2002年7月18日付「おろしゃ会」ニュース
              


マリーナ・ロマエヴァ歓送会

Прощальная вечеринка

Марина, до свидания!







  ロシアからの留学生マリーナは二ヶ月間、県大で精力的に活動をしてきました。国際関係など、たくさんの授業を受講し(その授業数の多さに私はとてもびっくりしたのですが)、おろしゃ会では、忙しい中、毎週私達にロシア語を教えてくれました。私は彼女との交流を深めていく中で、彼女の物事に対する積極性と真剣さに驚くと同時にそれらを素晴らしいと思いました。彼女と出会えたことをとても嬉しく思っています。
 そんなマリーナが、いよいよ7月15日にシベリアのクラスノヤルスクに帰ります。マリーナとの別れを惜しみ、楽しい思い出をさらに確かなものとするため、私たちは歓送会を企画しました。
                                      おろしゃ会 田村明子


                 日時 7月12日(金) 
                 時間 午後5時から7時  
                 場所 愛知県立大学生協食堂
                 司会 平岩貴比古(おろしゃ会)


 クラスノヤルスク大学からの留学生マリーナ・ロマエヴァは、おかげさまで愛知県立大学での生活を満喫して帰国の途につくこととなりました。
 彼女は講義や演習に積極的に参加しただけではありません。5月15日のおろしゃ会遠足(犬山)を皮切りにクラブ活動にも積極的に参加し、日本語の授業では「日本における選挙と投票行動」、加藤の演習では「タルコフスキーと若い世代」、加藤担当の講義「民族と国家」では、100人以上の学生を前に、自らその血の半分を受け継いだ「タタール人」について話し、さらに「諸地域研究(極東ロシア)」では、クラスノヤルスク地方の現状に関する報告をしてくれました。また木曜日のロシア語初級では、私のアシスタントとしてロシア語の発音とロシア民謡の歌唱指導に当たりました。昨日の最後の授業では、別れを惜しむ学生たちがマリーナを取り囲み記念撮影をしたり、お土産を渡し、彼女に習った惜別の歌をロシア語で歌ったりしました。
 彼女の活躍は学外にも及びました。稲葉様に有松など各地に連れて行っていただいたり、田辺先生に常滑に案内していただいたり、大阪の岡本様の家に招いていただいたりとその東奔西走ぶりは枚挙に暇がないほどでした。また東海テレビ木村様の招きで、ミュージカルなどの観劇やTVスタッフとの懇談を経験したり、石田流家元の招きでお茶会に参加、6月28日(金)には、高橋則行氏ほか3名の県会議員の招きで、4時間にわたって県会の本会議を傍聴、民主クラブ高木議員の質問を聞く機会にも恵まれました。
彼女の滞在は、二ヶ月という短期間ではありましたが、その日本語能力は驚くほどの上達ぶりです。また彼女は、県大諸先生の教授水準の高さに感激しており、クラスノヤルスク大学を卒業した後、是非とも本大学の大学院に進みたいと希望しております。このために、過日、彼女自らモスクワに手紙を書き、プーチン大統領奨学基金を申請しました。彼女の依頼に応え、共通グループの早川先生、木下先生、私の三人が推薦状をしたためましたが、採択は理系学生優先で、なかなか難しいのだそうです。しかし、本学に到着して二週間ほど経った時点で、モスクワの日本財団から奨学金支給を知らせるメールが届きましたし、クラスノヤルスク大学現代外国語学部学部長から電話で成績最優秀者としてマリーナの表彰が決まったなど次々と吉報が届くのを見ていますと、彼女なら、ひょっとすると、という期待を抱かせます。また某先生の「東京大学の大学院に進んだほうが貴女の将来のために良いのでは」という発言に、「私は、ロシアの地方と日本の地方とが結びつく仕事がしたいのです」と反論、クラスノヤルスク地方と愛知県とを結ぶ「架け橋」になりたいと述べておりました。その志の高さには全く脱帽であります。
 マリーナは、明日、静岡市の知人宅に泊まり、日曜に東京の加藤宅で一泊の後、7月15日(月)に新潟空港を発ち、ハバロフスク経由でクラスノヤルスクに帰ります。
 本日は、この場にマリーナの留学に際しご協力を賜りました各方面の皆々様、50余名にお出でいただいております。特にマリーナを家族の一員として温かく迎え、親身になってお世話してくださいました稲葉様ご家族の皆様に、この場をお借りしまして心より御礼申し上げます。       (おろしゃ会顧問:加藤史朗)


