パスパ文字('Phags-pa script)を知る
(1)パスパ文字の実例(貨幣銘文)

(2)いつ誰が作ったのか?

(3)パスパ文字の背景

(4)基本資料『元史』の釈老伝

(5)なぜパスパ文字を作ったのか?

(6)日本のパスパ文字資料

(7)パスパ文字という名称

(8)パスパ文字以前の文字

(9)パスパ文字で何語を書いたか?

(10)パスパ文字モンゴル語とパスパ文字漢語の碑文

(11)パスパ文字の用途

(12)パスパ文字の使用地域

(13)パスパ文字の文字表

(14)綴り方の特徴

(15)書写の方向

(16)パスパ文字を読む

(17)基本参考文献

(18)チベットのパスパ文字

(16)パスパ文字を読む

 パスパ文字で書かれた実物資料をどのような手順で読むかということを問題にします。 これはパスパ文字で漢語を記した資料で、「大元通宝」という銅貨の拓本です。
 上が「大」、下が「元」、左が「通」、右が「宝」となっています。(13)に挙げたパスパ 文字の文字表をみながら、パスパ文字をローマ字に直すところが第一段階です。この ような作業を「ローマ字に翻字する」といいます。この資料の銘文をローマ字に翻字すると 次のようです。

   上→ty   下→’ŭen   左→t‘uŋ   右→bv

母音のaを補って横に続けて書くと次のようになります。

   tay ’ŭen  t‘uŋ  bav  

 翻字の場合、音節と音節の切れ目をハイフン「-」で示すと便利ですから、 これを次のように翻字します。

   tay-’ŭen-t‘uŋ-bav 

 私たちはこれが漢語の「tay(大)-’ŭen(元)-t‘uŋ(通)-bav(宝)」だと 知っているけれども、ローマ字の翻字から、どうしたら「大元通宝」と読むことが できるかということがポイントであり、そこがパスパ文字研究の醍醐味です。先ずは、 「tay-’ŭen-t‘uŋ-bav」が何語かということが問題となります。漢語なのか、モンゴル語 なのか、チベット語なのか、それとも他の言語なのか。こういったことはどうして分かるか と言うと、ほとんどの資料は、資料の置かれた状況や文字の配列などにより、それほど 苦労を要せずに、何語であるか分かるというのが実情です。ただし、欠落した部分が あるような短い資料のばあい、情報もすくなく何語か判断できないという場合もあります。 この「大元通宝」のばあい、これを最初に読んだ人が誰であるかというようなことは 知らないけれども、最初の人は文字の続き具合から直感的に漢語と判断し作業をしたので しょう。漢語だと分かったとして、その次はそれぞれのローマ字に適当な漢字を当てはめて いくことになります。どうやって漢字を選んだら良いかというと、ローマ字を漢字に置き 換える作業をするための簡便な手引書が必要となります。これは当時の人たちにとっても 同じことで、「大元通宝」をパスパ文字で書く場合、なんらかの手引き書が必要であった はずです。そのような手引書として『蒙古字韻』という本が残っています。


 これを見ると、パスパ文字の綴りの下に漢字が並んでいます。下に並んでいる漢字は全て 上のパスパ文字で綴るということを示しています。たとえば、左から三行目を見ると、 最上部にパスパ文字がありその下に漢字が続きます。

   guŋ  平公巧工・・・・上礦鑛 去貢・・・

「平」、「上」、「去」というのは昔の声調の枠組みです。じつはこの三つの他に 「入」というものがあり、声調の枠組みは全部で四つとなります。しかしパスパ文字 には声調の区別は反映されません。したがって、「平」「上」「去」の下に収められた 漢字はすべてguŋと綴る。「公」以下も、「礦」以下も、「貢」以下も、すべてパスパ文字 でguŋと書く、といことを示した手引書でです。最初の子音を除いた部分、つまりuŋ ですが、この部分を韻母(インボ)と言います。この韻母の似ているものは、それぞれ一まとめ に置かれています。ですから、韻母の形の似ているページを開いて、目的の字を探すと いうことになります。それから、韻母の似ているものを一まとめにして置いてあると言った けれども、その一まとめの中は、さらに最初の子音、これを声母(セイボ)と言うが、声母も 一定の順に並んでいます。それで、「tay-’ŭen-t‘uŋ-bav」の「tay」という綴りの漢字として どんなものがあるかを調べたいときは、『蒙古字韻』の「ay」を集めた部分を開くと漢字 の候補が出てくるというわけです。『蒙古字韻』の「tay」の下を見ると、「臺大代・・・」 など26字が並んでいます。同じように、「’ŭen」と「t‘uŋ」と「bav」の下にも漢字の候補 が並んでいます。それで、ここからは知識を総動員し、漢字の候補を見比べながら、 「大元通宝」と読み解いていく、ということになります。『蒙古字韻』に無い漢字については どうしたら良いかという問題があります。たとえば、「ス」パスパ文字綴りを知りたいとする。 この文字の現代漢語の発音は「公」と同様であるが、先ほどのパスパ文字guŋの下に「公」は あるけれども、「ス」はない。しかしながら当時の他の発音辞典で調べると「公」と「ス」は 当時でも発音が同じであることがわかる。これにより「公」に当てられたパスパ文字を「ス」 にも使えば良いということにななります。要するに、『蒙古字韻』に登録された文字と同じ 発音の部類にはいるものなら、『蒙古字韻』に無くとも、『蒙古字韻』のパスパ文字の綴りを 利用できるということです。

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