おろしゃ会会報 第14号その2

2007年

 

 

上の写真はネルリ川のポクロフ教会 ロシア語ウィキペディアから複写

 

    

社会福祉援助技術演習T ライフヒストリー

 

 

Дорогая(ダラガーヤ) Россия(ラスィーヤ)

親愛なるロシア!

 

 

               井平貴子(愛知県立大学文学部社会福祉学科2年)  

 

 

 

 

インタビューした人 愛知県立大学外国語学部 加藤史朗先生

場所 加藤先生の研究室

日時 2006623日(金)午後1時から220分頃まで

 

 

    学生時代

加藤「現在愛知県立大学外国語学部の教師です。ロシア研究というのを、一応専門にしております。生まれたのが1946年、昭和21年5月23日です」 

加藤「つまり、第二次世界大戦が終わった翌年に生まれたんです」

井平「はい」

加藤「で、僕の時代はそんなに多くなかったんですけど、僕の次の年からベビーブームが始まりました。「団塊の世代」の始まりです。ええ、僕の記憶では、小学校のクラスが四組か五組だったのが、一挙に七〜八組に増えました。団塊の世代というが実感出来ます」

井平「へえー」

加藤「僕は岐阜県の多治見出身ですが、名古屋の東海中学という私立中学に入りましてね、高校も同じ東海高校で勉強したんですね」

井平「はい」

加藤「多治見から中央線で大曽根まで汽車で通ってたんですね。で、まぁ、あの当時多治見から同級生は、三人行ってたんですね、僕も入れて」

加藤「で、現在は二人とももう亡くなっちゃって、今残っているのは僕一人なんです」

井平「ええ」

加藤「ええー…はるか昔の話で、で最近60歳を迎えて」

井平「はい」

加藤「今年は、還暦記念の同窓会なんかをやりました。何人かもう死んでますねぇやっぱり…」

井平「中学高校時代は、どんな科目に興味があったのですか」

加藤「やっぱり社会科系に興味があったんですね」

井平「はい」

加藤「でクラブ活動も社会科学研究部時事班っていうのに入ってね、アルジェリア独立運動など、当時の時事問題なんかの勉強をしてたりしたんですね」

加藤「それから高校時代は、生徒会の執行委員になり、会計をやりました…まあそのときだけ一年間、名古屋に下宿しました」

加藤「その後、早稲田の政治経済学部の政治学科に入ったんです。やっぱり社会科系の勉強をしたいと思ったんですね」

井平「はい」

加藤「うん。だけど、当時僕はやっぱり、その社会科系の勉強をする上でね、社会主義、ロシア、ソ連のことを、やっぱり勉強しなきゃいけないなと思って…ロシア語を取りました」

井平「ああ」

加藤「それから、三・四年のゼミはですね、えー井伊玄太郎という先生の共産主義の研究をやるゼミを取ったんですよ」

井平「はい」

加藤「詳しく言うと «共産主義の理論と実践の批判的研究» っていうのがゼミのテーマでね。それで、まぁ、勉強してたんですけども、なんていいますかねぇ、あの当時、まぁだから世の中に余裕があったせいか、……就職ということよりも、学問というのに夢を抱いていたんですね。井伊先生もシモーヌ・ヴェーユを早くから日本に紹介した人で、 «良き社会の会»という会を主宰していらしたし。夢見るところがあったなあ」

井平「はい」

加藤「本当に勉強したいことを勉強するのが第一だと考えていた。就職っていうのは大学を出てから、色々自分で考えてするもんだと思ってたの」

加藤「ところがですねぇ、あのーみんな会社訪問なんてやるわけだ。うん大学四年生になると、」

井平「はい」

加藤「春から、学生服や背広を着て、友人たちも見違える姿になって、変なことするなあと思ってたんですけどね(笑いながら)」

井平「ふふふっ」

加藤「あれっそれが就職活動なんだってことに終わりごろ気がついてねぇ、やばいなぁと思ってね(笑)」

井平「(笑)」

加藤「で自分は何やったらいいかわかんなくなっちゃってさ」

加藤「で一応何かね、二三受けたんだよね」

井平「会社をですか」

加藤「新聞社だとかさ、」

加藤「出版社なんかね…みんな落ちた(笑)で、まぁいいさ、いずれ卒業してから就職考えればいいさ、と思っていたんですよ」

井平「はい」

加藤「で、ええーまあー当時僕らの時代はあの学生運動が盛んでして、早稲田もね、ほとんど授業がなかったのね、授業が」

井平「えっ!?」

加藤「あのー授業料値上げ反対とかですね、」

井平「はい」

加藤「学生会館の管理運営をめぐる問題だったり、ベトナム戦争に反対する反戦運動とかですね…」

加藤「それで、あぁなんにも勉強しないまま早稲田を出ちゃうのも癪だな、と思ってね。結局文学部に学士入学することにしたんですよ」

井平「が、学士?」

加藤「学士入学」

井平「ああ」

加藤「つまり、政経学部で政治学士っていう学士をもう取ってるわけだ」

井平「はい」

加藤「そうすると、そのー教養課程すっ飛ばして、三年生になることができる」

井平「ああ」

加藤「文学部の」

井平「へぇ」

加藤「でそういうのを学士入学って言うんですけど」

井平「はい」

加藤「あーそれで、文学部に入りなおしたんです。で、政経学部時代ほとんど僕はあまり授業に出てないのね、考えてみたら、ほとんどの授業が、大きな教室でやるのね」

加藤「入りきらないぐらいの学生が集まってね、」

井平「はい」

加藤「で、えぇなんかマイクの授業ってつまんないなぁと思って、ロシア語の授業だけは出てたけど、そういう大教室の授業なんてほとんど単位取れればいいってぐらいのですねぇ」

加藤「そう思ってて、出なかったんですね。だから、卒業まぎわになって、あぁ勉強何にもしてなかったなぁってことに気がついて(笑)」

井平「ふふふっ」

加藤「あぁもともとのやりたかったことは社会科系だ、あぁ歴史だ、ロシアだ、ってことになったわけだな。それで、 «共産主義の理論と実践の批判的研究»というテーマをやってたって、歴史を知らなきゃ全然だめだってことが分かってさ」

加藤「それで文学部の西洋史に入ったんだ、学士入学で。それでもうこれは続けられるところまで続けてみようっていうことで、」

井平「はい」

加藤「えーアルバイトしながら勉強したわけだ。うーん夜警をやったりね。ビルの」

井平「うわあ、ええっ!」

加藤「うん、サウナ風呂の夜警もやったりね。本屋のセールスマンもやったりさ」

井平「セールスマンですか」

加藤「うん洋書販売業者のね。そういうことやったりして、えぇーとにかく何とか勉強続けられるとこまで続けようと思ってやってたわけ」

井平「はい」

加藤「そうこうしている間にね、あのー就職の話があったんですよ。それはあのー、早稲田の政経でロシア語習ってた先生が、就職先を紹介してくれたの、今、若手のデザイナーとして有名な佐藤可士和さんのお祖父さんで、佐藤勇先生…本当にお世話になった」

井平「はい」

 

 高校の教師に

加藤「佐藤先生が、東京の私立の学校で、人を募集しているから行ってみないかと言われて、行ったんですね。それは、あの、東京の港区、六本木のすぐ近くに麻布、っていう町があるんですけども」

井平「はい」

加藤「麻布中学・高等学校っていうね、割とその進学校としては名高い学校ですね。伝統のある古い学校ですね」

井平「はい」

加藤「で、そこへ入ったんです。えー大学院に行きながら、」

井平「はい」

加藤「あーそこで講師を始めたんですね、4年間」

井平「講師ですか?」

加藤「非常勤講師を」

井平「あぁ」

加藤「ところがねぇ、4年たった頃にね、専任にならないかって言われて」

井平「あぁ」

加藤「勉強まだ続けたいけれども、生活も安定したいっていうことで専任になったんですよ」

井平「はい」

加藤「向こうから声かけてくれて。それでずぅーっとそのまんまですねぇ、大学院に籍を置きながら、えー35歳ぐらいまでずっと大学院生やってたのね」

井平「三、十」

加藤「35歳まで。つまり早稲田に18歳で入学してから、35歳まで学生だったわけだ」

井平「あぁ」

加藤「(聞き取れず)ただもちろんそうは言っても実際はもう教師やってて、あまり大学には行っていないけれどね」

井平「はい」

加藤「まあそうだなぁ、大学院の授業には一週間に一度行けたらいいほうで、行けないことが多くて、まあ先生はいいからお前はって言われて、その言葉に甘えていたんだね」

井平「はい」

加藤「とにかく後、論文だけ残してね」

井平「はい」

加藤「修士課程にずーっといて」

井平「はい」

加藤「んで修士論文書いてそのまま博士課程にずーっといて論文書かないまま、もういい加減出てくれないかって言われるまでいたわけ。でその間あの、ずっと麻布で世界史の教師やってたわけだな」

井平「あー」

加藤「…非常勤4年、それから、その後23年半専任として…世界史の教師をしていました」

井平「あー」

加藤「うーん合わせると28年近くやってたんだねぇ、世界史の教師。…そんでその間、ロシア史研究会ていう研究会に属して、ロシアの研究については、自分のペースで少しずつやってたんですよ」