先生方からマリーナへ

※マリーナさま
 たった2カ月の短い留学でしたが、マリーナさんの勉学に対する意欲的な姿は、県立大学の学生にも教員にも、とても大きな影響と印象を与えてくれたように思います。また、日本を離れがたく思っているというマリーナさんの気持ちは、受け入れたわれわれにとって、うれしい限りです。ほんとうにありがとう。
 まるで、ここでしか手に入らないとても濃縮な栄養ドリンクを、毎日イッキ飲みし続けていたようなこの2カ月。味わいは、甘くもあり、苦くもあり、また、満腹でもあり、胃の調子も悪くもあり・・・だったかもしれませんね。クラスノヤルスクに帰ったら、どうか、ゆっくりゆっくり時間をかけてそれを消化して、マリーナさんの血や肉にたっぷりつけてください。
 そして、もっともっと大きくなったマリーナさんと、またこの愛知県立大学でお会いできることを楽しみに待っています。
 では、お身体にお気をつけて、ね!(日本語教員課程 東 弘子)

※講義形式の授業では、普通、日本人の学生は「ふむ、ふむ」と聞いています。しかし、マリーナさんは授業中でも堂々と質問してくれます。これは、本当に刺激的な体験でした。どうもありがとうございました。(学部共通グループ:木下郁夫)

※どうぞ、お元気で!(学部共通グループ:早川鉦二)

※ミス・マリーナへ

  今日は仕事の関係で歓送会に出席できず、申し訳なく思っています。
  5月にマリーナが最初の僕の授業に出席して、恥ずかしそうにしていたのを昨日のように思い出します。それから、早いもので2ケ月があっという間に過ぎてしまいました。
  私の知る限り、貴女ほど県大の教員と学生に親近感を持たれた留学生はこれまでいなかったように思います。その理由は、貴女のもつ明るさとまじめさ、日本語の優れた能力、そして何よりも時どき見せるはにかんだような微笑みにあったのではないでしょうか?
  マリーナは、県大に清涼感のある風を吹き込んでくれました。特に、貴女の真摯で積極的な授業態度は、大学院生を含む本学の学生に良い刺激を与えてくれたように思います。また、マリーナは、若かりし頃の私を彷彿とさせるところがあり、学問に対する情熱をあらためて私に思い出させてくれました。
  なお、本日は学生と加藤先生の歌が披露されるそうですが、出席されている森学長と日置学部長の「美声」も是非聞かせてもらって下さい。それを聞いて、帰りたくなくなるか、それとも早く帰りたくなるか分かりませんが。
  それでは長くなりましたが、2年後に県大の院生としてマリーナに再会できることを楽しみにしています。(学部共通グループ:高島忠義)
 



【参考資料】
申請人と知り合った具体的経緯を示す書類(外務省へ提出)

昨年、8月、保証人が日本とロシアの友好と平和を促進する愛知の会(代表・愛知県県会議員高橋則行氏)の一員としてクラスノヤルスク市を訪問した折に、通訳のボランティアを務めたマリーナ嬢と知り合った。真面目な学生であり、将来本格的に日本の大学で日本語の研鑚や日本事情などを研究したいという彼女が、その準備段階として、学部学生の間に短期留学を希望したため、保証人の属する愛知県立大学学長と申請人の属するクラスノヤルスク国立大学学長との間で同封コピーにあるような「協定書」を結び、特別聴講学生として受け入れるに至った。
ここに具体的経緯を述べる。8月16日、我々一行はクラスノヤルスク空港に到着し、そこで、通訳としてのマリーナ嬢に紹介された。以後、一行が同市を離れる 8月19日まで付き添い、通訳を務めてくれた。その間の主な行事は、クラスノヤルスク州知事、市長、市議会議員との会談であった。その際、誠実に通訳を務め、その姿に我々全員が感動したのを覚えている。もう一つの大きな行事は、クラスノヤルスク市に新たに建立された日本人抑留者慰霊碑の除幕式であった。その際も、地元テレビ局の取材に対し、通訳として大きな役割を果たしてくれた。これらの彼女からの助力に際し、我々を感嘆させたことは、日本語能力の高さだけでなく、自国の文化に対する理解の深さであった。以上が具体的経緯である。
なお付記すれば、同嬢は、ロシアにおける日本語スピーチコンテストで優秀な成績をおさめ、2001年9月、国際交流基金の招きで、2週間、日本に滞在した。その際も、上記訪問団主催の歓迎会が名古屋で行われた。
                                          2002年4月5日
愛知県立大学外国学部教授
                                          加藤史朗
 
