おろしゃ会会報 第16号その2 2009年3月11日 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
卒業論文 「ロシアを通して見る文化・社会とアルコール問題の関係」 愛知県立大学文学部社会福祉学科卒業 井平貴子 目次 はじめに 第1章 ロシアのアルコール文化・政策 第1節 ロシアのアルコール文化と消費の変遷 (1) ロシアの飲み物の生産・消費の変遷 (2) 飲み物の種類について 第2節 ロシア民衆の生活と飲酒 (1) ロシアでの飲酒の場 (2) 教会と国家の飲酒に対する見方 (3) ロシア民衆にとってのアルコール 第3節 ロシアのアルコール政策とその影響 (1) アルコール飲料の国家管理と自由化 (2) 禁酒・節酒令 第4節 サマゴン 第2章 現在のロシアにおけるアルコールと社会状況の相互影響 第1節 ロシアのアルコール関連問題 第2節 個人・社会の状況と飲酒との関係 第3章 考察 文化・社会とアルコール消費の関係について 〜何が人を問題飲酒に向かわせるか、そしてアルコール問題を防ぐにはどのような対応が必要か? 終わりに 謝辞 図表/参考・引用文献 脚注 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
はじめに 大学でロシア語を4年間学びロシアという国に興味を持ったが、その福祉や社会制度については日本ではあまり知られていないことから自分で調べてみたいと思った。「ロシア人=ウォッカ、酒好き、酔っ払い」というイメージは良く見られるものであり、ロシア人自身もジョークなどにしていることから、そのような国でのアルコール問題にはどういうものがあるのか、日本との違いはあるのかどうか、ということを調べようとした。しかしロシアでのアルコール飲料の歴史や文化を知っていくうちに、アルコールと社会との関係に興味が行くようになった。 急性アルコール中毒やアルコール依存症、またアルコールが原因と考えられる事故や身体疾患など過度の飲酒の社会への悪影響については様々な警告が近年の日本ではなされている。宴会などでの一気飲みをやめるようにとの呼びかけや、飲酒運転の取締りの強化などがその例である。また世界保健機関(WHО)でも過度のアルコール摂取は健康に害を及ぼすとして節酒を呼びかけている。人の飲酒が社会へ与える影響については注目されることも多いが、しかし、人が問題になるような飲酒をしてしまう理由・原因についてはあまり社会的に顧みられることはないように思われる。 人間の歴史の中でアルコール飲料は古くから役割を持っており、それぞれの文化の中にはアルコールに関する文化があり、個人の飲酒もその文化のあり方によって大きく異なっている。また時代や社会状況も個人の飲酒に影響を与えることがある。飲酒問題はその人の性格など個人に原因が帰せられがちであるが、人が過度の飲酒をしてしまうのは個人の原因だけではなく、社会的な要因もあるのではないか。 この卒業論文では飲酒と社会とが相互に影響し合っているという視点から、文化・社会状況が個人の飲酒に与える影響について、また飲酒が社会に与える影響についてロシアでの状況を通して考察し、飲酒と社会との関係、そしてアルコール問題の発生への理解を深めたい。 第1章ロシアのアルコール文化 第1節 ロシアのアルコール文化と消費の変遷 (1) ロシアの飲み物の生産・消費の変遷 中世ロシアで東スラブ民族(現在のロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人)の諸国家を統一し、大公となったキエフのウラジーミル公が国教を決めるとき、「ロシア人の喜びは飲むことにある。われらは飲まずにはいられないのだ」と言って酒を飲むこと禁じているイスラム教ではなくキリスト教を選んだという伝説があるが、それほどロシアの歴史の中で飲酒の文化は深く根付き、社会の中で様々な役割と影響を持っていた。工業化以前のロシアにおいては、他のヨーロッパ諸国と同様に、井戸・川・池の水は安全なものではなく、日常的な飲み物には他のものを用意しなければならなかった[i]こともロシアでアルコール飲料が消費され続けていたことの大きな要因であろう。 