「おろしゃ会」会報創刊号

1999年3月8日


セルギイエフ・ポサド(旧ザゴルスク)遠景(1999年3月)


 

1999年3月8日発行 愛知県立大学外国語学部 
発行責任者 加藤史朗 電話0561-64-1111(内線2914



おろしゃ会設立趣意書

 

 

 

1999年2月8日(月曜日)、愛知県立大学学生有志は「おろしゃ会」を結成した。
 「おろしゃ」とは、混沌としていまだ行方定まらぬあの「ロシア」を指す。

 我々の祖先は、この国と最初に接したとき、それを「おろしゃ」と呼んだ。Rossiyaは素直に耳を傾ければ「オロシャ」と聞こえるからである。その後、この国の呼称は魯西亜、露西亜、ロシヤさらにはロシアへと変遷した。外務省令によるとは言え、英語の Russia が決定的な影響を与えたものと思われる。両国間の関係にはオランダ・イギリス・アメリカなど第3国が介入した歴史がある。その間、我が国は彼の国と真正面から向き合うことなく、恐怖感と侮蔑感の間を揺れ動いてきた。ロシア革命後にソ連が成立すると「おろしゃ」は文字どおり「おそろしや」となり、今またその「そ」が抜け落ちると、ロシアは侮蔑の対象となった。主体性のない、つまらない話しだ。

 我々は、祖先が素直に彼の国を表現した「おろしゃ」を会名とする。その趣意は、苦渋に満ちた両国間の歴史を踏まえつつも、素直に「おろしゃ」と向き合い、これを見聞し研究せんとすることにある。歴史は現在を制約するが、未来までも制約するものではないからである。混沌が新しいものの始まりを意味するとするとするならば、混沌のスケールにおいてはるかに我が国を凌駕する「おろしゃ」と真正面から向き合うことには、少なからぬ意味を見出せると確信する。

顧問
加藤史朗(外国語学部・ロシア研究)
電話とファクス052-721-4312
スベトラーナ・ミハイロワ(ロシア語非常勤講師)
電話とファクス052-935-0385
非常勤顧問 
郡 伸哉(中京大・ロシア文学)
田辺三千広(名古屋明徳女子短大・ロシア宗教史・県大ロシア研究非常勤講師)
会長 各務永都子(文学部国文科4年)
副会長 原 豊美(文学部社福科3年)携帯 0901-750-0308
会計 鈴木夏子(外国語学部英米科3年)


おろしゃ会第一回研修旅行(1999・3・7)

 

左から

セルゲイ・ガルキン、中村龍二、鈴木夏子、オクサーナ・ミハイロワ

セルゲイ・ツァリョーフ、田邊三千広、原豊美、各務永都子

 

夕食をとったレストラン前で


 発足したばかりの「おろしゃ会」は、3月7日に青春18切符を使って大阪にでかけました。会長挨拶に続く次の文章は、これに参加した者たちの感想文です。 

会長挨拶

 アルファベットの形が面白いという単純な理由で第二外国語としてロシア語を選択し、二年がたちました。教師一人に対して生徒が三人という大変恵まれた環境の中で、発音や文法、会話などをテキストやビデオを通して学び、ロシア語とはどのような言語なのかがようやくわかってきたような気がします。 
 でも、単位がとれたからといってこのまま勉強をやめてしまえば、今までの二年間がムダになるのではないかと考え、サークルに参加し、ロシア語と接し続けていくことを決めました。 
 (飲み会を除いて)サークルとして初めてのイベントとなった大阪旅行は、参加者九名中三名がロシア人、二名がロシア語ペラペラの先生方という、大変ロシア色豊かなものでした。と言っても、まだロシア語を話せない私達部員の為に会話はほとんど日本語だったので、ロシアの人々の物の考え方や彼らが醸し出す雰囲気などを、楽しく体験することができました。彼らは三人ともとても親切で、明るく好奇心旺盛、パワフルでチャーミングでした。 
 サークルが本格的に始動するのはこれからです。私達と一緒にタダでロシア語を勉強してみませんか? とりあえずピロシキでも食べに行きましょう。 

(愛知県立大学文学部・日本文学科4年 各務永都子

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セルゲイくんからの手紙
ロシア語原文略 

拝啓 加藤先生 

 忘れがたい時を過ごさせていただきまして感謝したいと思います。旅をして素晴らしい人々と出会うことは、私にとりまして、いつも楽しみであり、資するところ大であります。
 また「おろしゃ会」とその会員の皆様、ならびに顧問の先生のご清栄を祈念いたしたいと存じます。 
 皆様方のようなサークルこそ、学徒にとってきわめて有用であります。ロシアから来た人々と出会い交流すれば、いつでも教科書が教えないことを学ぶことができるでしょう。 ともやま・セルゲイ 
(意訳・文責加藤) 
(本名セルゲイ・ガルキン 神奈川総合高校3年) 