 

協議書(ロシア語版)
Соглашение о приеме студентки
Красноярского государственного университета (РФ)
Университетом префектуры Аити в качестве стажера

1. Университет префектуры Аити принимает в качестве стажера студентку IV курса японо-английского отделения факультета современных иностранных языков Красноярского государственного университета для прохождения краткосрочной стажировки в данном университете.
2. Продолжительность стажировки ? с апреля 2002 года по сентябрь 2002 года.
3. Стажер принимается в качестве особого слушателя общего курса лекций на факультете иностранных языков Университета префектуры Аити.
4. Университет префектуры Аити не несет никаких расходов, связанных с пребыванием и обучением стажера.
5. Стажер следует положениям устава Университета префектуры Аити во время прохождения обучения.
6. Данное соглашение  вступает в силу в случае подписания его обеими сторонами или же, если обе стороны не подписывают его одновременно, во время вторичного подписания, и теряет силу с истечением срока стажировки.

25.01.2002                       25.01.2002
Ректор Красноярского
государственного               Ректор Университета
Университета                              префектуры Аити
А.С. Проворов                                             Мори Масао
 
 

協議書(日本語版)
クラスノヤルスク国立大学(ロシア連邦)女子学生の愛知県立大学
受け入れに関する協議書

1.愛知県立大学はクラスノヤルスク国立大学現代外国語学部日本語・英語専攻課程4年の学生を当大学における短期留学生として留学させることを認める。
2.留学期間は2002年4月から2002年9月までとする。
3.当該留学生は愛知県立大学外国語学部共通課程の特別聴講学生として受け入れられる。
4.愛知県立大学は留学生の生活および学習に関するいかなる経費にも責任を負わない。
5.当該留学生は勉学の期間、愛知県立大学の諸規則を遵守する。
6.当協議書は両大学当事者の双方が署名したとき、あるいはもし両者が同時に署名しない場合は、両者のうち二番目の当事者の署名をもって効力を発し、当該学生の留学期間の終了をもって失効する。
 

クラスノヤルスク国立大学学長                        愛知県立大学学長      
A・S・プロヴォロフ                             森 正夫
2002年1月25日                               2002年1月25日 
 
 


【出席者ご芳名】

敬称略 当日の名簿による。記載漏れ、誤字脱字、順不同などご寛恕ください。


一般社会人
稲葉佳子(ホームステイ先稲葉治様ご令室)稲葉千紘(同ご令嬢)小山良治(愛知日ロ協会会長)信藤一枝(日ロ協会)鳥山進(同)鈴木基治(同)浅野好子(同)片桐清高(県会議員)高木浩司(県会議員)小島丈幸(県会議員)松原幸江(石田流師範)加藤淑子(石田流師範)伊藤秀男(日ロ友好愛知の会)木村高志(東海テレビ事業局局長)田邊三千広(名古屋明徳短期大学)堀内守(名古屋大学名誉教授)江崎春海(自民党愛知県連)その他

県立大学教職員
森正夫(愛知県立大学学長)日置雅子(外国語学部学部長)林迪義(フランス学科)大黒康子(外国語学部事務局)松宮朝(社会福祉学科)スヴェトラーナ・ミハイロワ(県立大学ロシア語講師)東弘子(学部共通)木下郁夫(同)加藤史朗(同)

一般学生
大西孝一郎(フランス学科)加藤孝雄(中国学科)村井香苗(ドイツ学科)吉田祐子(同)山崎みえ(同)本井智子(同)森紗波(社会福祉学科)橋本知帆(同)服部陽介(同)中瀬綾乃(英米学科)大橋美由紀(同)三原佳子(同)川上真紀子(藤田保健衛生大学大学院)十亀まり子(名古屋明徳短大)鈴木千愛(同)

おろしゃ会学生
鈴木夏子(英米学科)真栄田裕哉(同)久野栄子(同)高木利佳(スペイン学科)平岩貴比古(日本文化学科)田村明子(フランス学科)鈴木敦子(同)加藤彩美(英文学科)ガウハル・ハルバエワ(名古屋大学大学院)その他  


            

事務の一切を取り仕切ってくださった大黒さん・ご子息二人から花束を贈呈される



マリーナから皆様へ

皆さん、今晩は!

