2004年12月21日付「おろしゃ会」ニュース


まとめてどっさり

回顧2004年後半


8月27日から9月3日にかけて県立大学学生らとシベリアに行く


 

   

バイカル湖畔にたたずむ戸松                         県大関係者4人

 

県大の3人

 

アンガラ川で 左から佐藤、打田(早稲田大)、加藤、石原(県大)、田川(星城大)

 

 

ロシア旅行が与えてくれたもの

 

早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修2年 打田仁美

 

 

 私は去年の夏に第4次クラスノヤルスク訪露団・シベリアの自然と文化に親しむ旅に参加しロシアへ行きました。イルクーツク、クラスノヤルスク、ウラジオストクの三都市を回る全8日間の旅でした。

 私はずっとこれといったきっかけは無いのですがロシアが大好きでした。私はロシアに衝撃を与えられるばかりでした。はじめて受けた衝撃は今でも覚えています。小学校の給食に出てきたボルシチです。赤い色と奇妙な名前が衝撃だったのです。それからというものフィギュアスケートのイリア・クリク選手に一目ぼれ、高校生のときは「映像の世界史」でスターリンの映像を見て心奪われました。ロシアの歴史を学ぶだけでは飽き足らず今は大学でロシア語を学んでいます。(ロシアが大好きなのですがロシア語の出席率はあまり良くありません…。)そしてロシアについての本を暇さえあれば読み、たくさんの衝撃を受けています。

 そんな私なもので、ロシアへの旅行が楽しみで仕方ありませんでした。関西空港から出発し何時間もかからずにウラジオストクに到着したので、始めは実感がありませんでしたが段々と「ロシアへ来たんだ!」という感動に変わっていきました。その日はすぐにウラジオストクからイルクーツクに移動しました。イルクーツクではバイカル湖クルーズを楽しみましたがあいにくの悪天候で残念でした。三泊した後クラスノヤルスクへ行きました。ここでは空港からVIP待遇だったため驚きました。次の日にはクラスノヤルスク大学へ訪問し、向こうの学生達と討論会をした後に一緒に出かけました。向こうの学生達は日本語がある程度話せ、会話は主に日本語と英語で行われました。自分は大学でロシア語を勉強しているのに情けないなと落ち込みました。それでもくよくよしていても仕方ないのでサッカーの話や恋愛の話などをして交流に励みました。クラスノヤルスク滞在の最後の夜はお別れパーティが行われ最後までもてなしてもらい嬉しかったです。クラスノヤルスクの次はウラジオストクにまた戻り一泊して帰国しました。

 帰国してからは「あー楽しかったなぁ」と思うだけでしたが、時間が経つにつれこの旅行が与えてくれたものは多かったと実感し始めました。一緒に旅行を共にした愛知県立大学と星城大学のみんなやクラスノヤルスク大学の学生などかけがえのない友達ができました。たくさんの出会いや色々な所を観光したこと、頑張って買い物をしたこと、VIP待遇など本当に良い経験をすることができました。さらに、今までの考えががらりと変わりました。私は今まで飛行機が嫌いなため海外へ行きたいという気持ちはありませんでした。しかしこの旅行により考えが変わり、海外旅行が好きになり12月にはトルコへ行きました。前の私なら考えられなかったことです。そして私は海外旅行への意欲と共に語学の喜びに目覚めました。ロシアで悔しい思いをしたため多少トルコ語を覚えトルコへ行ったのですが、言葉が通じたときの感動といったら言葉に表せない程でした。(ただその後のロシア語の出席率はよくならなかったことは反省ですが…。)この語学の喜びが大きかったあまりに私は4月から日本語教師の資格を取る勉強を始めることに決めました。もちろんロシア語も頑張るつもりです。

 このように8日間のロシア旅行はただ単なる「良い思い出」に留まらず私に多大な影響を与えてくれました。本当に素晴らしい旅行だったと思います。

 

 

                8月30日夕刻 クラスノヤルスク空港到着 パンと塩の歓迎を受ける

 

オクチャブリスカヤ・ホテルでクラスノヤルスク国立大の学生と夕食

 

 

ウラジオストクでの最後の夜に 田辺絶唱

 

シベリア鉄道の起点・ウラジオストク駅で


10月2日・3日犬山で開催された国際シンポジウムでおろしゃ会OB・OG大活躍


    

シンポジウムを支えたおろしゃ会の平岩・幅・高木・萩野・名大院生の今村氏  英露二カ国語の通訳を一手に引き受けたマリーナ・左は名大助教授イゴリ・サヴェリエフ氏(おろしゃ会寄稿者)

 

