パスパ文字('Phags-pa script)を知る | |||||||||
(1)パスパ文字の実例(貨幣銘文) (2)いつ誰が作ったのか? (3)パスパ文字の背景 (4)基本資料『元史』の釈老伝 (5)なぜパスパ文字を作ったのか? (6)日本のパスパ文字資料 (7)パスパ文字という名称 (8)パスパ文字以前の文字 (9)パスパ文字で何語を書いたか? (10)パスパ文字モンゴル語とパスパ文字漢語の碑文 (11)パスパ文字の用途 (12)パスパ文字の使用地域 (13)パスパ文字の文字表 (14)綴り方の特徴 (15)書写の方向 (16)パスパ文字を読む (17)基本参考文献 (18)チベットのパスパ文字 |
モンゴル軍の一回目の日本侵入(文永の役)は1274年ですから、その五年前には パスパ文字は公布されていたことになります。それで、日本の九州からはパスパ 文字が書かれた資料が発見されています。 昭和49年(1974)、長崎県鷹島の神埼海岸で、モンゴル軍の遺物とおもわれる大型の パスパ文字の印鑑が発見されました。その後、平成8年(1996)には、福岡県福岡市の 博多都市遺跡からパスパ文字が記された指輪や、先ほど見た「大元通宝」などが出土 しています。さらには、江戸時代に出版された古銭の本には、パスパ文字が鋳込まれた 古銭を紹介するものもあります。このような、日本にあるパスパ文字関係の資料を まとめてみるのも、なかなか面白い仕事でしょう。下はパスパ文字が記されている指輪です。 |
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