挨拶の初めとして、おかしいかもしれませんが、皆さん、私は何歳だと思いますか。
                 
いいえ、まだゼロ歳なのです。なぜかと言うと、私には去年の9月に新しく人生の再スタートを切る機会が出来て、生まれ変わりました。その時、シベリアの真中に当たる、私が住んでいるクラスノヤルスク市に名古屋から友好親善訪問団が来て、4日間ほど滞在しました。私はボランティアとして日本語通訳を手伝うことになって、訪問団の一員としてクラスノヤルスク市にいらっしゃった加藤史朗先生と知り合いになりました。その出会いは、マリーナに対して、まるで運命を決することでした。マリーナの人生は多彩な日本と離れられない存在となって、クラスノヤルスク市で送っている日々がただ準備勉強の一時期に過ぎないと考えるようになりました。

それは、マリーナが決して自分の住んでいるクラスノヤルスク市がきらいだというわけではありません。将来にも、地元の繁栄を願って、クラスノヤルスク市における同時通訳の第一人者になりたいと夢見ております。しかし、ボランティア通訳の経験のお陰で、私が分かってきたのは、国際対話は、言葉だけによって成り立たないと言うことでした。いくら日露友好を促進しようと、両国の国民に訴えても、無駄話にすぎない場合が多いです。だから、国際関係の理解に欠かせない専門の勉強について加藤先生に相談して、愛知県立大学の特別聴講学生となり、マリーナの念願が叶いました。

2ヶ月という期間は長い時間ではありませんが、長久手町に来て、たくさんの思い出と学習の経験を積んできたので、私にとって、有意義な毎日だったと思います。初めに、名古屋空港に着いて、先生方と「おろしゃ会」の学生に迎えてもらいました。日本の土地に踏み込んで、ロシア語の挨拶を聞いて、びっくりしました。それ以後も、ホームシックになった時、懐かしいロシア語の響きが聞こえる「おろしゃ会」の部室に行って、学生たちに自分の悩みを語って、日本事情について聞いたり、意見交換をしたり、遊んだりしていました。

ホスト・ファミリーのお父さんとお母さんと千紘ちゃんに初めて会ったのは、もう夜9時を回ったところでした。外は雨がびしょびしょと降っていました。その時からほとんど毎日マリーナは遅く帰ったり、夜更かししたりして、天気はぐずついたりしていました。破壊の規模で自然災害にも負けぬマリーナは日本全国の各所に忘れ物をしたり、食事をするたびに物をこぼしたりしていて、見当もつかない行動をしていました。それにもかかわらず、家族の皆さんが私を家族の一員として、暖かく見守ってくださって、とても優しくして頂いたので、すぐに安心して、本当に楽しい日本の生活をすることができました。普通のロシア人には考えられない材料を使ってロシア料理を作っていた一晩をいつまでも忘れられないと思います。

初めて大学の授業に出た時、クラスノヤルスクで4年間習っていた日本語の能力は、日本の小学校の水準にも達しない、しかも国際関係という面における自分の予備知識がほとんどない、とすぐ分かって、もう少しで、がっかりして落ち込みそうでした。しかし、高島先生、木下先生、加藤先生、早川先生、土屋先生、東先生、新川先生、寺島先生をはじめ、大学の先生方は大切な時間を割いて、専門用語の定義から複雑な概念まで説明していただいたり、ゼミの間にロシアの事情や私の意見を聞いていただいたり、発表をさせていただいたりして、だんだん講義や演習の構造と内容が理解できるようになって、大学で過ごす毎日は私にとって大きな楽しみとなりました。それに、世界各国の留学生と日本人の学生たちに自分の妹のように取り扱われたり、可愛がられたり、応援されたりしていて、深く感動しました。

また、授業のない時にも、県議会議員の方々や東海テレビの木村さん達や去年クラスノヤルスクを訪問した生け花と茶の湯の先生方やお母さんのお友達に、愛知の県会議事堂やお茶会の見学、ガーシュウインのミュージカルや新歌舞伎の「西遊記」の鑑賞、習字の勉強などさせていただいて、日本の社会活動、伝統文化と最新の傾向に少し触れることができました。

2ヶ月という短期間の間に、名古屋の皆さんとの友情の絆に結ばれて、将来にその結びつきを大事にして、精一杯を尽くして、頑張りたいと思います。いま自分は、勉強の環境や信頼関係に非常に恵まれていると思います。2年後の愛知県立大学の大学院への進学を目指して、皆さんの期待を裏切らないように、様々な知識を身につけようと思います。