モンゴルが侵入する以前、13世紀のキエフ時代のロシアでの一般的な飲み物にはごくわずかに発酵させたほとんどアルコール分のないビールに近い飲み物であるクワスと、アルコール飲料としてはミョートと呼ばれる蜂蜜を主な原料として作られる蜜酒があった[ii]。年代記の記録から考えると、10世紀には貴族によって蜜酒が飲まれており、13世紀以降にはノヴゴロドの代々の大公たちは蜜酒を作る職人を抱えていた。現在のヨーロッパ・ロシアにいたスラブ人たちは、本来採集と農耕を結合させ周囲の資源を開拓してきた森の民であり、森で野生の蜂から集められた蜂蜜を原料とする蜜酒は社会のあらゆる階層によって作られていたものと考えられる。11世紀以降になると、英語のエールに相当するオル、オール、あるいはオロヴィナという用語でビールに言及されるようになる。クワスと蜜酒、そしてビールの他には輸入物のワインが存在していたがそれらは高価なもので、アルコール飲料に対するほとんどの人の需要は蜜酒、クワス、ビールによって満たされていた。 モンゴルの侵入以降にも依然として蜜酒とビールが一般的なアルコール飲料であったが、その相対的な重要性に徐々に変化が生じていった。13世紀のモンゴル侵入の後に続く何世紀かの間に、植民と耕作によって野生の蜂の群れが荒らされたり、滅ぼされたりし、蜂蜜が贅沢品になってしまったことにより、蜜酒はそれ以前に増して貴族の飲み物となり、基本的な飲み物とは断定できない状況にあった。蜜酒が徐々に貴族の飲み物となっていったために、農民の大部分にとってビールがより重要な飲みものとなっていったと考えられる。14世紀以降にビールが大衆的なアルコール飲料になっていったことを示す資料はわずかにしかないが、本来は飲み物全般を意味していたピーヴァ(пиво)という言葉が特にビールをさすようになったのはこの時代である。15世紀末以降にはビールが農民に飲まれていたことを示す多くの文献がある。この時代の文献にはクワスに対しての言及はないが、これはアルコール分が極めて低いために文献で取り上げられるような酩酊に関する問題が生じなかったためと考えられ、この時代にもクワスが引き続き造られていたことは間違いなく、大部分の農民にとって日常的な飲み物であったものと思われる。これらクワス、蜜酒、ビールはホップで風味をつけてよりアルコール度を高くしていることもあった[iii]。 ロシアに蒸留されたアルコール飲料が入ってきたのは14世紀末とされ、1386年にジェノヴァの商人がaqua vitae(命の水)と称する葡萄スピリッツをもたらしたという記録がある。ただしこれがロシアのウォッカの直接の原型であるかどうかは分からない。ウォッカがいつ、どこで生まれたか、ということに関しての明確な記録や史実はないが、パフリョプキンの『ウォッカの歴史』によると14世紀以降のロシアの歴史、社会現象、ウォッカという言葉がいつごろ現れたか、などを考察した結果、「1450−1470年の間にロシアには蒸留技術が開発され、ロシア産の原料、特にライ麦を使った<穀物ワイン>(ウォッカの別称)と呼んでいた酒を作り始めた」(遠藤2006,3頁)というのがウォッカの起源だとされている[iv]。スピリッツがロシアに入り15世紀半ばに酒造所が設立され製造が始まってから、16世紀末ごろには蒸留方法はかなり広い地域で知られていたが、それでも大部分の住民にとってスピリッツは一般的な飲み物ではなかった。 ウォッカという言葉自体が一般に普及し、飲まれるようになるのは17世紀以降のことである[v]。17世紀にウォッカが一般的に飲まれるようになると、ダイスやカードといった賭け事やツァーリに対する陰謀の疑いといった反社会的行動の発生が問題となり、また飲酒を必要とした非キリスト教的伝統や儀式に対しての懸念もあった。そのため教会は改革を求め、国家としても「犯罪行為」に結びつく飲酒に関わる騒乱に対して配慮がなされたが、アルコールは国家収入の主要な財源であったためロマノフ朝はアルコールの統制販売を進めていった。酒屋の数が増えていき、そこからの収入も増加していった[vi]。 18世紀になると貴族の蒸留業者の数が増加し、生産者の社会的地位に大きな変化が生じた。貴族による生産は基本的に自家用であったが、国家への供給もなされた。