往路米原駅でドイツ科のホルスト先生と出会う

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オクサーナさんからの手紙

 第1回の私たちの会は大阪への日帰り旅行で、たくさんの日本人やロシア人が集まってくれました。あいにく天気はわるかったけど、電車の中でロシアと日本とで似ているところやぜんぜんちがっているところについていろいろ話したりして、行きと帰りの電車の中の3時間はあっという間に過ぎました。 
 大阪では私たちは大阪城などを見たり食事をしたりして過ごしました。先生たちはロシアについていろんなことを知っていて、私の知らないこととかも話してくれて、聞いていておもろかったです。みんなに聞いたら一度はロシアに行きたいと言ってくれましたので、これからもこういう会に参加したいとおもいました。それで少しで 
も日本人のロシアについてのイメージが良くなるといいなあと思いました。 
 そして私は疲れたけど、すごく楽しい1日を送ることができました。 
 私を誘っていただいた愛知県立大学の加藤史朗先生に感謝の気持ちでいっぱいです。  スパシーバ! 

オクサーナ・ミハイロワ 
名古屋市立商業高校 3年

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中村龍二氏からの手紙

 3月7日にエクスクルシヤで大阪に行くという話を加藤先生から伺って、「中村もどう だ?」と誘われ、僕は「一体どんな人がロシア語を勉強しようとしているのか」、その点が興味深かったので参加してみようと思ったのでした。ロシア語というどちらかといえば日本ではマイナーとされている言語の履修者の一人として僕はロシア語を勉強していると聞くだけでなんとなく親近感を抱いてしまうのです。自分とロシア語との出会いは、高校の時にチェスを指していた事に始まります。チェスの世界で最強豪国であるロシアに対する憧れからロシア語への興味もなんとなく生まれ、そこで加藤先生がロシア語を教えてくださるというのでやってみるかと思い、勉強し始める事にしました。すると偶然にもチェスで旧ソ連の国々に行く機会が3回もやってきて、そのうえ、大学ではロシアを専攻とすることになってしまったのです。いつの間にやら、ロシアと硬い絆で結ばれてしまったようです。ロシアは日本の隣国のなかであまりいい評判は聞かないものの、いざ付き合い始めると不思議な魅力で人を引き付けてやまないのです。「おろしゃ会」で出会った人達もみな魅力的で、自分が想像していたよりもずっと明るくて元気な人達で少し驚かされました。この楽しい会に是非また機会があったらお邪魔させていただきたいと思っています。今度は東京にも遊びに来てく ださい。 
(東大教養学部地域研究学科 ロシア・東欧地域文化研究学科4年 中村龍二 ) 

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会員から

 私たちの記念すべき第1回目の活動、それは、大阪に行くことだった。それも、ただ大阪に行くだけでなく、青春18切符を使ってロシア人からロシア語を学びながら行こう、ということが最大の目的だった。初めは、「エッ、なんて無謀な」ことだとは思ったが、実際のところ、みなさん日本語が非常に流暢であり、会話はほとんど日本語で進められた。そこでいろいろ日本とロシアの違いなどを知ることができ、和気あいあいとした大阪行きだった。無口なイメージが大きいロシア人だが、実際のところ人なつっこいことがよーく分かり、とても楽しい思い出になった。 
         (愛知県立大学文学部・社会福祉学科3年 原 豊美) 

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 初めは、とても不安で、彼らと仲良くできるだろうか、自分がどううつるだろうか心配していたが、そんな不安は話し始めると一気にふきとんだ。日本語と少しのロシア語を使ってお互い楽しくコミュニケーションがとれ、本当に楽しかった。今回だけでなくこれからもこのような交流を持ち、刺激し合って、これからの日露関係についても考えて行きたいと思った。(愛知県立大学外国語学部・英米科3年 鈴木夏子) 

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大阪領事館セルゲイ・ツァリョーフからのメッセージ
(意訳・文責加藤) 

 勉強するかたわら、その知識を他の人々と分かち合おうとする人々がいるということは素晴らしいですね。あなた方が「おろしゃ会」を創設されたことは、とても有益なことです!会の活動の一環として、いろいろな町を訪れるというのもいいですね。それは我が国についての知識が極めて貧弱な日本において、もっともっと多くの人々が、ロシアについて、さらにはロシア語について知ることを可能にするからです。 
 今回の旅行に参加するようにと、私をご招待して下さり、ありがとうございます。天気にはめぐまれませんでしたが、旅行といい、皆様との交流といい、最高の思い出として残っております。すでによき友人となったものとして、もう一度、是非お会いしましょう。そして、少しずつ、かの「偉大にして、力強い」ロシア語を使うようにしていきましょう。 敬具 皆さんによろしく。 

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露(つゆ)とおち露と消えにしわが身かな  
オロスのことも夢のまた夢 

 

「おろしゃ会」顧問 加藤史朗

 

