、もっと言えばチェーホフの作風全体を貫いているとさえ言えるものだが、より一層の徹底化が、意識的な深化が図られたのだ。考えてみれば、死のうとして死ねない、愛しても報われない、こうしたことは、われわれの普通の生活においては往々にして起こり得ることである。実際、『ワーニャ伯父さん』では「外面」的なことはほとんど何ひとつ変わらない。すべてを矯正したいと切望しながらも、ワーニャ伯父さんは銃を向けた相手に向かって言い放つ。

「以前と同じに、月々の仕送りをしますよ。何もかも前と同じようにね」(ВАНЯ, p.112)

それは何と乾いた、悲しい響きを持っていることだろう。しかも彼は「働くんだ、働くんだ!」(ВАНЯ, p.113)と呟いて、恋を失った痛手を抱えるソーニャと共に、何事もなかったかのように帳簿に向かうのだ。ワーニャとソーニャのみならず、「一生に一度」(ВАНЯ, p.112)だけと恋する男を抱きしめながらに、妻の義務に背かないためだけに年老いた夫について行くエレーナも、一見飄々として見えるが、内心「こんなばかげた、こんな味気ない生活」(ВАНЯ, p.108)を送っていると苦々しく感じているアーストロフも、皆やるせない。変化を手に入れるのはただ一人、もっとも無感覚で、もっとも俗的な人物であるセレブリャーコフのみであって、この教授はあろうことか、他の面々に対して、旅立ちの挨拶にこう言ってのけるのである。

「皆さん、仕事をすべきですぞ!仕事をすべきです!」(ВАНЯ, p.112)

ワーニャ伯父さんが、この先また自殺を企てることはないだろうか?――それは誰にも分からない。だがともかく、劇の終幕近く、彼とソーニャは確かに「仕事」をしている。彼らはそれをしなければならないのだ。住む場所を守らなければならないし、仕送りもしなければならない。彼らは、さしあたって生きていくほかにない。自ら命を絶つにせよそうでないにせよ、いざ死ぬその時までは、どのみち耐えて生きるよりないのだ。今や、『ワーニャ伯父さん』が『森の主』とは異なる、その最大の特徴はひとえに、失意に落ちたソーニャとワーニャがそれでも尚「生きていく」、というところにあるのである。

 


第二節 絶望に裏打ちされた希望

 

しかしながら、トレープレフの絶望、その死が、チェーホフ自身の自己超克を目的としていたとするならば、「その声も、もう、柔らかく」[31]なるほど老成した作家が、絶望の後にも続く生をワーニャ伯父さんに与えたのは何のためなのか、という疑問が残されている。決然とした、過酷な「現実」の追求は、いったい何を目的としているのだろう。そしてわれわれの方でも、それを「冷血漢」のペシミスティックな視線だと定めることで、チェーホフが「冷血によってちょいとものを書く」[32]のだとでも言おうしているのだろうか?――もちろん、そうではない。しかしそれを説明するためには、ひとまず、先から述べている「理想主義」と「現実主義」は、本稿においては一体どのように定義されているものかを説明することから始めなければならないであろう。

「文学者は科学者と同様に客観的でなければなりません」[33]とチェーホフは語った。この、客観的であれ、現実的であれという思想がトレープレフを黄泉の国に送り、その徹底が、『森の主』から『ワーニャ伯父さん』を生みだしのだ。われわれが第二章で「現実主義への移行」という言い方をした理由もここにある。しかし、最も注意を払わなければならないことが他にあるのだ。理想的なものは、あらゆる意味で完全に乗り越えられてしまったわけでは決してない、ということの方を、われわれは強調しておかなければならない。確かに、ある点では――たとえば、若者のあまりにも熱烈な盲信や、ドラマチックさを演出するための死といったものは――姿をひそめるようになり、現実生活にも似た絶望の構造は一層堅牢になる。だが、そのようにして排除されたものは、しようと思えば「空想」と言い換え得るような「理想」であって、それはわれわれの回りを頼りなく浮遊するにすぎない「理想」なのである。「四方八方に芽を出し、まだ曲がりくねっていた」[34]若い樫の木が、自らが持っているものとその責任とを深く自覚するにあたって、次第に一つの道へ、より厳しい道の方へとまっすぐになっていく過程の中で、そのような「空想的理想」はもはやチェーホフの心を捉えなくなっていったのだ。そして彼は、若かりし頃は自分自身や身近な周囲にひたすら向けられていただろうその両目を、次第に一層広い世界へも向けるようになったのである。そのために、快い羽の肌触りでなく「鈍い鋸」[35]をチェーホフは求めたのだ。その心境については、彼を慕ったゴーリキーの筆が鋭く書き表していると思われるので、ここに引用したい。

 