また貴族たちが自分の領地の農民に不法に酒を販売しようとし、個人の領地に酒屋・酒場が開かれることもあった。不法なアルコール飲料の生産規模は、確定することはできないが、かなりの量になり18世紀中ごろに増加していった[vii]。18世紀にはロシアウォッカの種類も増え、独自ブランドが生まれ、ロシア独特のフレーバーウォッカが商品として加わった。草・果実・木の実等を加えて蒸留し、数百種類のウォッカが出来上がるようになった。また西欧でもロシアウォッカの品質への評価が高まった。18世紀を通じスピリッツの消費は増えていき、ピョートル大帝時代のロシアにおいては男性一人当たり約4パイントであったのが、18世紀世紀の末期には10パイント以上に増加した。戦争や都市の成長と産業活動の発達から国家収入の必要性が増し、このようにアルコール消費量の増加につながったものと考えられる。また蒸留技術の改善とともにアルコール濃度が高くなり、一杯のウォッカを一気に飲み干すというロシアの慣習は泥酔を引き起こした[viii]。 16世紀ごろから盛んになっていく居酒屋は19世紀に大衆化し、それまで祭日にしか飲まなかった庶民が日常的に飲酒をするようになり、それにつれて飲酒の社会的、経済的、そして医学的問題も注目を集めるようになっていった。政府は税収の増大への関心を持ちつつも過度の飲酒による害悪を抑制しようとしたが、他のグループも酔っ払い問題に対して対処しようとしていた。国有地農民たちの間では蔓延する酔っ払いに対する組織的抗議が広がり、公認の教会と国家行政機構に対する抗議と一体となっていった。この抗議は宗教的異議という形を取り、一種の禁酒運動となった。1859年には激しい「禁酒運動」があり、カトリックの農民たちが法外な酒の価格に抗議して禁酒協会を組織し、共同体の集会で過度の飲酒をする人に罰金を貸し、体刑に処するということまで行われた。禁酒運動は激化していき、居酒屋の襲撃など暴力的となった。19世紀には茶を飲む習慣も下層階級にまで広く普及しており、国家の飲酒の奨励に対抗し、酔っ払いの問題を解決しようとする人たちの大衆的節酒運動においてウォッカに代わる「良い飲み物」として提唱されることもあった[ix]。20世紀初頭には禁酒運動が非常に強力に推進されており、それを受けて政府は1914年の戦争勃発に際して全面的な禁酒政策を実施した[x]。 ロシアでは度々国家によるアルコール飲料への管理や禁酒令があったが、その間もウォッカや自家製の密造酒が広く国民の間で飲まれ続けていた。1917年の革命以前のロシアにはP.A.スミルノフ社など高品質のウォッカを生産する私企業が数社存在していた。しかしそれらの企業は社会主義革命の成立後に国家に没収され、その後全ての産業が国有化されたことでアルコールも国家の管理の下に置かれた。ソビエト政府は初期のころ帝政末期の禁酒政策を受け継いでいたが、1924年にウォッカの取引再開を決めた。ソ連経済が発展するにつれてウォッカの生産も増え、多くのロシア人もウォッカを毎日飲めるほど豊かになった。しかし社会不安などから飲酒量が増えることによって社会的悪影響も大きくなっていった。 ウォッカが一般的に飲まれるようになってから現代に至るまでロシアでの一般的な飲み物はアルコール度数の高いウォッカか、ほとんどアルコール分のないクワスなどで、中間のビールなどはあまり飲まれていなかった。しかし現代では嗜好の多様化により、特に若年層の間でビールを飲まれることが増えている。世論調査によると、ビールは18−34歳の若年層が好み、ウォッカは35−59歳の中年層に好まれるという結果が出ている。2003年のロシアのビール生産は中国、アメリカ、ドイツ、ブラジルについで5位に浮上し[xi]、1999年には44億5000万リットルだったビールの生産量は2004年には84億2000万リットルとなっている(表 1)。この急激な生産の拡大は外国のビールメーカーによるロシアへの直接、又は間接的投資によるところが大きい。また販売量は1999年に45億1100万リットルから2003年には76億2500万リットルに伸びている(表 2)。ビールの他にもワインやブランデー・コニャックなどの消費も増加している一方で、ウォッカの消費は減少傾向にある。しかしビールの消費の急激な増大に対しウォッカの消費の減少はごく緩やかであり、ウォッカよりアルコール度数の低いビールの普及がかえって純アルコール消費量を増やすのではないかという心配もされている。また未成年者の飲酒の増大を招き飲酒の低年齢化を促進する結果となっており、社会問題ともなっている。ロシアではビールなどの軽い酒は法的にアルコール飲料に分類されていなかったためウォッカと異なりテレビ・コマーシャルに関する規制がなく、テレビでも派手な宣伝が盛んに行われていたが、2005年から規制が始まることになった[xii]。 (2) 飲み物の種類について ·
