パスパ文字('Phags-pa script)を知る
(1)パスパ文字の実例(貨幣銘文)

(2)いつ誰が作ったのか?

(3)パスパ文字の背景

(4)基本資料『元史』の釈老伝

(5)なぜパスパ文字を作ったのか?

(6)日本のパスパ文字資料

(7)パスパ文字という名称

(8)パスパ文字以前の文字

(9)パスパ文字で何語を書いたか?

(10)パスパ文字モンゴル語とパスパ文字漢語の碑文

(11)パスパ文字の用途

(12)パスパ文字の使用地域

(13)パスパ文字の文字表

(14)綴り方の特徴

(15)書写の方向

(16)パスパ文字を読む

(17)基本参考文献

(18)チベットのパスパ文字

(4)基本資料『元史』の釈老伝

 中国の歴史書に『元史』というものがあります。その列伝巻第八十九の「釈老」という 箇所にパスパ文字について重要な情報が掲載されています。この「釈老」の研究に 『元史釈老伝の研究』(京都:朋友書店、昭和五十三年・1978年発行。野上俊静著)があり、 完備された訳文と注釈を含んでいてとても便利です。少し長くなりますが関係箇所の訳文を そのまま引用すると次のようです。注については割愛しました。

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 帝師八思巴(パスパ)は吐蕃の薩斯迦(サキヤ)の人。姓は款(コン)氏である。伝えるところによれば、 先祖朶栗赤(ダリチ)が仏法をもつて国王を補佐し、西海に覇者たらしめてより十余世の後裔という。 八思巴は七歳のときすでに経文数十万言を暗誦し、その大義に約通することができた。国の 人々は彼を聖童と号した。そのゆえに、名づけて八思巴というのである。やや長じて五明の 学問にすぐれたので、また称して班彌怛(パンミタ)といつた。

 癸丑(一二五三)の歳、八思巴は年十五歳で即位前の世祖に潜邸で謁見した。世祖は語り 合つて大いに悦び、八思巴は日毎に親礼せられた。中統元年(一二六〇)世祖が即位すると、 八思巴を尊崇して国師となし、玉印を授けた。世祖は八思巴に蒙古新字の制作を命じた。 新字が完成し、八思巴はこれを上進した。その新字は僅かに千余字。その母字四十一字である。 それが相互に関紐しあつて別の字を形成するには韻関の法があり、二合・三合・四合と重ねて 結び、また別の字を形成するには語韻の法がある。そしてその大要は、六書の諧声の法を もつて宗とする。

 至元六年(一二六九)詔を下して蒙古新字を天下に公布した。その詔には次のようにいう。 「朕惟(おも)うに、字は言を書し、言は事を紀す。これ古今の通制なり。我が国家 朔方に 基礎を確立してより、その風俗は簡潔古雅をとうとび、いまだ文字の制作にいとまあらず。 およそ施用の文字は、漢字および畏吾(ウイグル)字を用い、よつて本朝の言語を表達しきたる。 これを遼・金および遠方の諸国に考うるに、おおむね各国文字を有す。いま我が国の文治ようやく興り、しかも字書を缺くは、一代の制においてまことに不備なりとせり。故に特に国師八思巴に命じて始めて蒙古新字を制作せしめ、一切の文字を訳写せしむ。順言達事を期せんとするのみ。自今以往、璽書の発布するものみな蒙古新字を用い、かさねて各々その国字をもつてこれにそえよ。」かくて称号を升せて八思巴を大宝法王といい、さらに玉印を賜わつた。
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