1999年3月8日
セルギイエフ・ポサド(旧ザゴルスク)遠景(1999年3月)
1999年2月8日(月曜日)、愛知県立大学学生有志は「おろしゃ会」を結成した。 我々の祖先は、この国と最初に接したとき、それを「おろしゃ」と呼んだ。Rossiyaは素直に耳を傾ければ「オロシャ」と聞こえるからである。その後、この国の呼称は魯西亜、露西亜、ロシヤさらにはロシアへと変遷した。外務省令によるとは言え、英語の Russia が決定的な影響を与えたものと思われる。両国間の関係にはオランダ・イギリス・アメリカなど第3国が介入した歴史がある。その間、我が国は彼の国と真正面から向き合うことなく、恐怖感と侮蔑感の間を揺れ動いてきた。ロシア革命後にソ連が成立すると「おろしゃ」は文字どおり「おそろしや」となり、今またその「そ」が抜け落ちると、ロシアは侮蔑の対象となった。主体性のない、つまらない話しだ。 我々は、祖先が素直に彼の国を表現した「おろしゃ」を会名とする。その趣意は、苦渋に満ちた両国間の歴史を踏まえつつも、素直に「おろしゃ」と向き合い、これを見聞し研究せんとすることにある。歴史は現在を制約するが、未来までも制約するものではないからである。混沌が新しいものの始まりを意味するとするとするならば、混沌のスケールにおいてはるかに我が国を凌駕する「おろしゃ」と真正面から向き合うことには、少なからぬ意味を見出せると確信する。 顧問 おろしゃ会第一回研修旅行(1999・3・7) |
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左から セルゲイ・ガルキン、中村龍二、鈴木夏子、オクサーナ・ミハイロワ セルゲイ・ツァリョーフ、田邊三千広、原豊美、各務永都子 夕食をとったレストラン前で
会長挨拶 アルファベットの形が面白いという単純な理由で第二外国語としてロシア語を選択し、二年がたちました。教師一人に対して生徒が三人という大変恵まれた環境の中で、発音や文法、会話などをテキストやビデオを通して学び、ロシア語とはどのような言語なのかがようやくわかってきたような気がします。 (愛知県立大学文学部・日本文学科4年 各務永都子) ******************************* セルゲイくんからの手紙 拝啓 加藤先生 忘れがたい時を過ごさせていただきまして感謝したいと思います。旅をして素晴らしい人々と出会うことは、私にとりまして、いつも楽しみであり、資するところ大であります。
往路米原駅でドイツ科のホルスト先生と出会う ******************************** オクサーナさんからの手紙 第1回の私たちの会は大阪への日帰り旅行で、たくさんの日本人やロシア人が集まってくれました。あいにく天気はわるかったけど、電車の中でロシアと日本とで似ているところやぜんぜんちがっているところについていろいろ話したりして、行きと帰りの電車の中の3時間はあっという間に過ぎました。 オクサーナ・ミハイロワ ******************************* 中村龍二氏からの手紙 3月7日にエクスクルシヤで大阪に行くという話を加藤先生から伺って、「中村もどう
だ?」と誘われ、僕は「一体どんな人がロシア語を勉強しようとしているのか」、その点が興味深かったので参加してみようと思ったのでした。ロシア語というどちらかといえば日本ではマイナーとされている言語の履修者の一人として僕はロシア語を勉強していると聞くだけでなんとなく親近感を抱いてしまうのです。自分とロシア語との出会いは、高校の時にチェスを指していた事に始まります。チェスの世界で最強豪国であるロシアに対する憧れからロシア語への興味もなんとなく生まれ、そこで加藤先生がロシア語を教えてくださるというのでやってみるかと思い、勉強し始める事にしました。すると偶然にもチェスで旧ソ連の国々に行く機会が3回もやってきて、そのうえ、大学ではロシアを専攻とすることになってしまったのです。いつの間にやら、ロシアと硬い絆で結ばれてしまったようです。ロシアは日本の隣国のなかであまりいい評判は聞かないものの、いざ付き合い始めると不思議な魅力で人を引き付けてやまないのです。「おろしゃ会」で出会った人達もみな魅力的で、自分が想像していたよりもずっと明るくて元気な人達で少し驚かされました。この楽しい会に是非また機会があったらお邪魔させていただきたいと思っています。今度は東京にも遊びに来てく
ださい。 ******************************* 会員から 私たちの記念すべき第1回目の活動、それは、大阪に行くことだった。それも、ただ大阪に行くだけでなく、青春18切符を使ってロシア人からロシア語を学びながら行こう、ということが最大の目的だった。初めは、「エッ、なんて無謀な」ことだとは思ったが、実際のところ、みなさん日本語が非常に流暢であり、会話はほとんど日本語で進められた。そこでいろいろ日本とロシアの違いなどを知ることができ、和気あいあいとした大阪行きだった。無口なイメージが大きいロシア人だが、実際のところ人なつっこいことがよーく分かり、とても楽しい思い出になった。
******************************* 初めは、とても不安で、彼らと仲良くできるだろうか、自分がどううつるだろうか心配していたが、そんな不安は話し始めると一気にふきとんだ。日本語と少しのロシア語を使ってお互い楽しくコミュニケーションがとれ、本当に楽しかった。今回だけでなくこれからもこのような交流を持ち、刺激し合って、これからの日露関係についても考えて行きたいと思った。(愛知県立大学外国語学部・英米科3年 鈴木夏子) ******************************* 大阪領事館セルゲイ・ツァリョーフからのメッセージ 勉強するかたわら、その知識を他の人々と分かち合おうとする人々がいるということは素晴らしいですね。あなた方が「おろしゃ会」を創設されたことは、とても有益なことです!会の活動の一環として、いろいろな町を訪れるというのもいいですね。それは我が国についての知識が極めて貧弱な日本において、もっともっと多くの人々が、ロシアについて、さらにはロシア語について知ることを可能にするからです。 ******************************* 露(つゆ)とおち露と消えにしわが身かな 「おろしゃ会」顧問 加藤史朗
ご承知のように、これは秀吉辞世の句のパロディです。オロスもまたロシアの古い呼称です。県立大学でロシア語を教えるようになったのは、昨年の10月からでした。それまで東京の私立中学・高校で世界史を教えるかたわら、放課後に希望者を集め、ロシア語の授業をやってきました。県立大学のロシア語学習者は、事実上6人です。学生総数から言えば、前任校の2倍以上なのに、ロシア語をやろうという学生はその半分にも満たないのです。危機感を持ちました。ロシアは巨大な隣人であるのに、若い世代がロシアの現状に全く無関心であるというのは、どう考えても不健全です。好き嫌いがどうも現在の若者の価値基準であるようです。それはそれで普遍的な基準ではあると思います。でもウザイとか超キモイとかいう符丁で他者を排し、同質的な仲間のアイデンティティを確立しようとする傾向は、学問をする姿勢と全く対極的なものであるといわざるをえません。好き嫌いは自分の体験によるべきであって、匿名の風潮や雰囲気によるべきではありません。
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