ウォッカ(водка) 元は水(вода)の指小形で「お水」「お水ちゃん」のような表現である。強い酒というイメージが強いが、実際のアルコール度数はウイスキーやブランデーなどと大体同じ40度である。ライ麦を発酵させた後「もろみ」をそのまま蒸留して作る。大麦、小麦、燕麦を混ぜることもある。ライ麦以外からの穀物やジャガイモのでんぷんからも製造が可能であり、19世紀末のロシアでの資本主義勃興期には価格競争で安価なウォッカを作るため。また第二次世界大戦中や戦後期には材料不足のためライ麦の代わりにジャガイモが大量に使われた結果ウォッカの品質が低下した。蒸留する際に生じる不純物を徹底して取り除くため透明・無臭になるほど良いものと言われ、ウォッカ自体にはあまり種類はないが、ウォッカに後から果物や香草を足して作る浸し酒には様々な種類がある。 伝統的な飲み方はストレートで、50から100ccくらいの小さな杯で一気に飲み干すのが「正しい」飲み方とされ、飲み残すのは縁起が悪いとされ嫌われる。また乾杯の前に誰かがスピーチをし、それから飲み干すというのが決まりであるが、その乾杯の辞が一回の酒席の場で何回も繰り返し行われ、そのたびに杯を飲み干さないといけないので、過度の飲酒につながることもある。最近では価値観の多様化によって伝統的な飲み方にこだわらず、個人のペースで飲むことも増えている。 ·
ビール(пиво) 飲む(пить)という言葉から来ており、本来は飲み物全般を指す言葉であったが、14世紀以降特にビールを指して使われるようになった。中世ロシアでは蜜酒と並んで基本的な飲み物であり、家庭内での生産・消費も長く続いていたが、近代には家内生産できアルコール度数の低いが安価なクワスと、よりアルコール度数の高いウォッカの中間的な飲み物であったビールはあまり飲まれなかった。19世紀には「家庭内での祝祭日用のアルコールの生産・消費にはビールが多く、政府が政策によってウォッカよりアルコール度数の低いビールの販売を促進することで酔っ払い問題を軽減することができるのではないか」という議論もあったが、ウォッカによって多くの収益を得ていた政府がそれを実行することはなく、ウォッカの販売により利潤を得る酒税請負人の圧力からビール取引を規制することもあった[xiii]。特にソ連時代にはまともなビールがまったく生産されていなかったが、ペレストロイカ以降の現代ロシアではビール産業が急速に発達し、品質の高いビールが増えたことで若者や女性の間で人気が高まった。 しかしビールを飲みながら街を歩く若者や呑み捨てられたボトルが散乱するなどの現象が社会問題ともなっている。またビールのような軽い酒はアルコール飲料に分類されておらず宣伝に規制がなかったことが問題視され、2005年から規制が始まった[xiv]。 ·
ワイン(вино) 北方の気候がブドウの栽培に適していないため、ロシアにはワインの名産地は少ない。旧ソ連ならばグルジア、アルメニア、モルドヴァといった南方の共和国がワインの名産地であるが、ロシア国内でワインの醸造で知られているのは来たコーカサスのクラスノダール地方くらいである。全体としてロシアは古くからワインに関しては輸入に頼ってきた。ロシアにおけるワインの歴史も古く、12世紀にはある大公の貯蔵庫にワインがあったという記録が見られるが、16世紀くらいまでは名門の貴族だけが、特別な祝賀の席などで飲む珍しい飲み物に過ぎなかった。17世紀になるとその消費が富裕層に拡大し、次第にロシアの食生活の中に定着していった。現在のロシアでは西欧のワインと並んで、グルジアワインが重要な飲み物である[xv]。 ·
