中米:メキシコ盆地の都市興亡史2000年

 メキシコ中央高原は生態学的にみて非常に恵まれた盆地群から成り、ここで繰り返された文明盛衰史は人類史に貴重な教訓を与えてくれる。まずトウモロコシの栽培化がすでに紀元前5千年頃から始っており、農業を基盤とした共同体が徐々に形成し始める。そして土器が発明され、紀元前800年頃までには宗教センターを中心とした階級社会が生まれている。紀元後1-2世紀の頃(日本の弥生時代)になると、テオティワカンという人口10万人以上を擁する都市が形成された。遠隔地との交易も盛んになり、大市場も開かれ、国家レベルの複雑な政治組織が機能していたと思われる。有名な「太陽のピラミッド」、「月のピラミッド」はその中心的モニュメントである。中央アメリカに広く影響力を持ったこの大都市も、紀元後600年頃には崩壊し、地方政権の濫立期に入る。
15世紀に入ると軍事力を誇るアステカ王国によって再びメキシコ中央部一帯が征服され、テノチティトランという大都市が現在のメキシコ・シティー中心地区に建設される。人口20ー30万人を擁したこの湖上の大都市には、中米の様々な動植物、農産物、工芸品等が集まり栄華を極めたが、スペイン人による征服で徹底的に破壊され、その後メキシコ盆地は都市史としては停滞期を迎える。長い植民地時代を辿り、独立、革命期を経て、20世紀後半に急激な人口増加が起こり、現在メキシコシティーは世界一の人口を擁する。そして以前栄えた古代都市とは全く異なった景観、政治、経済、社会構造を持ちながら、同時に様々な現代都市問題を私達に投げかけている。
 この様に、メキシコ中央高原は、三度世界史的にユニークな大都市を登場させ、我々に「都市文明とは何か」という人類史的課題に取り組む素材を提供している。以下の論文、翻訳、研究概説、考古、文献資料は、この2000年に及ぶメキシコ盆地での都市興亡史に直接関わる情報であり、それぞれの個別テーマを考える為の材料ではあるが、人類史や文化一般に関する課題−たとえば人と生態関係、都市と国家の発祥、文明の興亡の要因、複合社会と階級制の形成、それを支えるイデオロギーと文化要素等の諸問題−を理解する一助となればとも願う。

古代計画都市テオティワカン
始めに
「月のピラミッド」発掘調査 (愛知県立大学とメキシコ政府研究機関の共同プロジェクトの概要)
「羽毛の生えた蛇神殿」発掘調査(英語版はこちらへ
テオティワカン研究センター (現在スペイン語版のみ)


アステカ帝国の聖都テノチティトラン
国立テンプロ・マヨール博物館の公式ホームページ(日本語版ミラーサイト)
国立テンプロ・マヨール博物館の英語版はこちらへスペイン語版はこちらへ
16世紀古文書からみたアステカの世界観: サアグンの「ヌエバ・エスパーニャ概史七巻」翻訳


世界最大都市として膨張を続けるメキシコ シティー



Last Update: 2002年6月29日: Copyright 2000 愛知県立大学 杉山三郎
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アリゾナ州立大学のテオティワカンホームページ http://archaeology.la.asu.edu/teo