井平「どんなことを研究なさってたんですか」

加藤「僕はね、19世紀のロシアの思想家でアレクサンドル・ゲルツェンていう人がいて、」

井平「はい」

加藤「その人のことをね、勉強してたんです。卒業論文からずっと」

井平「はい」

加藤「この人は、えーロシアから、イギリスに亡命した人です、はじめは、イタリア行ったりパリへ行ったり…」

井平「はい」

加藤「最終的にロンドンで長く過ごした人ですけどね」

井平「はい」

加藤「えぇ、んであのーロシアから出て自由な言論を求めて西欧行って、」

井平「はい」

加藤「でー、自由ロシア印刷所っていうのを作ってね、」

井平「はい」

加藤「そこでロシアでは出せないものを出版したんですね」

井平「へぇ」

加藤「ロシアで禁じられている情報がどんどん集まったのね」

井平「ああ」

加藤「でそれがロシアに逆に輸入されて、ちょうど1861年の農奴解放期のときに非常にまぁ、大きな力を発揮したんですね」

井平「はい」

加藤「この人は面白い思想家なので…」

井平「はい」

加藤「一生懸命勉強してたんですよ」

井平「はぁ」

加藤「それで、結局、んー論文も、書けるときは時々書いてたんですね」

井平「はい」

 

愛知県立大学へ、ロシア人気は…

加藤「えーそうこうしてて、県立大のほうに来るチャンスがあったので、転職したっていうわけなんだな」

井平「あぁ」

加藤「うーん、まぁ、個人史的に言うとねぇ、やっぱりその間に結婚して、」

井平「はい」

加藤「子どもができて、で自分が目の前でいつも教えてる子どもたちが、」

井平「はい」

加藤「自分の子どもより、若くなっちゃって(笑)」

井平「(笑)」

加藤「いやーこれはやってられないなーと思うようになったの」

井平「ふふっ」

加藤「やっぱ自分の子どもより若い少年相手にすると疲れるなーと思って。それで、あぁーもういい加減ちょっと、同じ仕事続けるのは飽きたなぁと思ってるときに、県立大の話があったんで、で応募したんですね。運良く採っていただいた、という次第なんだなぁ」

井平「あぁ」

加藤「…職業的にはまぁそういうことだなぁ。それでまぁ、考えてみりゃ東京からみりゃ、名古屋はふるさと多治見っていうところに近いわけじゃない」

井平「はい」

加藤「えー里心がついたってことも言えるかもしれんね」

井平「(笑)」

加藤「年取ってからね」

井平「え、県大に来たのはいつぐらい…」

加藤「ちょうど県大が高田町からここに越してきて、半年経ってからだ。つまり1998年」

井平「あー」

加藤「十月いっぴから、十月一日から。うーん…で、赴任した時は、ある意味、最悪の時期だった。というのはどう意味かっていうと…」

井平「はい」

加藤「ロシアっていうものが、もう最悪、ていうかロシアに対する人気がものすごい、低下してた時期なんですよ」

井平「はぁ」

加藤「ご承知のようにねぇ、1991年に、ソ連が崩壊したじゃない?でそのソ連が崩壊する前、えー例えば1991年ソ連が崩壊する前の、1980〜そうですね1998年ぐらいまでは、」

井平「はい」

加藤「ペレストロイカの影響で、ソ連に対する関心やロシアに対する関心はものすごく上がったわけ」

井平「あぁ」

加藤「で僕は、さっき言った麻布中学・高校でね、放課後にロシア語の授業やってたんですよ、自主的に」

井平「へぇ」

加藤「そこにはね、50人ぐらい生徒が集まってた」

井平「50…すごい」

加藤「で、お母さんたちも来てた」

井平「ええっ(驚)」

加藤「ね。」

井平「へぇ」

加藤「だからすごい人気あったわけだ」

井平「はぁ」

加藤「それで、当時、僕はね非常勤講師として茨城大なんかに行ってたんだ、ロシア語教えに」

井平「はい」

加藤「週に一回。そのときもね、50人くらいいたの、ロシア語の生徒が」

井平「そんな、すごいですね(笑)」

加藤「すごい。一クラス50人だよ、あんた、語学の時間としては考えられない数だよ。ところがね、県大来たらね、一クラス3人しかいない!(笑)」

井平「(笑)」

加藤「(笑)3人しか…。やっべぇなーと思ったわけだ。うーん。えぇこんなんじゃ僕仕事やってけるかなぁと思ったねぇ」

井平「(笑)」

加藤「それで、まあみんな、その3人、とかね、一学年3人、その下も3人だ」

井平「あぁ」

加藤「でその人たちと一緒に「おろしゃ会」ていうの作ってさ」

井平「あー」

加藤「ロシア研究サークル。それから少しずつ、ロシア語取る人増えてきた。まぁ、時代のせいもあるだろうね」

井平「はい」

加藤「うーん。…だから、今のところロシア語に対する関心は、あのーある程度歩留まりしてるんじゃないかなぁ。十数人くらいから二十数名の間を行ったり来たりしてるから」

井平「あぁ」

加藤「うん。あなた一年のときその、二十人ぐらいいたでしょ」

井平「そうですね」

加藤「うーん」

井平「それも結構少ないほうだと思いましたけど」

加藤「少ない。そりゃ少ないよ」

井平「んー(笑)中国語とかだと、その、」

加藤「うん」

井平「クラス分けがあるじゃないですか」

加藤「うん」

井平「なんか、学部ごとに」

加藤「うん」

井平「そういうのが無かったんで少ないなぁと」

加藤「あなたなんでロシア語取ったの」

井平「私は別に外国語は何でもいいかなって思ってて、」

加藤「うん」

井平「でその、入学式のオリエンテーションのときに」

加藤「うん」

井平「先生が、なんか紹介しに来たじゃないですか(笑)」

加藤「うん。うん。うんうんうんうん」

井平「あれで、ちょっと面白そうだなって興味を持ったので、」

加藤「うん」

井平「ロシア語を選んだんですけど」

加藤「あーそうか。僕はねいつもあれやってんだけど、今年に限ってやらなかったらやっぱり十人くらい減った」

井平「(笑)」

加藤「宣伝しなきゃだめだね(笑)うーんそっかー…まぁだけど、自分で、生きる仕事としてはあのー、割と自分なりに恵まれてきたっていう風に思ってるんだけど」

井平「はい」

 

    教師の辛さ、空しさ

加藤「うーん、いずれにしろ、学校の教師っていうのは、ま、ストレスっていうものが溜まる構造に入り込んじゃうともう、果てしなくストレスが溜まるよね」

井平「どういう、時ですか。例えば」

加藤「どういう時かっていうと、例えばですねぇ。人間関係じゃないですか、学生との間もねぇ」

井平「あぁ、はい」

加藤「学校の生徒との間もいろいろだよ。例えばすごく心配な子がいたりするじゃない」

井平「あぁ」

加藤「でそういう心配な子がいて、その心配な子に、意識を集中すると、」

井平「はい」

加藤「他のほうが見えなくなったりするわけだ」

井平「ああ」

加藤「でそこでトラブルが起こって、ものすごい悪循環が起こってね。その辺で落ち込んだことありますね」

井平「はぁ」

加藤「例えば十二指腸潰瘍になったりね。それで…」

井平「えっ」

加藤「胃が痛くなっちゃって…だから学校の先生は、楽しいけども、あの、歯車が狂うと大変つらい仕事だなという風にも思うよね」

井平「はぁ」

加藤「うん。…前の学校の同僚なんかでもね、悩んで辞めてしまった人とか、死んでしまった人がいました。すごくいい学校なんだけども、そういう風に、厳しいところがあったなあ」

井平「はい」

加藤「割りとそのー、男の子ばっかりで、生意気な男の子ばっかりだからね」

井平「はい」

加藤「緊張感ていうか、すごくストレスを感ずることはあったね」

井平「ああー」

加藤「そんで県大来たら県大は逆にその、おとなしくて、反対のストレスがかかったんだよ、今はちょっと違うけど」

井平「あぁ」

加藤「あの当時はねぇ」

井平「はい」

加藤「真面目はいいんだけど、非常におとなしくって、積極的な発言しないから…語学っていうのは積極性がないと、」

井平「あぁ」

加藤「如何ともしがたいわけだな。あー、だろ?」

井平「ふっ(笑)」

加藤「うーん。だから、そういうとこでは、ちょっとやっぱり、あのー逆にこのー、前の学校、職場と比べると、百八十度違った雰囲気で、しかも女子学生が多いし」

井平「あぁ」

加藤「そういうところで少しね、あーなんか難しいもんだなぁと思うことありますねぇ」

井平「はぁ」

加藤「うん。どこいったって。うん…難しいよ。人間相手だもんね。だけど、あれだね、うーんなんちゅうかな……なんかこう、自分でこう、これだけのことをやってきたっていう風なことがなかなか、あのー、自覚できないって言うのかなぁ」

井平「はい」

加藤「だから面白い、だから、面白い。でも逆に、あの元気が無いときには重いよね、この仕事。それでも後になれば、面白いとは思うんだけど…」

井平「はい」

加藤「ちょっと落ち込んでるときは、あ、はー空しいと。賽の河原で石積む。分かる?賽の河原で石って」

井平「さい?」

加藤「賽の河原で石積むって聞いたことあるだろ」

井平「あー、あります。あの、何、何か石積み上げても鬼が崩しちゃうていうのですよね」

加藤「そうそうそう折角。あるいはあのー、シジポスの、あのーね、山に向かって石をグゥーとこう上げると、ドン、とまた落とされる。つまり、…やったことをいつもガラガラポンと、初期化するっていうの。フォーマットしなおされて、ああっ、なんだ、今までやったことはまたゼロかって風に思うことはたくさんあるんだけど」

