古代計画都市テオティワカン

テオティワカンは紀元前一世紀から六世紀頃まで栄えた新大陸最大級の都市遺構であり、現在のメキシコ市北東六十キロメートルに位置する。メキシコ国立研究所による大がかりな発掘調査は、すでに今世紀初頭から始まっており、修復復元された都市中心部分は現在遺跡公園として一般に公開され、一日平均5千人を上回る観光客で賑わっている。1960年代より始まったレネ・ミリョンの率いる総合調査(1)により、テオティワカンは十万から二十万人の人口が二十平方キロメートルに及び居住していたことが明らかになった。整然とした計画都市であり、その規模からも平城京と比較しうる。2000程のアパートメント形式の住居群が広がる中、街の中心軸「死者の大通り」の北部分には「太陽のピラミッド」(Sun Pyramid)と「月のピラミッド」(Moon Pyramid)が聳え立ち、南には「羽毛の生えた蛇神殿」(Feathered Serpent Pyramid)を主神殿とする「城壁」(Ciudadela)と呼ばれる大儀式場が横たわる。現在でも私達の「月のピラミッド」調査団(2)の様な大きな学術調査、また周辺地区での行政発掘が続いており、都市の建築、日常生活、宗教、社会組織、交易、又編年に関する考古資料も増え続けているが、文字が確認されていない事からその主体となる民族、話されていた言語、そして国家の政治機構など不明な点が多い。保存の問題から下層までの掘り下げが難しく、従って都市形成期に関する資料は非常に乏しくて、都市の発生のメカニズムはよく理解されていない。

(1) Millon, Rene, 1973, Urbanization at Teotihuacan, Mexico: vol. 1: The Teotihuacan Map. Part One: Text. University of Texas Press, Austin.
(2)杉山三郎1999「メキシコ、テオティワカン「月のピラミッド」発掘調査概要」『古代学研究』
杉山三郎1999「テオティワカン「月のピラミッド」におけるイデオロギーと国家:1998-1999年発掘調査概要」
『古代アメリカ』第3号、古代アメリカ研究会

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Last Update: 2000年11月16日: Copyright 2000 愛知県立大学 杉山三郎
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