 ご承知のように、これは秀吉辞世の句のパロディです。オロスもまたロシアの古い呼称です。県立大学でロシア語を教えるようになったのは、昨年の10月からでした。それまで東京の私立中学・高校で世界史を教えるかたわら、放課後に希望者を集め、ロシア語の授業をやってきました。県立大学のロシア語学習者は、事実上6人です。学生総数から言えば、前任校の2倍以上なのに、ロシア語をやろうという学生はその半分にも満たないのです。危機感を持ちました。ロシアは巨大な隣人であるのに、若い世代がロシアの現状に全く無関心であるというのは、どう考えても不健全です。好き嫌いがどうも現在の若者の価値基準であるようです。それはそれで普遍的な基準ではあると思います。でもウザイとか超キモイとかいう符丁で他者を排し、同質的な仲間のアイデンティティを確立しようとする傾向は、学問をする姿勢と全く対極的なものであるといわざるをえません。好き嫌いは自分の体験によるべきであって、匿名の風潮や雰囲気によるべきではありません。 
 ではお前はロシアが好きなのかと問われれば、冒頭の句のように答えるしかないというのが現在の心境です。愛は不条理であります。愛してはいるが、好きかどうかは分からないのです。可愛さ余って憎さ100倍ということだってあるのです。 
 私がはじめてロシアのイメージを刻印されたのは幼稚園に通っていた時です。7歳上の兄の友達が家に遊びに来ては、幼稚園児を次のようにからかったのです。「シロウ、ロシヤ、野蛮国、クロパトキン、ケッチンボ、李鴻章のハゲアタマ」と。これは、後に知ったことですが、日露戦争の後に生まれたしりとり歌の残滓でした。「スズメ、メジロ、ロシヤ、ヤバンコク、クロパトキン、キンタマ、マカロフ、フンドシ・・・」というロシアを揶揄するしりとり歌が、第二次大戦後まで生き残っていたわけです。「シロウ、ロシヤ」という響きは今も耳の奥底に残っています。しかし、その一方で社会主義ソ連は、当時こういう歌の残滓を消し去る勢いをもっていました。小学校の時、人類初の人工衛星スプートニク打ち上げ、中学の時、ガガーリンによる初の宇宙飛行と社会主義ソ連の優位を示す出来事が矢継ぎ早に続きました。中学から高校にかけて、ロシア民謡を中心とした歌声運動の隆盛、理科系のロシア語学習ブームを経験しました。東海高校で当時一番だった生徒は、モスクワのルムンバ民族友好大学への進学を希望して先生方を慌てさせました(先生の説得で結局は東大に行きました)。ところが、へそ曲がりの私は、そういう時代の風潮に反発し、ソ連はロシアにあらずと思いこんでいたのです。だから、ソヴィエト文学はほとんど読まず、プーシキンからチェーホフにいたるロシア文学だけを愛読しました。早稲田大学の政経学部では「共産主義の理論と実践の批判的研究」というゼミをとりました。ロシア革命にはロマンを感じましたが、スターリンによって作られたソ連体制には嫌悪感を感じました。政治学科を終えた後、文学部の西洋史に学士入学をし、ロシア史の勉強を始め、さらに大学院へと進みました。なんと18歳から36歳まで早稲田の学生だったのです。学生時代の私はロシアに対して一種のモラトリアム状態にあったと思います。ソ連への旅行や短期間の留学といったチャンスがなかったわけではありません。しかし、パック旅行や短期間の留学ではソ連の建て前しか見ることは出来ない、という理由でそのチャンスを見過ごしていました。27歳の時、西ヨーロッパを一ヶ月旅行をしました。当時モスクワに留学中の恩師から、帰路ロシアに立ち寄るようにと薦められましたが、それを辞退し、パキスタンやタイを経由する南周りの道をとったのです。天の邪鬼の私が初めてソ連に行ったのは、1987年41歳の夏でした。「ロシア研究者がソ連に行ったことがないなんて」という妻の一言がきっかけでした。バカにしていたパック旅行でナホトカ・ハバロフスク・モスクワ・キエフ・レニングラードを旅したのです。衝撃を受けました。ソ連の背後に息づくロシアに出会った思いがしたからです。その後は、遅すぎた「疾風怒涛」の時代を迎えました。年に1、2回はロシアに行くという状態が続いています。この間ソ連が崩壊し、ロシア連邦が生まれました。ロシア自らの「疾風怒涛」が私のそれに拍車をかける格好になっています。 
 このように私のロシアを見る眼は、近代日本がロシアを見てきた視点とまさに裏腹であったということが出来ます。両者はともにロシアに対して「思いこみ」で接してきました。普通に、背伸びせずロシアを見る時が来ているのです。 
 今回大阪に訪ねたセルゲイ・ツァリョーフは、3年前モスクワで出会った青年です。当時海軍を辞め、外国語大学で日本語を勉強中でした。努力の甲斐あって、外務省職員となり、昨年から大阪の領事館で働いています。素直にロシアと向き合うとき、彼のような外交官が力を発揮するでしょう。

 

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