井平「あぁ」

加藤「元気がいいときはさ、いやぁだから面白いって思えるんだな」

井平「あぁ」

加藤「うん。…つまりさ、あのー例えばね、あのーロシア語取ってる学生なんかでもね、あの、あぁこの子はよくできるな、あぁ、教え甲斐があるなと思うじゃない?」

井平「はい」

加藤「すると、その子が出てっちゃうじゃない」

井平「あ、」

加藤「でまぁ外で活躍するじゃない」

井平「はい」

加藤「また新たに始めるわけじゃない」

井平「はい」

加藤「つまり蓄積がきかないわけだよ。だから、新しい出会いがあるから逆にそれは面白い、っていう風に思えるときは元気がある時なんじゃないかな?」

井平「はい」

加藤「元気が無いときは、やぁー空しいなぁと思う」

井平「あぁ」

加藤「落ち込むわけだ。その繰り返しだね」

井平「あぁー」

加藤「うん。まあ、どうだろう、あなたなんかでもその、今、人生今まで二十何年か?二十年位か」

井平「まだ、あのー今年二十になるんですけど」

加藤「まだ十代か」

井平「はい」

加藤「あー若いなぁ。でもそれだったら、分かるだろ。何でもそういうことあるじゃない?」

井平「んー何だろ…あるかな。よく、よく分からないですね。今考えても」

加藤「うーん」

井平「あったのかもしれないけど」

 

     勉強は何のためにするのだろう

加藤「あなたは県大に入ってきて良かったか?」

井平「そうですね。よかったと思ってますけど」

加藤「うーん。…将来的にはどういう分野へ進むかまだ決めてないって言ったね」

井平「はい」

加藤「うん。これからだよね」

井平「そうですね」

加藤「うん。…社会福祉を選んだ理由は?」

井平「社会福祉、な、何だろう、何か、そういう、中学校のときにはじめて公民をやったときから、その、何かそういうなんか社会系の?こと、が、面白いなって思ってて」

加藤「うん」

井平「何で社会福祉を選んだかっていうとちょっと」

加藤「あ、公民をやってね」

井平「はい」

加藤「うん。おんなじだな。僕はだから、やっぱり歴史をやって歴史が面白いなぁと思ったからね」

井平「あー」

加藤「特に世界史がね……やっぱり中学高校のとき面白いなーと思ったことに段々こう、ずっとこうこだわってくるとそういう風になるんだろうなぁ」

井平「そうですね」

加藤「あなたも社会の公民だろ」

井平「はい」

加藤「うん。…で社会福祉ってさぁ、結構幅広いでしょう」

井平「そうですね」

加藤「うん」

井平「何か思ったふうよりもいっぱいあって、ちょっと、」

加藤「社会学みたいなば、学問もあるしなぁ」

井平「はい」

加藤「松宮先生の」

井平「あ、はい」

加藤「うん。ふぅん」

井平「何か入ってみて分かったんですけど、経済とかそういうのもやってみたほうがやっぱり」

加藤「そらそうだなぁ」

井平「そうですね」

加藤「うーん。心理学とかなぁ」

井平「はい」

加藤「うーん。社会心理学、経済なんか特に必要だよなぁ」

井平「そうですね」

加藤「社会学、経済学それから、法律ね」

井平「はい」

加藤「うーん。…ロシア語やりなさいロシア語」

井平「ふふっ(笑)」

加藤「そういやさぁ、何であなたロシア語やってんのって、聞いたことがあるよね。でも、はっきりした解答は出来ないよ。何でも、何でだろうと思いながらやってるものじゃないのかなあ。つまり、人間ってさぁ、あんまりその、目的がはっきりしてることをやってるっていうのはつまんないじゃない」

井平「あぁー」

加藤「どうしたって功利的になるじゃない。効率を求めるじゃない」

井平「はい」

加藤「これやったらクリアするかなーとかさ」

井平「はい」

加藤「まったくね、何て言うのかな、なんの役に立つのか分からんようなことをやることも大事だよね」

井平「(笑)……ロシア語は私今年は、なんか、去年やってみて面白かったからっていうんでまた取ったんですけど」

加藤「うん。うーん。難しい?」

井平「難しいですね(笑)」

加藤「あなた出来るよ…」

井平「そうですか」

加藤「僕、うん。あの、すごくセンスいいよ。是非続けてみてよ」

井平「はい」

加藤「…あのね、」

井平「はい」

加藤「えーっとロシア語やってたらさ、その、なんて言うかさ、うーん、…おろしゃ会ていうのは、別にそのこう、毎週集まるとかそういうサークルじゃなくて、」

井平「はい」

加藤「遠足したり、いろんなロシアの催しやったりする、そういうのに、是非出てください」

井平「はい」

加藤「うん。あるいは何か書いたりね。あの、僕はさっきから、ちょっとあのおろしゃ会のホームページ見てたんだけど。…ねぇ、例えばねぇ、…ここに、平岩君ていうのがいてねぇ。この人。京大の大学院出ているんだけど、学部は、県大の文学部なの」

井平「はい」

加藤「(よく聞き取れず)すごく、いい、卒業論文書いた人ね」

井平「はい」

加藤「それから、もう一人あれ、…この二井さんていう、この人今年卒業したひと。フランス学科の」

井平「はぁ」

加藤「うん。あなたも、いい卒論書いてここに載っけてよ。やっぱり、学校ってほら、あのー一番僕大事だと思うのはあの、学生同士の交流ていうかさ」

井平「はい」

加藤「横の連絡っていうかさ。あのー刺激しあうっていうことが大事だと思うんだよね」

井平「はい」

加藤「うーん、だから、教師があんまりさぁ、あの、ああだこうだと指導して、するよりも、」

井平「はい」

加藤「学生がこう、どんどんどんどん自分でこう、やって、それで教師はそれを見てるくらいがちょうどいいんだよね」

井平「はぁ」

加藤「うん。だからそういうことをね、目指してんだ、おろしゃ会は…」

井平「あー」

加藤「うーん、この幅さんという人は、この人は、やはり、ここの文学部で一年間勉強した後、名大行った人だよ」

井平「え」

加藤「で名大で、卒論書いた」

井平「あー」

加藤「うん。ロシア文学だよな、専門は。おろしゃ会のホームページにその卒論が全部載ってるよ。ここには色んなあれがあって(?)うん。まぁ、あのー、それでさっき僕が言ってたのはねぇ、えーと、「おろしゃへの遠き道」(パソコンで打っている)という僕が書いたものが載っている。あなたが今、僕の話をメモして、録音してるじゃない?」

井平「はい」

加藤「で、テープ起こさなきゃいけないじゃない」

井平「はい」

加藤「で、そのテープを起こすのに参考になるエッセイがある。リレーエッセイ。僕がこれ書いた」

井平「あー」

加藤「で、あの成文社っていうところ、のホームページに載っけてあるのこれ」

井平「はい」

加藤「でこれをねぇ、あなたにあげるからさ。これはあの、テープを起こすときに参考になるだろう」

井平「あ、ありがとうございます」

加藤「自分の、歩みを振り返って書いたやつだからね」

井平「あぁー」

加藤「でこれをね、…えーとちょっと…うーん…あれに、PDFに。知ってる?PDFって」

井平「…あ、はい」

加藤「…PDFに変換して(?)あなたにあげるから」

井平「あぁ」

加藤「(パソコンを打っている)それであなたはその、自分の、どっか、あ、あの、アドレスある?あのPCの」

井平「あー、パソコンまだちょっと、メール設定してなくて」

加藤「あ、そうか。大学のほうやってないのか」

井平「はい」

加藤「それじゃーだめだな。これじゃあ、これ印刷しなきゃだめだな。印刷して渡すわ。……うーん。……あなたはだけど、本当によく勉強してて感心してるんだけど」

井平「そ、」

加藤「好きか、勉強は」

井平「す、よく分からない(笑)、何かめんどくさいと思うときもあるし、」

加藤「うん」

井平「ものすごい楽しいと思うときもあるし」

加藤「楽しいと思うときはどう、どういうことだ。やっぱり考えててよく分かったとき?」

井平「よく分かるときとか、あと、あのレポート書くために調べるとき、に何か自分の、知らなかった、」

加藤「うん」

井平「意見とかそういうのを知るのがすごい楽しいと思うときあるんですけど」

加藤「うん。うん」

井平「それを、何かまとめようとすると……言葉が浮かばなかったりとかして、」

加藤「うん」

井平「そういうときは、ちょっと」

加藤「まぁそうだなぁ」

井平「(よく聞き取れず)」

加藤「(よく聞き取れず)うーん、……(印刷中)今僕が述べたことは大体書いてある」

井平「あー」

加藤「うん。…ほらほらこれ麻布でのロシア語の授業の後に撮った写真です。生徒、多いでしょ?」

井平「あー」

加藤「ロシア人の先生もいるでしょ」

井平「ロシア人の先生も来てたんですか?」

加藤「そうそうそう。エカテリーナさんて言う人、この人だよ。美人の歌手でしょ」

井平「あー」

加藤「うん。前に紹介したでしょ?(※授業中に歌を聴いた)」

井平「はい」

加藤「これは、彼女の息子のセルゲイね。セルゲイ君てのは、おろしゃ会の遠足にも参加したよ」

井平「(リレーエッセイの印刷をもらう)あ、ありがとうございます」

加藤「うん。まぁざっと僕の方から言うことはそんなことだけど、」

井平「はい」

 

