パスパ文字('Phags-pa script)を知る | |||||||||
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高校の世界史の教科書(三省堂の『世界史〔B〕』)によると、モンゴル高原では 1206年にモンゴル系・トルコ系の諸族を統一したモンゴル帝国が成立し、その後 アジアからヨーロッパにまたがる大帝国に発展しました。その過程で、モンゴル帝国は 幾つかのハン国にわかれました。支配地域を単独の組織によって統治するのはむずかし かったようです。ロシアのキプチャク=ハン国(1243-1502)、中央アジアのチャガ タイ=ハン国(1227-14C後半)、西北モンゴルのオゴタイ=ハン国(1224?-1310)、イラン 方面のイル=ハン国(1258-1411)がそれです。 その後、チンギス=ハンの孫にあたるフビライ(在位1260-1294)が第五代の大ハンに 即位するのですが、そのとき即位に反対する反乱がおこりました。抗争ののちに各ハン国は 独立し、帝国は事実上分裂したようです。フビライ=ハンは即位後、首都をカラコルムから 大都(現在の北京)に移し、国号を元(1271-1368)とし、1279年には中国の南にあった 南宋を滅ぼし、全中国を支配することとなりました。 |
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