16世紀古文書から見たアステカの世界観

ベルナルディーノ・デ・サアグン

「ヌエバ・エスパーニャ概史:七巻 原住民の占星術について」

第九章 セ・トチトリの時代に飢えに対して持っていた恐怖と、その前年に行っていた準備について

日本語訳:平田和美

1. 飢えに対して強い恐怖の念を抱く、セ・トチトリの年が到来する以前に、皆はその家庭において、多くの食糧と、それが下等な食事であったとしても食用となる全ての種類の種を集めて、隠しておくことに務めていた。

2. この章で述べられているのは次のようなものである。ポルカトル:これは草の一種であり、通常食べられることはないが、大変必要に迫られたときには頼る。ポポヨトルは鈍い色のトウモロコシである。コロトゾントリはトウモロコシの穂がまだ茎についている時に垂れ下がっている毛のことである。ミアウアトルはトウモロコシの穂が大きく成長したときに、トウモロコシの茎にできる鶏冠のようなものである。メトサリは熟す為に開く時の、リュウゼツランの穂軸のことである。ノチコチトリはうちわサボテンの花である。メクカリは調理されているリュウゼツランの肉質な葉のことを指す。ネクトラトトニリはリュウゼツランから取れる新鮮な蜜のことで、火で熱せられたものである。ウアウトリポロカヨはきれいにされないままで汚れのついているアカザの種を指す。

3. フリホールはその枝や葉、莢とともに蓄えられた。なぜなら、それらは人々が飢えている時には食糧として全てが利用されたからである。

4. また、先に述べたような飢えが生じたときには、奴隷として多くの貧しい男女が売りに出されて、多くの財産(食糧)を持った裕福な人間が彼らを買い取った。そして前述の貧しい人々は自らを売るばかりでなく、彼の子供や子孫、血縁関係にある全ての人を売ることもあった。そして彼らは奴隷という立場に永久にとどまることになった。なぜなら、それはこのような時代に集められた奴隷には、いつかその奴隷状態を終わらせるための手段がなかったからであり、また彼らの両親が死を免れるため、もしくは困窮した生活から開放されるために売りに出していたからである。また彼らの罪によって、このような災いが起こったといわれている。なぜなら、彼らは先に述べたような飢えが来ることを知っていながら、対策を怠り、改善に努めなかったからだ。このようにして、後にこのような奴隷がセ・トチトリの年に先に述べたような下僕になり、先祖から下僕の地位を受け継いだ子孫たちは永久的に下僕であったと言われている。

5. セ・トチトリの年が過ぎ、後に太陽の生まれる場所であるトラプコパの一部であった、オメアカトルの年に暦は戻った。