   昔、ロシアはすごかった

加藤「あとは、あと個別的に質問してみてください」

井平「質問ですか」

加藤「うん」

井平「えーと、じゃ、あの高校のときに、もう何か、ロシアの研究を」

加藤「うん」

井平「をしてたんですよね。そ、それは」

加藤「うん、いや、」

井平「た、どんなことを」

加藤「高校のときはねぇロシアの研究ってよりかねぇ、」

井平「はい」

加藤「あの時代はねぇ、あのー、ロシアのブームだったの一つの」

井平「ブーム?」

加藤「ブーム。例えば、あのーロシア民謡がブームだったの」

井平「あぁーあー」

加藤「歌声喫茶っていうのがあって、」

井平「あぁ」

加藤「ロシア民謡をみんなで歌うんだよ、お客が」

井平「あーぁ」

加藤「で僕がねぇ、高校一年のときにね、国語の先生が来たんだ。この人はね、早稲田の文学部を出てた、露文科を出た先生だった」

井平「ふん」

加藤「えー宮崎先生っていってこの地域では有名な、先生だな。演劇なんかや、色々読書会主催するとか。でその宮崎っていうのはね、あの早稲田の露文を出て、えー…あのー新任の先生として来たわけだ」

井平「はい」

加藤「で僕らとあんま歳違わないわけだ。えーまぁそうですねー十歳まで違わないわけだな」

井平「はい」

加藤「うーん。だからね、すっごいこう新鮮なあれを受けて、んでまぁロシアのことを勉強したりするようになったという面もあるけど、」

井平「はい」

加藤「あのー評論家のクレトモフサって知らない。呉智英って?」

井平「ちょっと分からないです」

加藤「ここで、今非常勤講師やってるけど」

井平「はい」

加藤「あの、この人もですね、当時、同じクラスにいてね」

井平「はい」

加藤「でー、まぁその人たちと、ロシア文学読んだりしてたっけ」

井平「あー」

加藤「で、あの時代はみんながね、あのロシア文学を読んだり色んな本を読むとね、『お前この本読んだか』とか『読まなきゃだめだ』とかさ、」

井平「あー」

加藤「こんな面白いこと書いてあったとかさ、」

井平「はぁ」

加藤「それ言うわけだよ。だから、」

井平「みん、みんながですか」

加藤「うん」

井平「はぁ」

加藤「『えーお前そんなんも読んでないの?』とか」

井平「うふふふっ(笑)」

加藤「『えー恥ずかしっ』とか言うんだよ」

井平「(笑)」

加藤「『えードストエフスキー読んだことないの。うわぁ馬鹿じゃない』とか言われてさ、そんでうち帰って一生懸命読んだり、本借りてきて読むわけよ。んで、『やぁ読んだ。面白かったね』って実は読んでなくてそういうわけ(笑)」

井平「(笑)」

加藤「そういう背伸びの時代があってさ…」

井平「はい」

加藤「そういう中であの、なんちゅうの?あれだよ。あの、おーロシアなんて絶対勉強しなきゃいけない、こういう、…この人(※呉智英先生の本を見せてくれる)彼はずっと、中学から高校まで一緒だな。あぁ大学も一緒だ。結局今は名古屋で一緒で。…まぁそういう人がいたりね」

井平「はい」

加藤「えーまぁ、こ、この、なんちゅうの、…うーんだから、ロシアを専門に研究してるんじゃなくて、」

井平「はい」

加藤「えーとみんなが知ってるロシアってものがあったんだよ当時は」

井平「あー」

加藤「例えばそれは、トルストイであったりドストエフスキーであったり、それから、あーチェーホフであったり、ね」

井平「はい」

加藤「ツルゲーネフであったり。あるいはもっと言うと映画のエーゼンシュテインだったり、それから、あのーなんていうのかな、うーんバレエであったりね」

井平「はい」

加藤「やっぱり、あの踊るバレエね」

井平「はい」

加藤「うーん。それで、まぁ、ある意味では、やっぱりソ連は輝いていたっちゅうかな、あの時代」

井平「そう、なんですか?」

加藤「そう。つまり、日本は、米ソという二つの超大国の狭間にあったわけじゃない」

井平「はい」

加藤「でアメリカと軍事同盟を結んでた、日米安保条約っていうの」

井平「はい」

加藤「だけど、ソ連っていうものについてはさ逆にね、えー仮想敵国であるという風に思う一方で…」

井平「はい」

加藤「資本主義体制に反対する若者たちには、夢を、一種、こう見させる国だったのね」

井平「あー」

加藤「ほとんど内実が見えてなかったから、夢が見えるわけだね」

井平「あー」

加藤「うん。中身がよく分かってなかったから。……だからあなた方が今想像すると、何でだろうと思うかもしれませんけど、ある時代、そうですね(聞き取れず)、今のようにアメリカの一極支配じゃないから、米ソという二つの大国の、間の対立があったから、あるその自由があったのかな。うんやはり、」

井平「じゆ、自由ですか」

加藤「うん、その学問とかそういうもの。こっちじゃなくてこっちとかさ、選択肢がね、あるように見えたんだよ」

井平「あぁ」

加藤「……今、は割とそのーみんなが英語勉強しなきゃいけない、みんながパソコンやらなきゃいけない、んでみんながこう、市場原理の中で生き残る、勝たなくちゃいけないって思うじゃない。学校だって、勝てるっちゅうかあの、生き残れる、そういう学校にならなくちゃいけないって血眼なんだよ。そう言う風に世の中どんどん動いているじゃない?」

井平「はい」

加藤「なんかこう、道がすっごく、一つしかないような気がするんだよな。(聞き取れず)そう思わない?」

井平「なん、どうなんでしょうね、よ、よく分からないです。まだ」

加藤「まぁそうだなぁ。出発点に立ったばかりだもんなぁ。うん。今、あなた自身が思ってる、そのー、この、なんちゅうのかな今の社会とか今の大学とかそういうものに、対する、不満とか何かある?なんでもどうぞ…」

井平「なん、何か…なんか授業でやってると何かだんだん、授業で聞くようなことでは、そのー、何か今、」

加藤「うん」

井平「構造改革とかが進んで、」

加藤「うん」

井平「そのー、これも授業でやったことなんですけど、」

加藤「うん」

井平「そのー、どんどん二極化が進んでいくとか、貧富の差が拡大していくとか」

加藤「うん」

井平「そういうのをみるとなんか、うーん、ちょっと間違ってるんじゃないかと思うことはあるんですけど、何か実感としてそういうものがないので」

加藤「うん」

井平「不満といわれても、特に思いつかないですね」

加藤「うん。うん」

井平「その、自分の、実感としては」

加藤「うん」

井平「あれは」

加藤「だけど例えばサークル活動ってのはどんなことやってる?」

井平「あ、やってないです。その」

加藤「やってない?」

井平「はい」

加藤「うん。今授業で精一杯か」

井平「そうですね」

加藤「うん。そうかもしれんね。今二年生だからね(?)…うーん自分で勉強していく中で、えー例えばその友人関係とかさ、それからあのー先生との関係とかそういうことで不満はない」

井平「はい」

加藤「うん。今のところ満足してる」

井平「そうですね」

加藤「うん」

井平「もともとあんまり、何か、なんて言うんだろ」

加藤「うん」

井平「そういう欲求、とかがあんま無いほうかもしれない」

加藤「あんまり社交的とかそういうことじゃなくてか」

井平「はい」

加藤「うん。なるほどなるほど。…うん。それはあの、そしたら、堅実な歩みを歩んでるわけだ」

井平「堅実(笑)」

加藤「一歩一歩」

井平「(笑)そう、そうなのかな。なんか」

加藤「勉強は、一歩一歩やってるわけだ」

井平「んー、そん、そんな」

加藤「本なんか読むの」

井平「本、は読むんですけどでも小説とかしか、読まないですね。自分から読むんだと」

加藤「あー、それは大事なことだよとっても。どんな小説が好きだ」

井平「私村上春樹と谷崎潤一郎が好きなんですけど」

加藤「ほぅ。へぇー。あぁ、ある種共通性あるかもしれないなぁ」

井平「そうですか?」

加藤「うん。僕はロシアにいるとき村上春樹はよく読んだよ。…これ、ロシア語版だ、村上春樹の(※本を見せてもらう)」

井平「ロシアで今、村上春樹、流行ってるんですよね」

加藤「ものすごい流行ってる。うん『ダンス・ダンス・ダンス』」

井平「あぁ」

加藤「(聞き取れず)ね。で、ねぇ、やっぱりね、ちょっと間違ってたりするんだよね」

井平「間違って(笑)」

加藤「訳が。まぁ全部読んで(聞き取れず)ちょっと…ふぅーん。…うん、コーヒー淹れよう、やっぱり」

井平「あっすいません」

加藤「うん」

 