シンポジウムで通訳をするマリーナ


10月19・30日・31日に開催された県大祭でおろしゃ会模擬店大繁盛・NHKでも放映


 

左より 部長の加藤彩美、部員の亀山、西川

 

左より部員の木村、井上、加藤

 


10月30日・31日東京工業大学で開催された日本スラブ東欧学会でおろしゃ会関係者発表


左から姫野さん(早稲田)、乗松氏(東大院)、平岩氏(京大院 )

 


12月19日・日曜 第9回エクスクルシア

アリョーシャの来日を記念して伊賀上野に行く


 

俳聖殿の前で(伊賀上野は松尾芭蕉の生地です)

 

  

忍者屋敷の前で 加藤 亀山 伊藤

  

 

芭蕉生家にて 森 亀山 アリョーシャ マリーナ 加藤史朗 加藤豪 

 

 

 

「近畿鉄道で行く伊賀の旅 2004 12月19日(日)晴れ 

 

愛知県立大学文学部英文学科2年 亀山昂志

 

 

この度、おろしや会の遠足ということで、忍者を探しに三重県は伊賀市まで、14名の参加者で行ってきました。伊賀市といえば、かつては伊賀忍者の里があったことで有名です。はてさて忍者は今もいるのでしょうか。

この遠足は、アリョーシャさんが忍者にとても興味があったこと、が経緯で企画されました。ロシアで忍者が人気なのかは気になるところですが、日本ブームというものはここ最近よく聞く話です。アリョーシャさんはスウェーデンの大学で数学を学んでいるようで、スウェーデンではロシア語がなかなか通じるらしい(昔、スウェーデンでは徴兵時に軍隊でロシア語を学んでいたらしい)ので、スウェーデン語をあまり話せなくてもやっていけるそうです。

集合時間(朝8時40分)に、アリョーシャさんとマリーナさんが遅れてきたので、アリョーシャさんが加藤先生に謝ると、先生は「ニチェヴォ」と言いました。これはつまりよくある表現の一つで、遅れてきた人が謝って、他の人達が ニチェヴォ(大丈夫だよ。気にしないで) と言うのだそうです。

近鉄で2回乗り換えて、約2時間ほどして漸く着いた伊賀市は、古びた町並み(廃パチンコ屋など)が漂っていて、とても閑散としていましたが、忍者屋敷や上野城がある上野公園に行くと、ある程度の観光客達で賑わっていました。私は、お昼は「伊賀牛うどん大盛り」を食べました。「三重のうどんのダシの味は、関東とも関西ともつかない味だ(つまり中部の味)。」とおっしゃっておられた関東出身の方がいました。

忍者屋敷は上野公園一の見所で、仕掛けがいくつか施された忍者の屋敷が見学できます。壁が裏返ったりする仕掛けや、床板がはずれて中に武器が隠してある仕掛けなどのようなベタなものが多かったですが、中には「こりゃ一本取られた!」みたいなものもありました。また、忍者博物館もありました。

アリョーシャさんとマリーナさんがなかなか忍者博物館から出てこなかったことから察するに、よほど熱心に見学されていたのでしょう。

その後、上野城を見て、公園を後にし、松尾芭蕉の生家を見学しました。昔の家といった感じでしたが、松尾芭蕉の「芭蕉」は植物の名前から取ったペンネームであることを初めて知りました。しかもその「芭蕉」ですが、南の島に生えてそうな、トロピカルな植物だったので、松尾芭蕉っぽくないな、と思いました。

夕御飯は、名古屋駅付近にある、「ロゴスキー」というロシア料理屋でとりました。偶然にもアリョーシャさんのおじいさんの苗字が「ロゴスキー」だったそうで、縁のありそうなレストランでした。「ザ バス!(あなたのために。乾杯。)」というアリョーシャさんの音頭で楽しいディナーを始めました。

とても楽しい一日でした。参加して良かったです。

追記です。三重県は愛知県の隣にありますが、方言は少し異なります。私は、近鉄に乗りながら、周りに座っている人達が三重弁を話すのを、とても興味深く聞いていました。「〜ちゃうわ」とか「〜やん」や「〜やな」など語尾が少し大阪弁っぽいと私は思いました。三重弁は、私には大阪弁に聞こえますが、三重県民に言わせると、大阪弁とは全く違うみたいです。ちなみに兵庫県の人も、ほとんど大阪弁っぽいですが、兵庫弁だそうです。つまり大阪弁は大阪のみにおいて話されている方言なのでしょうか。

 

伊賀上野城の前で

 

ロゴスキーで夕食後解散。JR高島屋前でマリーナとアリョーシャ