クワス(квас) クワスとは古代スラブ語で発酵を意味した単語で、さらに遡るとインド・ヨーロッパ語の「泡立つもの」という意味の単語にたどり着く[xvi]。普通大麦、小麦、ライ麦など麦類の麦芽か粉、又はソバ粉を発酵させて作りミントや薄荷や果汁で香りをつける、ロシア独特の清涼飲料水であり、中世から知られているロシア最古の飲み物のひとつである。発酵飲料なので極微量のアルコールを含んでいる。ソ連時代までは強い酒であるウォッカの他に清涼飲料水が飲みたければクワスを飲んだため、この二つの飲み物の中間であるビールはあまり消費されなかった。ただしクワスとビールの違いはアルコール度数の違いから来ているが、弱いビールとクワスとの境界は時にあいまいであった[xvii]。 ·
茶(чай) 1638年にモンゴルのハンから贈り物としてモスクワの皇帝に中国の茶が献上された。初めのうち茶はとても高価で珍しいもので、肺病、心気症、胃病に対する貴重な治療薬と考えられたり、あるいは飲酒前に酔うのを防ぐため、飲酒後には酔いを醒ますために飲まれたりと、主に医療目的で使用されていた[xviii]。17世紀の終わりごろから18世紀の初めごろにかけて西ヨーロッパで茶の価格が下がり一般的な飲み物になっていたころにも、ロシアではまだそれほど普及していなかった。18世紀末になると茶の貿易が発達し始め、飲茶が西欧化されたヨーロッパ・ロシアの貴族の間で定着した。さらに国民のより広い層に茶を飲む習慣が普及したことで1790年代末から茶の輸入が増加し始め、19世紀には輸入は増え続け、より下層の階級の間にも飲茶が普及していった[xix]。 19世紀を通じて茶の供給量が増加していたことによって、茶が徐々にアルコール飲料に代わるものとなっていった。1870年代には労働者の間に広まった飲茶がスピリッツに代わるものとして大衆の節酒運動において支持された[xx]。 ロシアでの茶の栽培は19世紀半ばにはグルジアで、20世紀になってからはロシア領クラスノダール地方やアゼルバイジャンで行われ、国内生産を増やす努力がなされたことで生産量が次第に増えていったが、最近ではインドやスリランカ、中国などから輸入されたものが圧倒的に多く、グルジアやアゼルバイジャンの茶はめったに売っていない[xxi]。 ·
蜜酒(мёд) ロシアで一番古いアルコール飲料といわれ、蜂蜜を主な原料として作られる、アルコール度数の高い酒である。мёд(ミョート)という言葉は蜂蜜そのものを表す単語でもある。記録にある蜜酒への最も古い言及は9世紀末から10世紀にかけてあり、作り方も何通りかあったが、最も古いタイプの作り方は大量の蜂蜜にベリー類(コケモモ、キイチゴ等)のジュースを混ぜ自然発酵させた後、樽につめて地中に埋め、15年から長い場合では40年かけて熟成させるというものであった。その後あらかじめ準備しておいた蜂蜜酢を加えたり、煮たりすることによって発酵を早め、ビールのように迅速に作る製法が10世紀から11世紀に開発されたが、やがてウォッカが普及していくにつれ16世紀には中世以来の製法による蜜酒は廃れていった。 それ以降も蜜酒という名前で呼ばれる酒は作られており、煮て造るタイプのものがビールに製法が似ているため、19世紀にはビール醸造所で作られることが多くなった。しかし近代以降の蜜酒は多種多様で、水に溶かした蜂蜜にジャガイモなどから作ったスピリッツを加えただけのものもあり、元々の蜜酒とは根本的に違うものもあった。 しかし古くからの製法が廃れてしまっても蜜酒の「酩酊を誘う香りの良い酒」というイメージは残っており、ロシアの民話など文化の中にその名前は今でも残っている[xxii]。 第2節
ロシア民衆の生活と飲酒 (1) ロシアでの飲酒の場 ·