      コーヒーを淹れている

加藤「あなたはどこの出身?」

井平「はい?」

加藤「出身はどこ?」

井平「あー、あの」

加藤「(聞き取れず)」

井平「う、生まれたのは岐阜なんですけど、あのー」

加藤「うん」

井平「もうずっと前に、その海部郡の蟹江ってところに引っ越して、」

加藤「ああ、小柳先生がいるところだね?」

井平「そっ、だれですか」

加藤「(聞き取れず)蟹江ね」

井平「はい」

加藤「うん。…あぁじゃああれか、あんまり岐阜は記憶にないか」

井平「はい?」

加藤「岐阜、覚えが無いか」

井平「ぜん、そうですね、なん、何かこっち来てから記憶がつながってる感じで」

加藤「うん。岐阜市で生まれたの?」

井平「や、ち、あどうなんだろう。そこらへんよく聞いたことが無くて」

加藤「うん」

井平「多分岐阜、市だとは思うんですけど」

加藤「あぁぼくもね、母が岐阜だしね。それで多治見だしね(聞き取れず)」

井平「はい」

加藤「(聞き取れず)」

 

時代と人

 

加藤「思いっきり勉強してみるってことは、本当に楽しいことだよ」

井平「あぁー」

加藤「うん……」

加藤「なんていうのかなぁ。やっぱり、面白いものがいっぱいあるっちゅうことだよ、世界には」

井平「はい」

加藤「うん。まだ何十年、あるわけだからなぁ。僕なんかだんだん、後、時間が少なくなってきたから。焦ってる(笑)」

井平「(笑)」

加藤「まーぁでも、焦ってるってのは実はあんまり、人にそう言ってるんだけど、あんまり焦ってるって言ったって、本気じゃないんだけどね」

井平「あぁ」

加藤「うーん。割と僕は行き当たりばったりに生きてきたようなとこあるからな」

井平「そうなんですか?」

加藤「うん。だってさ、あのー、だいたい、就職について僕は苦労してないんだよ」

井平「あー」

加藤「全部落ちたって、まぁいいやじゃあ、卒業してから、就職すりゃあいいや、それまでなんかできるだけ勉強、し足りないからしておこうと思ったら、麻布っていうところ行ってみないかって言われてさ。それで、(聞き取れず)あぁ自分の子どもより、若い子は、教えるのにちょっと疲れるなと思ったら、県立大の応募しないかっていう話があってね。そういう意味じゃ割りと恵まれてるんだ。うん。で、この前同窓会で六十歳で、定年退職した人たちと会ったんだけど、」

井平「はい」

加藤「やっぱり、一生懸命良い大学入って、良い企業に行って、そして、まぁエリートで、あの定年退職した人も、」

井平「はい」

加藤「なーんか行き当たるばったりで生きてきた人も、」

井平「はい」

加藤「(よく聞き取れず)失敗した人も、まぁ年取ればみんな同じだわ……」

井平「そうですか(笑)」

加藤「うーん、みんな死ぬんだから(笑)」

井平「(笑)」

加藤「(笑)うー、んっと」

井平「当時はそんな就職とかは厳しくなかったんですか、なんか」

加藤「そりゃぁねぇ、厳しくなかったから、ある意味ではいろんなことできたんだよ」

井平「あぁ」

加藤「ていうか、日本の経済がワァッと成長する時期だったから。だからねぇ、隙間産業ということ(聞き取れず)色々いっぱいこう新しい分野が出てきて、」

井平「はい」

加藤「えー、まぁ、大きな会社の、自分なりにね、作って、出版社作って社長になった人も僕の知り合いにいるしね」

井平「あぁ」

加藤「からまぁ、こうチェーン店?」

井平「ああ」

加藤「安売り店みたいなもんやって、成功した人もいるしね。いろんなことが可能だったんだな。あの、一つの梯子を上ってかなくても、うん他にもたくさんあって、…うん、今でも実はそうだと思うんだけど、やっぱり、何かこう狭っ苦しい感じになってるなぁ。あのー、レールがっていうかあの、勝負するところがさぁ、割とその、…市場原理っていうのに縛られてるのね?」

井平「はい」

加藤「売れるか売れないかっていうの?」

井平「はい」

加藤「そこに懸かってるからさぁ。…例えば、国立大なんだから、そんなに、すぐ役に立つことばかりやらなくたっていいじゃないとかさぁ、公立大なんだから、なんだからね、少しはまぁお金赤字だろうけど夜間主みたいなものがさぁ、あってもいいじゃないかとかさぁ。あのー…私立大学はとってもできないから、まぁ公立だからゆっくりと勉強するような空間があっていいんじゃないか、あるいは、すぐ役に立たないような、ほんとにもう空想的なことやってもいいんじゃないかとかさ、そういうのが段々段々無くなっちゃって。…授業でも一年間に最低、何時間以上やらなきゃいけない、とかさ」

井平「あぁ」

加藤「僕らの時代はね、あれ、一年に三回か四回しか授業やらなかった先生いたよ」

井平「えっ(笑)」

加藤「うん」

井平「それ単位は取れるんですか、その単位というか」

加藤「そりゃ認めざるを得ないその先生」

井平「(笑)」

加藤「(笑)みんな、あー優くれた(?)よ」

井平「あぁ(笑い)」

加藤「…あのー、筑波大、ていう大学があるでしょう」

井平「はい」

加藤「あれが昔、東京教育大と言っていた」

井平「あぁ」

加藤「それが移転するときにね、」

井平「はい」

加藤「大きな問題が起こってさ」

井平「はぁ」

加藤「んでそのぉ、問題の、渦の中に巻き込まれちゃってその先生」

井平「あぁ」

加藤「だから出てこれなかったのね」

井平「あぁ」

加藤「うん」

井平「…なん、問題ってどんな問題、だったんですか」

加藤「や、移転反対って人たちと」

井平「あぁ」

加藤「うん。それからー、やっぱり、大学があのー、筑波大学っていうのは文部省の人のあのープランの中で、あの、うーん教育大っていうのを、新しい産業構造に合わせて変えてくっていう」

井平「あぁ」

加藤「そういうあれだったから反対する人いたわけだね。…昔は産学共同っていうことに反対する人が多かった。つまり、産業界と大学っていうのはある一定の距離が無きゃだめだったの」

井平「あぁ」

加藤「さっき言ったように産業界と大学が一緒に結びついちゃうと、大学も金儲けしなきゃ駄目になる(?)」

井平「あぁ」

加藤「役に立つもの生み出さなきゃいけない。売れるものを生み出さなきゃいけない。そうなると、学校っていうものが奥行きを失うわけ。だろ?売れないことやってもしょうがないじゃないって。だから産学共同っていうことは、学問を、窒息させかねないってことで僕らの時代反対したわけだ」

井平「あぁ」

加藤「今産学共同やらなきゃいけないって言う」

井平「そうですね(笑)」

加藤「産業界、学問、お役人、ね。…そういうの、気持ちよくないじゃない(?)コラボレーションだってさ……だけど変な話だけど、昔、僕らの世代でそういうこと反対してた人が、今、指導者としてそういうことに賛成して、旗振ってるっていう、変な傾向があるんだよね」

井平「あぁ」

加藤「若いころに、反対してた人は、今そういうの促進してるっていうような、立場が変わると変わるんだな、皆な(?)」

井平「あぁ」

 

加藤「何とかまとまりそうか」

井平「うーん、まとめるというか、ほん、ほんとそのまんま起こすっていう作業、なんで」

加藤「うん。大丈夫か(?)」

井平「はい」

加藤「(聞き取れず)」

コーヒーを持ってきてくれる

加藤「はい」

井平「ありがとうございます」

加藤「あ、ちょっと熱いから気をつけて」

井平「おっ」

加藤「うーんちょっと(※机の上を片付けている)はい(※お菓子をくれる)」

井平「すいません」

     

     なぜロシアだったのか、ソ連とは

加藤「役に立つだろそれ」

井平「はい?(※先ほどもらった印刷を見ていた)」

加藤「まとまったものがあると」

井平「はい」

加藤「うん。…どうしてこうして(?)僕がロシア語やるようになったかって話が書いてある」

井平「あぁ」

加藤「うん」

井平「最初はロシアのどういうところに興味があったんですか」

加藤「うん。やっぱりスケールの大きさだねぇ」

井平「あぁ」

加藤「あの太宰治が好きだったのね」

井平「はい」

加藤「高校生のとき。で太宰治すごい人だし、だけども、あの太宰治を読む傍らロシアの文学読むとね、すごくよく分かってさ、チェーホフとか、色々」

井平「あぁ」

加藤「しかもスケールがでかいなぁと思うようになったわけだ」

井平「あぁ」

加藤「それに日本と似てるとこがあるなぁと思ったりして」

井平「そう、そうなんですか?」

加藤「うん。どういうところで似てるかっていうと、あのヨーロッパに対するコンプレックスで似てるな」

井平「ふふっ(笑)」

加藤「うん」

井平「ロシアって結構あの、なんか近代化っていうかそういうのが遅れたんですよね」

加藤「おお。ある意味では日本より遅れたね」

井平「あぁ」

加藤「この前僕が授業で話したでしょ。教育について」

井平「きょ、あーはい」

加藤「……うーん、ロシアは、……面白いよでも…」

井平「…でも、当時はソ連なんですよね」

加藤「うん、当時はね」

井平「なんか、その大学、の?」

加藤「うん」

井平「研究では、批判、とかそういう、」

加藤「うん」

井平「ことを言ってたと思うんですけど」

加藤「うん」

井平「それはどういうことだったんですか。なんか」

加藤「あのー、やっぱりねぇ、ソ連っていうものがね、僕らの前の世代と違って僕らの世代はね、そんなにはね、理想的に思えなかったんです。何故かっていうとね」

井平「はい」

加藤「そのスターリン批判っていうのがあったのね」

井平「あー」

加藤「フルシチョフによる。それからその後ハンガリーで動乱が起こってソ連の戦車が、あの、あれを、民衆を蹴散らしたりね。それから、僕が大学四年のときは、チェコで民衆を蹴散らした。1968年のことだけど。」