アントン・チェーホフのようにはっきりと鋭く、生活の些細な出来事にひそむ悲惨さを理解していた人はいない。また、小市民的な陳腐さの、どんよりした混沌状態にある生活の、恥ずべき憂鬱な光景を、世の中の人に向かってあれほど容赦なく正しく描くことのできた人は、彼以前にはひとりもいなかった。彼の敵は卑俗さだった。彼は一生それと戦った[36]

 

チェーホフがいわゆる「灰色の貧しい生活」や、それにまつわる一切を嫌ったことは、ブーニンも書いている[37]。彼は苦い現実をあえて書くことで、その刃が人々の自覚を促すことにいつか繋がることを望んでいたのである。ゴーリキーによれば、チェーホフは卑俗な人々に対して最も冷淡になる時でさえ、「侮蔑しながらも同情していた」[38]のだから。

しかし、そうは言ってもわれわれが、彼をわれわれにとっての啓蒙家のように扱えば、やはり道を踏み外してしまうことになる。「自分の人間的な価値に敬意を払うことができず、抵抗もせずに粗暴な力に屈服し、奴隷のように生きて」[39]いる人々に対する軽蔑と同情の視線を、チェーホフはどこから送っているのかを考えてほしい――その「高さ」はどうして作られることができたのかを。「灰色の生活」に没入してしまいかねなかったのは、金銭的苦労に悩まされた若き日の彼自身もそうだったのではないのか。チェーホフが啓蒙的であったとするならば、「われわれにとって」ではなく「彼自身にとって」である。彼は人々に呼びかけるよりも何よりも先に、自分を叱咤し、つねに高みを目指して不断に努力を重ね続けたのだ。そうであれば、チェーホフは神か聖人のように、高みからわれわれを見下ろしているわけではない。たとえ彼がわれわれに警鐘を聞かせるとしても、それは常に、彼自身の人間的向上の追及に伴われているのである。

われわれは、最初に投げかけておいた問いに対して答える時が来たようだ。チェーホフは「陰鬱な人間」だとする言い方には、すぐに反論できるだろう。「かくあれ」という姿に、意思でもって自己を近づけ続けた人が、人々の目覚めを、空しい望みと知りつつ悲しげに期待した人が、陰鬱であるはずはない。ヴィジョンを持っている以上、彼は「理想」そのものを断ち切ったわけではないのである。では、それがすなわち「チェーホフ的悲哀」ということになるのか。あるいはチェーホフの「やさしさ」、「人間愛」なのか?――「空想」が消えたあとに残る「理想」とはどのようなものかを考えれば、これにも否を唱えることができるだろう。「もし私たちがただ空想しているだけなら、いったい誰が生活をよくするのか?」[40]というゴーリキーの言葉がわれわれを後押ししてくれる。もし「理想」が夢物語のようなものであることをやめ、「現実」と歩みをともにするなら、それはどこか遠くではなく人間の内に身を落ち着けて実際に存在するようになる。われわれがチェーホフは現実的だと言うのは、この意味においてである。現実を鋭く見据えれば見据えるほど、そこかしこから滲み出ている卑俗さに気づき、早急になすべき諸々の課題が明確になり、それらは現実から発生した限りにおいて実行可能なものなのだから、順次実践してゆく。すると実際に前進がある―しかし、終わりはないのだ。現実は、われわれの生きるこの世界とは汲みつくしえないものなのだから。課題は無限に産み出され、前進はあっても到着はない。ある意味では、それは達成し得ないこと運命付けられた理想であり、希望なのだ。もし「悲哀」があるならばこれである――だがそれは、終わりなき道を敢えて歩む者の、無意識にこぼれた溜息とでも言うべきものであって、無知な人々に対する哀れみでは決してない。「やさしさ」も「人間愛」も、われわれより遥かに優れた人間が、卑小な者たちに示してやる寛大さでもなければ、情け深い同情でもないのだ。終着点はないと知りながら、ただ少しでも近づくためだけに、チェーホフが病にあっても努力を休まなかったその強い意志に、われわれの方が「やさしさ」を見るのである。

「本当の意味の理想主義は、[……]普通に行われているよりも一層深く世界を把握し、そしてこれを自分自身の内部において克服する点にあるのである」[41]と、スイスの哲学者ヒルティは言った。この言葉こそ、こうしたチェーホフの歩みに当てはまるものではないだろうか。絶望して死にゆく『かもめ』から、絶望という裏地を持つ希望、叶わないものではあっても、確かに存在する希望を示した『ワーニャ伯父さん』へ――この流れは『三人姉妹』に受け継がれ、ついには『桜の園』へと至る道である。われわれとしては、それは迫り来る死の足音を耳にしていたチェーホフが、未来に託した夢ではなく、この類まれなる「理想主義的現実主義者」が、その最後の瞬間まで自己改革の手を緩めなかった証拠であり、あの名高いソーニャの長台詞が、何か神がかった熱狂ではなく、現実に生きる人間の、滲み出るみじめさと切なさでもって、われわれに迫ってくるその所以であり、そうであればこそ、これらの作品が、われわれの胸を激しく打つのだと信ずる次第である。