饗宴での飲酒 ロシアの一般民衆は何世紀にも渡って自家製のアルコール飲料を飲み続けてきたが、それらはビールや蜜酒など家で作ることのできる単純なものであり、製造には高い費用がかかったためにそれらを飲むのは祝祭日のときに限られていた。ウォッカが飲まれるようになってからはよりアルコール度の高いそれが最も重要な飲み物となった。またロシアではキリスト教とロシアの土着的宗教が混ざり合った儀式と飲酒とが深く結びついていた。飲酒が行われる饗宴では芝居、ゲーム、踊り、笛の吹奏、格闘などが一緒になった乱痴気騒ぎに発展することも一般的であった[xxiii]。正教会の祭日である復活祭や聖者の日、貴族の祝祭には儀式としての饗宴や仲間同士での酒盛りが行われ、また結婚式、誕生、洗礼、死といった家庭内の行事の際にも饗宴が伴った。蜜酒やビールの醸造はそういった特別な場合に行われており、それ以外の日には酒を飲むことだけでなく、販売用に手元に酒を置いておくことも禁じられていた。教会の祭日での饗宴は公式の宗教的儀式として行われたものもあったが、年中行事的な意味、あるいは地域的な意味を持つ場合も多く、必ずしも公的な宗教的性質のものとは限らなかった。しかし祭礼の儀式としての饗宴や仲間同士の酒盛りよりも、家庭内の行事での飲酒のほうが優先されており、また教会や国家も家庭内のことは見逃すことが多かった[xxiv]。これらの饗宴や仲間同士の酒盛りは、近在の農民や、町では商人の組合といった比較的同質の社会的グループに限定されており、招かれない役人などがそれに出ることはしばしば禁じられていた。また饗宴や仲間同士の酒盛りには裁判官のような側面があり、饗宴の場において起こった争いごとは裁判所などを通すことなくその場で裁かれることが法令で定められていた。饗宴には権利と同時に一定の義務があり、それは醸造したビールで納めなければならないこともあった。招かれない役人たちから饗宴を保護することは役人による法外な税の徴収と賦役から農民を守るツァーリの政策の表れであり、また教会に対してその特権を制限しようとする試みの中で行われたものであった[xxv]。 ·
居酒屋での飲酒 スピリッツが一般的になる前にはアルコール飲料はその大部分が家庭で作られ消費されており、家庭で作られた酒が商品となり売り出されることもあった。居酒屋は16世紀にモスクワではじめて作られたが、それ以前にはそういった場所はほとんどなく、そうした事情が飲酒を抑制する一因となり、またこの頃には飲酒を厳しく取り締まろうとする試みも極めて少なかった[xxvi]。スピリッツがロシアに入り広まっていく中で、ツァーリによる酒販売の独占を意図して居酒屋が設けられ、役人が派遣された。最初のころの居酒屋は数が少なく限られた都市にしかなかったため、家庭でのアルコール飲料の生産と消費が長く続いた[xxvii]。しかし国家による政策や貨幣経済が発達によって居酒屋の数は増えていき、19世紀には農村にも居酒屋が普及していった。 居酒屋の増加は普段は農民の飲酒の仕方を変え、普段はアルコールを飲まず、数少ない祝祭日にだけ我を忘れるまで飲んでいたのが、特定の儀式上の理由もなしに酔っ払う機会を増加させた。 (2) 教会と国家の飲酒に対する見方 正教会はキエフ時代以来、民衆の、また聖職者たち自身の度を越した飲酒や、饗宴と酒盛りを含む民間儀礼の側面について批判し続けてきた。それは酔いによって教会の礼拝に来なくなったり、酒宴の場で不道徳な行いがあったり、もしくは酒浸りそれ自体が堕落的な行為である、といった道徳のたるみを問題にしていただけでなく、酔っ払いの起こす騒ぎなど社会的な面や、あるいは饗宴や酒盛りにおけるキリスト教が入る以前の土着的な宗教の要素を懸念したためでもあった。聖職者がワインを飲んだり、俗人たちが飲む饗宴に混ざったりすることもあったがそれはキリスト教的要素と異教的要素が混交した結果であった。教会はその領内での酒盛りに対して許可料を強制的に取り立て、また過度の飲酒とそれによる乱れた行為に対する改革運動が活動的教会人のグループによって行われた[xxviii]。しかし聖職者自身の飲酒に対する懸念も大きく、また酒が売られる場所にはしばしば結婚式など酒を飲まれる祝い事の場あり、教会がそれに関与することもあった[xxix]。 対してロシアを統一した国家はアルコール飲料に税をかけたり、あるいはアルコール飲料の生産・販売を国家が統制したりすることで収益を得るという財政的な面に注目する一方で、過度の飲酒がもたらす社会経済的・道徳的問題にも注意を払わなければならなかった。そのため国家は16世紀から居酒屋を作りスピリッツの販売を統制・拡大しようとしたにも関わらず、公共の場での飲酒に結びつく儀式、伝統および行為に対しては教会とともに公的に反対していた[xxx]。また国家の管理の下にない不法な酒の販売を規制しようとし、酒屋・居酒屋で正しく経理が行われているかに常に関心を持っていた。近代にはアルコール飲料の製造・販売の国家管理でアルコール飲料から得られる収益を独占し、工業化を進めるため、戦後には荒廃した国土を立て直すためにウォッカの増産を行ったが、その結果国民のアルコール消費量が増え、社会経済的な問題が起きると政策によってそれを抑えようとした。