井平「はい」

加藤「えープラハの春っていう自由を求める運動があって、それも、ソ連の戦車が、押し潰しちゃったの暴力的に。何だこの国はー、って感じがあってさ」

井平「あぁ」

加藤「からソ連行ってきた人の話なんかもずいぶん伝えられてきて、」

井平「はい」

加藤「まったく官僚的でさぁ、ほんっとにもうひどい国だよっていう、そういうことが聞こえてきたから、」

井平「はい」

加藤「んで、あれはあのヒットラーに負けないぐらいスターリンは人殺してんなぁてことも大体分かってきたわけだ」

井平「あぁ」

加藤「あぁ、なんかこれはやっぱり、根が深い問題だなぁ…っていうことが分かってきてね」

井平「はい」

加藤「うん。だから、僕らの時代はソ連万歳っていう人は少なかったよ」

井平「そうですか」

加藤「うん。すでに」

井平「ふぅん……実際にその、」

加藤「うん」

井平「ロシアへ行ったことはあるんですか」

加藤「それはねぇ、良いとこ聞いたね君!」

井平「(笑)」

加藤「僕はね、ロシアを研究するつもりなの」

井平「はい」

加藤「ソ連はロシアじゃないと思ったわけだ」

井平「そうなんですか(笑)」

加藤「うん。つまり、19世紀のロシアを勉強する、だけど、ソ連は、そういう19世紀のロシアを、」

井平「はい」

加藤「変に隠してしまって、」

井平「あぁ」

加藤「紛い物のね、あのー看板をかけて、」

井平「はい」

加藤「それで、中身を見せない。実は。そんなとこへ行ったってしょうがないじゃない?」

井平「あぁ」

加藤「それで、行かなかった」

井平「行かなかったんですか?」

加藤「うん。四十いくつまで」

井平「(笑)」

加藤「結婚するまで。結婚して、女房に馬鹿にされるから」

井平「馬鹿にされたんですか(笑)」

加藤「うん。なんせ、ロシア研究しててソ連行ったこと無いって、どう考えても変よって言われてさぁ」

井平「ああぁ」

加藤「それではじめて、せんはっぴゃく、あぁ1987年にねぇ、旅行したの一人で」

井平「一人で?」

加藤「うん。横浜、横浜じゃないあの、新潟から船に乗ってさ、」

井平「はい」

加藤「一番安いコースで、モスクワ、キーエフ、ウクライナの首都ね」

井平「はい」

加藤「から、レニングラードも行ったね。その三都市めぐりに行ったわけだ」

井平「はい」

加藤「そしたらね、いやぁーすごい、ちょうどチェルノブイリの翌年だった、行ったの」

井平「あー」

加藤「いやーはじめて来た日本人の観光客だって言われてさぁ」

井平「えぇっ」

加藤「げんば、じゃない原発事故の後。それですごく、この、歓迎されたんだけどね」

井平「はい」

加藤「ま、とにかくね、えー面白くてしょうがなかったの。見るものが全部面白くて、人が面白くて」

井平「人が?」

加藤「うん。会う人が。で、多少ロシア語やってたから、」

井平「はい」

加藤「あーロシア語が通ずるって面白いなぁと思ってさ。それでね、まぁ今風の言葉で言うとハマッテしまったわけだな」

井平「あぁ(笑)」

加藤「それから?毎年行くようになったの。それでその翌年には、モスクワ大学の語学講習会に出て、一ヵ月半滞在した」

井平「はい」

加藤「モスクワ大学の寮に住んでね。それでこれが、ペレストロイカの、そのまぁ最盛期でね。もうちょっと下り坂だったけど」

井平「あぁ」

加藤「で面白いことだなぁ…もうとにかく、あの、一ヵ月半はね、僕は今でも、なんかね、時々思い出すんだなぁ。どっかにね、書いたものがある。あなたにあげるよ。コピーして(語学研修のレポート)…」

井平「…はじめて行ったっていうのはそのかん、観光というか」

加藤「観光で行った」

井平「あぁ」

加藤「その次にこの一ヵ月半モスクワで」

井平「はい」

加藤「あの、語学研修。これ、ちょっとあなたにコピーしてあげるね」

井平「あ、ありがとうございます。すいません」

加藤先生、一旦研究室から出る

 

加藤「でも、読むと懐かしくてね。この、何十年、もう二十、年ぐらい前か。…まいいか、あれ、」

井平「うん?」

加藤「ホッチキス」

井平「あ、そのままで」

加藤「うん」

井平「いいです。大丈夫」

加藤「これ書いとかなきゃ、ね、(聞き取れず)…平成元年か。……」

加藤「はい」

井平「ありがとうございます」

 

     Друзья(ドゥルジヤー)(友達)

加藤「ここに出てくるねぇ、最初に、モスクワ行ったとき飛行機で隣だった人がね」

井平「はい」

加藤「物理学者でその日からずぅっと仲良くしてね」

井平「あぁ」

加藤「亡くなったんだよなぁ」

井平「あー」

加藤「あのー何年か前に」

井平「そうですか」

加藤「うーん。ロシア人。五十、八ぐらいで亡くなったかなぁ」

井平「あ、ロシア人の方だったんですか」

加藤「うん。うんでね、あの、そこで知り合った人たち今でも付き合いがあるんだな、亡くなった人を除いて」

井平「あぁ」

加藤「当然。で、あのー、うーん、こう、この追悼記事なんか書いたりね。…ああ、この人、ヴォリャーク(聞き取れず)この人ね」

井平「はい」

加藤「(聞き取れず)」

井平「はい」

加藤「それから、もう一人若い、その、モスクワ大学で助手やってた人とは、今も付き合ってんだけどね、」

井平「はい」

加藤「この人はあのー、僕が、この前一年、滞在してた間も、会いに来てくれてね」

井平「あぁ」

加藤「うん。すごくね、いい男だよ。いい男って人柄も良いしハンサムでね」

井平「あぁ」

加藤「うん、バレエダンサーみたいな。スタイルも良いし…こういう人と、はずっと、今でも交流があるんだけど」

井平「あぁ」

加藤「うん。要するに、何が面白いかってやっぱり人だわ」

井平「人」

加藤「うん、人、人」

井平「あぁ」

加藤「うん。これマリーナ知ってるでしょ?留学生の。県大に今来てる。これその亭主なんだけど。見たこと無いマリーナ?この人」

井平「んー分からない」

加藤「えー、キャ、キャンパスあるいて(?)今、あのモスクワ帰ってるけどねぇ」

井平「あぁ」

加藤「うん、この人は、もう(聞き取れず)…この人だけどね」

井平「あぁ」

加藤「なかなかいい男でしょ。ねぇ」

井平「はい(笑)」

加藤「(笑)家なんかに招待してくれて」

井平「あぁ」

加藤「うん。…これマイナス二十五度だ(?)二十度ぐらい」

井平「はぁっ」

加藤「そういう人も、ここで知り合った、ここに今、」

井平「あぁ」

加藤「(聞き取れず)…だから、やっぱり、最後は人だな」

井平「人」

加藤「うん。最後こう、文化とか、歴史とか、いろんなものに関心あっても、それを支える人だな。…あなた小説好きっていうのは、とっても大事なことだと思う」

井平「そうですか」

 

     小説を読む

加藤「人を知る一番大きな(聞き取れず)…村上春樹はやっぱり、日本の、文化を知らなきゃ分からない、そういうんじゃなくて、現代の若者っていうことで言うと、どこの国の人も分かるような感じがするんだね」

