16世紀古文書から見たアステカの世界観

ベルナルディーノ・デ・サアグン

「ヌエバ・エスパーニャ概史:七巻 原住民の占星術について」

第十三章 新しい火を手に入れた後に、どのように人々は年号の絵を付けた衣服や宝飾品全てを新しくしたかについて

日本語訳:栗田有華

1 新しい火は前に述べた方法から作られた。その後に、各村の近隣の人々は、各家で宝飾品を新しく作り、男性や女性たちは、新しい衣服を身にまとった。そして、ヤシの実で新しく作った敷物を敷いた。新しい年が始まる証拠として、家で必要なもの全てを新しくした。

2 したがって、人々全ては喜び、病気や飢えはすでに去ったと言いながら、大規模な祭りが行われた。、火の中に多くの香を投げ入れ、鶉の頭を切り、陶土で作られたスプーンで、神々や世界の4つの部分つまりその1つ1つが宿ると思われている家の中庭に香を捧げた。次に、神々に捧げた香をたき火の中に入れ、その後、フダンソウに蜂蜜を使って作られたtzoualを食べた。そして、全ての人々に断食し、誰も半日過ぎるまで水を飲まないように命じた。誰も半日過ぎるまで、水を飲まなかった。

3 すでに昼になり、捕虜または奴隷たちは殺され、生け贄にされ始めた。このように祭りを行い、食事をし、たき火を新しくした。

4 そして、閉じ込められ、獰猛な動物とみなされた妊婦は、もし、その時に女性たちが出産したら、その記念に、彼女たちの息子はMolpilia、娘はXiunenetlなどと名づけられる。

5 Moteccuzomaの時代、すでに述べられた祭りが行われていた。王国全てに彼はその名前を持つ誰か、捕虜を捕らえるように命じた。そして、Huexotzincoの男を1人捕らえた。彼はとても高潔で、Xiuhtlaminと言われていた。彼を戦争でTlaltilulcoの兵士のItzcuinという名の男が捕まえた。従って、その後、彼をXiuhtlaminを捕らえた者という意味でXiuhtlamin-maniと呼んだ。彼は、Xiuhtlaminと呼ばれたかった。そして、その捕虜の胸に新しい火は作られ、慣習に従って、彼の体の全てを燃やした。

6 この上に述べた表は、年の数え方(暦)であり、とても古いものである。この暦の発明者はQuetzalcoatlだと言われている。

7 この暦はこのように続く。まず東から始まる。そこは、何本か葦がある場所だ。(他の方法では、うさぎが居るという南から始まる)そこは、se acatlと言い、そこから火打ち石があるという北に行く。そこは、ome tecpatlという。その後、家があるという西に向かう。yei calliという。その後で、うさぎが居る南に向かう。そこは、nahui tochtliという。その後、東に戻り、そこを、macuilli acatlという。このように始まった場所で終わる13番目に着くまで4回周っる。その後1に戻り、ce tecpatlといわれる。このようにぐるぐる回って文字それぞれに、つまり4つの世界のそれぞれに13年が与えられる。その時、年の「束」である52年が経過し、記念節が祝われ、上で述べた方法で新しい火が灯される。そして、初めから再び数え上げられるのである。

8 さまざまな場所で、年の始まりには、多くの違いがあることは注目に値する。ある場所では、彼らは、私に1月の何日かに始まったと言い、他の場所では、2月の初めに、また別の場所では、3月の何日かに始まったと言った。

9 Tlatilulcoで、私は多くの古老をそれも集めれるだけ最も熟練した者を集めた。そして、最も賢いな弟子と一緒に、多くの日々の間、この材料について口論した。彼らは全て、この年の2月2日に始まったと結論した。