「おかわいそうなワーニャ伯父さん、泣いてらっしゃるのね……[……]あなたはご自分の人生で、どんな喜びも知らずにいらしたのね。でも、もうしばらくよ、ワーニャ伯父さん、もう少し待つの。……そしたら、わたしたち休めますわ……[……]わたしたち、休むことができるんだわ!」(ВАНЯ, p.116)

 

 



[] I・ブーニン――イワン・アレクセーエヴィチ(18701953)

[] 池田健太郎編『チェーホフの思い出』,東京,中央公論社,1969年。

[] 上掲書、148149頁。I・ブーニン「А・П・チェーホフ」より。

[] 同所。

[] А.П.ЧЕХОВ, СОЧИЕНИЯ ТОМ ДВЕНАДЦАТЫЙ ПЪЕСЫ 18891891, МОСКВА,1978. 以下、本文中で引用を行う場合ЧАЙКА. と表記する。

[] А.П.ЧЕХОВ, СОЧИЕНИЯ ТОМ ДВЕНАДЦАТЫЙ ПЪЕСЫ 18891891, МОСКВА,1978.以下、本文中で引用を行う場合ВАНЯ. と表記する。

[] 第一章で頁付のみ示す場合、『ЧАЙКА』を指す。

[] リジヤ・アヴィーロワ――リジヤ・アレクセーエヴナ(18511942)

[] 『チェーホフの思い出』、6768頁参照。

[10] チェーホフ本人の手による短い「自伝」の中の一節だが、今回は原著を入手することができなかった為、以下から引用した。

アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフ『チェーホフ・ユモレスカ』松下裕訳、新潮社、295頁。

[11] V・コロレンコ――ウラジーミル・ガラクチオノヴィチ(18531921)

[12] 『チェーホフの思い出』、14頁。

[13] 上掲書、同所。

[14] 前掲書、31頁。

[15] 前掲書、15頁参照。

[16] チェーホフは新聞『新時代』に「アガーフィヤ」という作品を掲載した後、『現代人』などに参加していたD・グリゴローヴィチから、「内面分析の確かさと、数行で一幅の絵を成す力からして、貴君は真の芸術家たるべき人。才能を乱費なさらぬように」というような手紙を受け取った。

[17] 『曠野』――Степъ.

[18] 『チェーホフの思い出』、16頁参照。

[19] 上掲書、141頁参照。

[20] 前掲書、138頁参照。

[21] 『イワーノフ』――Иванов.

[22] 前掲書、1920頁参照。

[23] 神西清、原卓也、池田健太郎訳『チェーホフ全集12 戯曲U』,東京,中央公論社,514頁参照。

[24] 『森の主』――Леший.

[25]『チェーホフ全集12 戯曲U』、429頁。『森の主』でソーニャの美貌が特筆されているわけではないが、元より『ワーニャ伯父さん』で不器量さが殊更強調されているのである。

[26] 池田健太郎訳,『チェーホフ全集16』,東京,中央公論社,436頁。

[27] 池田健太郎訳,『チェーホフ全集15』,東京,中央公論社,19頁。

[28] 『かもめ』ではトレープレフを演じた。

[29] ハウプトマン――ゲアハルト・ハウプトマン(18331909)。ドイツの劇作家、小説家、詩人。

[30] 「文集」二十三号、一九一四年、ローザ社、194頁。『チェーホフ劇の世界――その構造と思想――』、佐藤清郎、筑摩書房、79頁より引用。

[31] 『チェーホフの思い出』、136137頁参照。

[32] 「冷血でもってちょいとものを書く」――批評家N..ミハイロフスキイ(18421904)が、『父と子及びチェーホフ氏について』という論文の中で、チェーホフをこう評した。

[33] 『チェーホフ全集16』、52頁、1887114日、チェーホフからキセリョーワ宛の手紙から。

[34] 『チェーホフの思い出』、13頁参照。

[35] 湯浅芳子訳,『チェーホフとゴーリキイ 往復書簡』,東京,筑摩書房,7頁。

[36] 前掲書、218219頁。

[37] 前掲書、138頁。

[38] 前掲書、217頁。

[39] 前掲書、218頁参照。

[40] 前掲書、221頁。

[41] カール・ヒルティ「どのようにして策略なしに常に悪と戦いながら世を渡ることができるか」、124頁。ヒルティはスイスの法学者、哲学者。代表的著作に『幸福論』など。