井平「あぁ」

加藤「現代の若者の問題を。だから、別に村上春樹好きな人は、日本文学が好きだから村上春樹好きじゃないんだよね」

井平「はい」

加藤「そうでしょ?」

井平「(笑)うー私最初に読んだときが多分、中学生ぐらいのときで、」

加藤「はぁはぁ」

井平「日本文化とかぜんぜん知らない、頃なんで」

加藤「そうだよなぁ。あぁそうだよ、そりゃ面白い」

井平「はぁ」

加藤「だから、うんその発想。だから、外国人が、あー読んでも面白いっていうのはそういうとこじゃないかなぁ」

井平「あー」

加藤「中二のときにあなただって日本文化なんか知らないもんねぇ」

井平「そうですね(笑)」

加藤「(聞き取れず)中にいるんだろうけど。へぇー中二から読んでんのか、すごいなぁ。ほとんど読んだ?」

井平「どうなん、でしょう。小説はでも大体読んだような気がしますけど」

加藤「ふーん。じゃ、あなたのお勧めのベストスリーあげてみて」

井平「ベスト、好きなのでいいんですか」

加藤「おお、好きなの」

井平「ノルウェイの森と、」

加藤「ノルウェイ、うん」

井平「あと、あの、スプートニクの恋人?」

加藤「ふん、ふん」

井平「と、あとダンス・ダンス・ダンス」

加藤「ふん、ふん」

井平「が好きなんですけど」

加藤「うん」

井平「その一番、とか二番とか順位付けするなら」

加藤「うん」

井平「大体は好きなんですけど」

加藤「あぁー…ダンス・ダンス・ダンスっていうのは奇妙な話だね、あれね」

井平「そうですね」

加藤「うん。ああいうその、必ず缶ビールを飲むね」

井平「(笑)」

加藤「(笑)うちへ帰ってくると。シャワーを浴びて缶ビール」

井平「なんか、その感想とか読んでると何か、食べたくなるっていう意見が多いですよね。私もそうでしたけど(笑)」

加藤「そうだよね。何かこのオムレツが食べたくなったりね。あのマーメイドじゃない、何だっけ、ホテル。マーメイドじゃないドルフィン」

井平「あぁ」

加藤「ドルフィンホテルか。ていうのが出てくるじゃないダンスの」

井平「はい」

加藤「で、…違ったっけ?」

井平「ちがっ、ホテルの名前ちょっと覚えてないです」

加藤「うん」

井平「最近読み返してないんで」

加藤「うん。(聞き取れず)…へぇー、谷崎は何が好きなの?」

井平「一番が春琴抄で、」

加藤「おー」

井平「で、あとあのー、卍と、」

加藤「うん」

井平「猫と庄造と二人の女っていう」

加藤「うん、あぁあぁうん」

井平「あれを、面白いなぁって」

加藤「ふぅん。渋いね、君なかなか」

井平「そうですか(笑)」

加藤「うん。春琴抄はたしかになぁ。あれは、ああいう、その、恋の極致だな、あれは確かに(笑)」

井平「(笑)」

加藤「自分も目、つぶしちゃうものなぁ」

井平「春琴抄はあの、」

加藤「うん」

井平「高校のときに、友達が面白いって言ってたので」

加藤「うんうん」

井平「その、あぁ読んでみようかなって思って」

加藤「うん」

井平「それで、なんかはじめて読んだのが」

加藤「うん」

井平「私大体その、作家の、はじめて読んだのを一番好きになる、みたいで」

加藤「あー」

井平「ノルウェイの森もそうだったし」

加藤「まぁそうね、そのー、最初の強烈な印象っていうのはね、そこから始まるわなぁ」

井平「はい」

加藤「うん。…ふぅん。それはでも、いい、あーやっぱり中学生から高校生(?)。で、あなたが書くもの見てて、なかなか文章しっかりしてるっていうのはそういうとこにあるのかなぁ。つまりさ、ロシア語をやるってことは、文章をしっかりやるってことなんだよな」

井平「はい」

加藤「うん。つまりロジック、言葉のロゴスっていうか、ロジックをちゃんと、通じさせていくって事が、大事なことなんだよね。うん。それはだから日本語であろうとロシア語であろうと英語であろうと、言葉の持つ、大きな、その、約束事だからさ。どれが主語でどれが述語か分からないんじゃぁ意味が通らないからなぁ。…あなたが書くものなかなかいいよ」

井平「そうですか」

加藤「あのー、ここに、ずっと、ほらあのー……そこに入れてあるじゃない。…(yahooの)ブリーフケースにさぁ。…すぐ分かった?ブリーフケース」

井平「ブリーフケース最初ちょっとなんかよく分からなかった(笑)」

加藤「うん。うん。……どうしようかな(?)」

井平「が、」

加藤「うん?」

井平「学生時代はやっぱり本とかいっぱい読みましたか」

加藤「読んだねぇ」

井平「その、ロシア文学とか?」

加藤「うん。読んだよ」

井平「あぁ」

加藤「今も読みたいけど目が悪くなっちゃってさぁ。…で、…なんて言うのかなぁあの、高校の頃、秀才タイプの人がいてね」

井平「はい」

加藤「この人は、ロシア文学だけじゃなくて、世界の、文学をね、」

井平「はい」

加藤「んー、計画的に読む人だったのよ」

井平「計画的」

加藤「今日は何ページ読むって決めてさ」

井平「(笑)あぁ」

加藤「これそういう読み方ってないじゃないかと思ってさ」

井平「あぁ」

加藤「分かるでしょう。のめりこんだらさ、もう、あのー夜を徹して読んじゃう方だったんだ」

井平「はい(笑)」

加藤「うん。あんたもそうか」

井平「夜を徹してってことはあんまないですけど、なんか、」

加藤「うん、うん」

井平「もうちょっとと思ううちに、」

加藤「うん」

井平「あぁこんな時間かみたいなことは(笑)」

加藤「うん」

井平「時々」

加藤「うん。……これを、うん、これはあの、おかしいなぁどこいっちゃったかなぁ、あなたのやつ(※ロシア語の授業で訳したところ)を(聞き取れず)えーと、…うん、これね。…これ、…六月八日。これもね、……」

 

机から離れる

加藤「君連続ドラマ見てる(?)」

井平「最近テレビぜんぜん見てないんです」

加藤「本読んでるだけか」

井平「本も、最近はちょっとあの、…授業の課題の本読まなきゃいけないんで小説のほうはあんまり読めてないんですけど」

加藤「うーん。忙しいもんねぇ」

井平「はい」

加藤「…マリーナがね、」

井平「はい」

加藤「その留学生の、その朝やってる連ドラあるじゃない」

井平「…え、NHKとかの」

加藤「NHKの。岡崎舞台のね」

井平「あー」

加藤「なんていったっけ、あれ」

井平「いや、ぜん、分かんないですね」

加藤「きらり?」

井平「あ、そうなんですか?」

加藤「それを、録画しといてくれって言って」

井平「あぁ」

加藤「そんで、明日、その、BSでね、」

井平「はい」

加藤「やるわけだよ」

井平「はい」

テレビの音が聞こえる

加藤「今何日だ」

井平「…今日、が二十三日です」

加藤「(聞き取れず)」(※ビデオが取れてなかった?)

 

加藤「あぁ、ちょっとごめん、中断しちゃったけど、」

井平「はい」

加藤「いいのか、大体それで」

井平「そう、」

加藤「もうちょっと録る?」

井平「もうちょっ」

加藤「うん、ちょっと待ってね。(聞き取れず)」

井平「四限に授業があるんで、」

加藤「おー、」

井平「あと十分くらい」

加藤「(聞き取れず)」

井平「はい」

 

加藤「これが、えらいこと頼むよな」

井平「(笑)」

加藤「(笑)(聞き取れず)録画しといてくれって。毎週、毎日」

井平「あー…あれって何分ぐらいあるんですか」

加藤「十五分」

井平「十五分」

加藤「(聞き取れず)」

井平「あぁ」

 

     人生とは、人との関わりとは

井平「じゃああの、最後なんですけど、」

加藤「うん、うん」

井平「そのさっき人が、一番、なんか大事というか、そんな感じで言って、」

加藤「うん」

井平「そのロシア人、と話してるとき、とかっていうのはどういう話をしたりとかするんですか?」

加藤「あのー、やっぱりね、一番仲のいい人としゃべるときには、Что такое жизнь?(シトー タッコエ ジィズニ)人生ってなんだろうと」

井平「あぁ、なんか哲学的な(笑)」

加藤「そうそうそう。哲学的。それでね、仏教に、関心があるから、向こうの人はすごく」

井平「あぁ」

加藤「そんで芭蕉とかいろんな本を読んでるんだよね。物理学者のくせに」

井平「あぁ」

加藤「仏教の禅とか、そういうことも、座禅の禅ね、関心があって、色々そういうことを話してたんだな。そのときの議論を取り上げたテープがある」

井平「あぁ」

加藤「今度見して上げる」

井平「(笑)」

加藤「あのね、あじ、(電話の音)今、でも見して上げる」

電話で会話中

井平「すいません」

加藤「いえいえ。じゃ、テープは今度見せよう」

井平「はい」

加藤「それで?後十分くらいで切ろうか(?)」

井平「十、あと五分くらい」

加藤「五分でいい。うん」

井平「なんか今まで会った中で一番印象、的な人物とか」

加藤「ロシア人で?」

井平「はい」

加藤「まぁ今挙げたそのー物理学者の、コンスタンチン・ヴォリャークですね」

井平「はい」

加藤「それからあとは、その、今の、あの、うーん、スラーヴァっていうんだけどね。うーん。ウクライナ系の名前だけども、面白いロシア人でスラーヴァって。そういう人たちですねぇ。何でかっていうとすごくこう、二人とも自然科学者なんだ。だけど、すごく人文系の本を読んでるのね」

井平「あぁ」

加藤「それでー、すごく話が合うっていうか。意見が一致するわけじゃないよ…」

井平「はい」

加藤「こう対話が楽しいっていうの?…すごくね、オープンマインドになっちゃう…まぁそのうち一人亡くなってしまったからなぁ。…だから、やっぱり、人間が、あの大事なものは、なんていうのかなぁ、うん、ほんとにね、心を通じ合えるっていうか、そういう話ができるっていう体験を持つってことが大事だと思う。うん。それはやっぱりなかなか難しいからね。毎日付き合ってると、難しいかもしれんね、親子とかさ」