ついに明日、東京経由でロシアへ帰ることになりました。色々なことを思い出すと、長久手町や、県立大学、家族の皆さんと別れるのが悲しくなります。日本に来て、初めて家族といっしょにいる気持ちや、時が経つのを忘れるほど面白い授業に出る喜びを味わいました。そして、日本語も少し上手になっている気がします。数えきれぬ日本の習慣を教えていただいて、思いやりのある先生がたや学生達の暖かさを感じることができました。お父さん、お母さん、千紘ちゃん、加藤先生、ありがとうございます。この短気留学を担当して下さった方々をはじめ、愛知県の皆さん、本当にお世話になりました。

ありがとうございました。


ホームステイ先のお母さん稲葉佳子様とお嬢さんの千紘ちゃんと一緒に
 

稲葉家で着物姿でくつろぐマリーナ


 



歓送会の後、おろしゃ会スタッフと
 



15日、マリーナは無事、祖国へ飛び立ちました。

 送別会の翌朝、マリーナは稲葉さんご一家と一緒に名古屋駅に到着、9時58分のこだまで静岡に向かいました。
静岡駅で常葉大学の松本進先生と可愛いお嬢さん二人の出迎えを受け、彼女は、13日、静岡の同先生宅で一泊、翌14日、午前11時40分、東京駅に加藤が出迎えましたが、約束の中央乗換え口で会えず、駅の場内放送で八重洲南口の駅事務所に呼び出され、マリーナとやっと会うことが出来ました。会えないと分かるとすぐに駅事務室に呼び出し放送を頼む彼女の知恵に感心しました。
 家に連れて帰る前に、銀座に出て歌舞伎座の一幕ものを見せようと思いましたが、それより木下先生や私の母校、早稲田大学に行って見たいというので、早稲田へ。日曜にもかかわらず、早稲田の演劇博物館や図書館は開館中で、特別展示中の演劇博物館や図書館書庫の中にも案内することが出来ました。古いイギリス下院雑誌のセットなどを取り出して見ていましたが、背表紙の羊皮がボロボロになっており、彼女のノースリーブが茶色に汚れてしまいました。暑さで私はヘトヘトに草臥れていましたが、彼女はさらに高島先生の母校、慶応大学にも行きたいと言います。仕方ありませんので、三田の慶応大学へ。ここも、日曜にもかかわらず営業中。研究棟のサロンでお茶を飲み、その後、拙宅へ。狭い我が家では、娘がマリーナにベッドを提供。遅くまで二人は、英語で会話を楽しんでおりました。
 翌朝は、9時ごろの上越新幹線に乗るために東京駅へ。私もいい加減だが、マリーナも同断。飛行機の離陸は午後2時だと言います。となると9時ごろの上越新幹線に乗らねばならない。8時56分発がぎりぎりのところ。切符を買い、前の日にロッカーに預けた荷物を取り出し、走りに走り、ホームへ向うがタッチの差でアウト。仕方なく9時28分発のあさひに乗車。しかし、マリーナがアエロフロートの切符を調べたら、離陸は、午後3時半。なんだ、十分過ぎるほどの余裕ではないか!近年これほど全速力で走った経験はなく、がっくりして気持ち悪くなる始末。ホームに半時間近く待ち、列車が到着。お別れの抱擁を交わすのがロシア風なのですが、いつもと違って、やや形だけの抱擁。私は汗みどろで、よほど臭かったのでしょう。彼女は100円ショップで買ったウエット・ティシューを私にくれましたから。車内に入り、彼女と握手。発車ベルが鳴る前に車外に出て、彼女の目につかないところで、列車の発車を見送りました。窓の外を悲しげに見つめる彼女の姿が目の前を通り過ぎました。手を振りましたが、気付かなかった様子。
 かくして疾風怒涛の二ヶ月が終わりました。マリーナと関わってくださった大勢の皆様が私と同様の経験をなさったと思います。素晴らしい資質に恵まれた学生ですが、何と言ってもまだ21歳です。いろいろとご心配やご迷惑をおかけしたことも多かったと存じます。ご海容のほどを切にお願い申し上げる次第です。ボリショエ・スパシーバ!(加藤史朗)

      早稲田大学大隈講堂前にて              慶応大学三田キャンパスにて