井平「あぁ」

加藤「夫婦とかね」

井平「はい」

加藤「兄弟っていうのは毎日付き合ってるからさ、難しいかもしれないけど、まぁ遠く離れたところにいるんだから(笑)」

井平「(笑)」

加藤「いるからいいのかもしれないね。で、逆に言うとさぁ、今ふっとそれで思ったんだけどさぁ、」

井平「はい」

加藤「だから人間って歴史を勉強することが、できるんじゃないかなぁ」

井平「あぁ」

加藤「できるっちゅうか大事なんじゃないかなぁ。死んだ人との対話じゃない、歴史って、ある意味では」

井平「そうですね」

加藤「だろ?」

井平「はい」

加藤「だから本当に真剣に、いろんなこう、んー、きょう、んー、なんていうかなぁ、この、いろんな雑多なさぁ、」

井平「はい」

加藤「ものをこう、排除して、純粋に対話ができる、んじゃないかなぁ。だから、歴史は。うん。(聞き取れず)」

井平「はい」

加藤「学生と、そのー、教師と学生とかさ、」

井平「はい」

加藤「親子だとか夫婦だとか恋人同士だとか兄弟とかいうのはやっぱり日常、的に付き合ってるじゃない」

井平「はい」

加藤「すると、いつも感動ばかりしてられないわねぇ」

井平「(笑)」

加藤「だろ?そりゃあ時々はムカッときたり、」

井平「はい」

加藤「キレたり、いろんなこう、あるんだよなぁ。この、昨日悲劇があったでしょう。親子、あの、ほら、自分の継母を焼殺しちゃったっていう。医者の息子が。やっぱりああいう悲劇が起こっちゃうんだねぇ。でも歴史だったらそういうことをさ、あの、除いて、対話して一生懸命考えることができるから僕は歴史を勉強するってことが大事だと思うんだよな」

井平「はぁ」

加藤「…どうですか」

井平「はい?」

加藤「あとはどうですか」

井平「あとは(笑)いやぁ」

加藤「Достаточно?(ダスタータチナ)十分ですか?」

井平「十分です(笑)ありがとうございました」

加藤「はいはいはい、いやいや。ま、これはあなたの宿題だけど、また、そういう宿題以外で、ねぇ」

井平「はい」

加藤「うん、話が、あったらいつでも来てください」

井平「はい」

加藤「うん、今ちょうどね、オフィスアワーっていうのを この間に設けたの」

井平「あぁ」

加藤「今、あなたが(?)来てる時間がね。(聞き取れず)一時から。ただいないときがあるからメールかなんか、あるいは、あの、そういう授業のときに、あのー話をしたいっていう風に言えば、オフィスアワーを使ってください」

井平「はい」

加藤「はい」

 

Большое(バリショーエ) спасибо(スパシーバ)

 

コメント

人にその人生を語って聞かせてもらう、というのはあるようでなかなか無い経験だ。普段生活する中で、私たちはさまざまな人と関係を持つ。けれどその人の生い立ちなどはよっぽど親しい人でもなければ知らないでいることがほとんどだ。いや、親しいから知らない、知りたくない知らせたくない、と思うこともあるだろう。インタビューの中で加藤先生がおっしゃっていたように「毎日付き合ってると難しい」こともある。それとも単に毎日付き合っていると興味が薄れるということもあるかもしれない。リアルタイムで知っているその人が自分の中ですべてになってしまって、その人がそうなった道程のほうにまでは関心がいかない(よほどユニークな人柄の人が相手だったらそうでもないかもしれないけど)。例えば友人とか。けれどもっとそうだろうと思うのはやはり家族だ。もちろん私の親には私の今までの生い立ちなんて丸分かりだ(それどころか私の記憶が無いころの、私の知らない私を知っている)。それでも私がしたこと、経験してきたことを親がすべて知っているわけではない。私が隠れてやったとかではなく、(まぁそういうこともあるけど)自然に知らないだけだ。きっとこれからそういうことがもっと増えていく。自然に。弟などを見ているとますますそう思う。弟が小学生くらいの頃は(そして私も小学生だった頃は)私はもっと弟と過ごす時間が長かった。それが中学生高校生と年齢が上がり、今では一緒に時間を過ごすどころか、あれ、今日顔見たっけ?という日が普通だ。親はさすがにそんなことはなさそうだけれど、弟が耳にピアスの穴を開けていたのに気づかなかった(ちなみに正月に祖母の家に行った時に叔父に言われてはじめて気づいた)あたり、やはり家族でも知らないことなんていくらでもあるんだ、と思わせられる。そして私は両親の、また祖父母の人生を聞いたことが無い。断片的にこういうことがあった、という話を聞いたことはあるけれど、個人の通史としての人生史、というものを聞く機会は無かった。今回ライフヒストリーのインタビューをしてみて、この人たちの話を聞きたい、あるいはもう聞けない人に聞けばよかった、と強く思った。

毎日顔を合わせる、まではいかなくてもそれなりに親しくて、いつでも会える、という確信(?)のある人には改まって人生経験なんて恥ずかしくて聞けない。だからといってそう関係も無い人にいきなりあなたの人生に興味があるので教えてください、というのもぶしつけな気がして頼むのに勇気がいる。積極的に人に話しかけることが苦手な私には、このインタビューというのは、ちょっと気後れしたけれどなかなかできない貴重な経験になったと思う。

インタビューの中で一番印象に残っているのは、教師という仕事をしてきて、生徒、学生との新しい出会いを面白いと思う一方で、蓄積がきかない、また同じことの繰り返しと空しくなるときがある、という言葉である。このことは実際に直に話を聞いていたときには何となく聞き流してしまっていたのだが、テープ起こしをやっているときに聞き直してとても意外に感じた。私は訊かれて答えているように同じことの繰り返しが空しい、と感じたことは無い。いつでも新しい場所や出会いへの期待だとか不安だとかで手一杯で、もとあったものを懐かしがったり、それが無いのをさびしく思ったりすることはあっても、空しいとは思わない。私もそう思うときが来るんだろうか。例えば卒業後にどこかの相談機関とかで援助職に就いて、クライエントとの出会いや別れなんかを経験するうちにそういうことを思うようになるのだろうか。他の人もそう感じるときがあるのかな、と思った。

もうひとつ印象に残るのは、やはりロシアという国、そしてそこに住む人々(народ ナロード 民族)への飽きることのない興味と熱意だ。将来の役に立つから、ビジネスのために、というように実利的なものを越えた関心をなぜそんなにも長い間持ち続けていられるのか。そんなものが私にもあるのだろうか、見つかるだろうか。また時代が人に与える影響の大きさと、時代の空気の違いも感じた。私は文章で読むにしても話を聞くにしても、昔の話をされるとそこには私達が今呼吸しているのとは別の空気が流れているような気がしてならない。匂いや音の響きもぜんぜん違う世界なのではないかと思うときがある。昔といってもソ連がなくなったのは私が生まれてから後のことなのに、私には遠い昔に思える、ということだ。たった二十年、歴史の中ではひどく短い時間しか経たないうちに世界も空気もどんどん変わっていく。こういうことが本当に昔から、文明ができたような時代から繰り返されているのかと考えると、気が遠くなる思いがした。

テープ起こしをするのは楽しかったけれど正直しんどかった。何度も何度も聞きなおして、少しずつ文字を打っていく作業の繰り返しで、集中できないときはなかなか進まなかった。それでも聞きなおしているうちに発見があったりして、乗ってるなぁと思うときはなんだか楽しかった。また、自分の声をテープの録音できくと、ふだん直接耳に届く自分の声とまったく違っていて、私はこんな声でしゃべっていたのか、と思った。テープを通した自分の声は私には妙に子どもっぽいように聞こえて、ちょっと普段から周りの人にはこう聞こえているのかと思うとちょっと落ち込んだ。

反省点を挙げると、やはりインタビューで雑談が多くなってしまったのは残念だった。今回はインタビューを始める前に社会福祉援助技術演習の講義でもらったライフヒストリーについてのプリントを見てもらってから、加藤先生に話の内容は全部任せて話してもらったが、もっと事前に聞きたいことを整理して質問をつなげられたら、とテープを聞き返していて思った。ロシア(ソ連)にいったときの話などをもっと詳しく聞きたかったと思う。それと、参考にリレーエッセイとソ連へ語学研修に行ったときの日記(当時いた麻布学園のPTA会報)をもらったが、テープ起こしをしているときには話を理解するのに役に立ったけれど、うまく作品に組み込むことができなかった。

不備もあったし大変だったけれど、人の人生を聞いてそれを文字に起こすという作業はたぶんそうあることではないし、とても貴重な経験で、そして楽しかった。インタビューをしてみて話の聞き方の難しさも分かったし、新たに話を聞いてみたい人もできた。そして、今回聞かせてもらった話は一生私の中に残って、ある日ふと思い出すようなことがあるんだろうなぁと思った。

 

 

 

 

 

 

おろしゃ 会」会報 第14号

2007年X月X日発行)

 

発行

愛知県立大学「おろしゃ会」

480-1198愛知県愛知郡長久手町熊張茨ヶ廻間1552-3

学生会館D-202(代表・安藤由美)

http://www.tosp.co.jp/i.asp?i=orosiya

 

発行責任者

加藤史朗(愛知県立大学外国語学部)

480-1198愛知県愛知郡長久手町熊張茨ヶ廻間1552-3

orosia1999@yahoo.co.jp

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