(3) ロシア民衆にとってのアルコール 家庭内で生産されるビールや蜜酒などのアルコールは祝祭日の儀式的な食事などにおいて重要なものであり、より強い酒であるウォッカが登場してからはそれが最も重要な品となった。儀式と結びついたアルコール飲料の社会的意義から農村においてはウォッカの購入資金は「生活」資金からというより「儀式」資金からの出費とみなされ、家族が食べるものに困っているときでもウォッカを買う金には困らないということがしばしばあった。居酒屋の普及により特別な日でなくても日常的にアルコール飲料が飲めるようになってからも、飲酒行為から儀式性がなくなることはなかった[xxxi]。また現代でも復活祭の前の肉・魚・卵・牛乳が禁止される長い精進期間が終わった後にご馳走を食べるのと一緒にウォッカなどアルコール飲料も大量に飲まれるなど、日常的な飲酒の他に祝祭日と飲酒の機会には関わりがある。 飲酒は経済活動とも密接に結びついており、アルコール、特にスピリッツを振舞うことは、労働力を補充し維持するのに便利な手段だった。たとえば塩の生産に伴う出費には、労働者たちが製塩所で祭日を祝うためのスピリッツの代金も含まれていた[xxxii]。また貨幣の鋳造が十分でなく、給料として支払う通貨が不足している社会においてはスピリッツがある程度代金としての働きをしていた[xxxiii]。農村においてはウォッカの経済的側面と祝祭的側面とはしばしば密接に絡んでおり、緊急の仕事がありながら十分な働き手を持たない農家は友人や親類を招いて相互扶助協働を組織し、食事と少しのウォッカを返礼として仕事を手伝ってもらおうとした。貨幣を介してのつながりはその場限りであるが、ウォッカを介してのつながりはその曖昧さゆえに続けていかねばならない、歓待と相互扶助の人間的関係という意識があった。この慣習はより産業が発達していた場所では衰退していったが、貨幣経済の遅れていたような場所で最もよく機能していた。そこでの共同労働には祭りの雰囲気があり、また半異教的儀式を伴っていた[xxxiv]。また農村においてウォッカには政治的に選挙で役割を持っており、ウォッカを大量に分け与えることは選挙で票を集める有効な手段であった[xxxv]。 ソ連時代にはゴルバチョフの節酒令が無効になった以降、各地の選挙管理委員会が各投票所でウォッカを振舞って投票率の向上をねらったり、ソ連崩壊後の選挙戦では票を集めるためにウォッカが利用されたり、外国の商社も商談を順調に進めるのにウォッカを使ったりと、貨幣の信用がなくなった時期にウォッカが通貨の役割を果たすなど時代を逆行したかのような現象があった[xxxvi]。 農民だけでなく工場労働者の間においても飲酒は人間関係の中で意味を持っていた。労働者たちは一人では飲まず、彼らの間で飲むことは集団的かつ社会的行為であった。同じボトルから飲む、あるいは酒をおごるといった日常的行為が労働者間の社会的な関係を決定する重大な要因だった。そして酒を飲まない者は婦女子と、一般労働者とは区別される存在である「労働者=インテリ」であり、労働者としての十分な資格を認められないといったような見方があった[xxxvii]。酒に強い人間ほどよく働けるという美意識も根強くある。 ウォッカは健康医薬品として飲まれることも古くからある。二日酔いのときの迎え酒の習慣があり、風邪、腹痛、暑気あたりになったときにも少量のウォッカを飲むと良いとされている[xxxviii]。また身体を温めるためにウォッカを飲むだけでなく、皮膚に擦り込むという民間療法や気付け薬にも使われてきた[xxxix]。 第3節
ロシアのアルコール政策とその影響 (1) アルコール飲料の国家管理と自由化 ロシアの歴史では国庫の増収を目的としたアルコール飲料の専売・国家管理と自由化が交互に繰り返されてきた。 15世紀にイワン3世はアルコール飲料が国家財政を豊かにするという見地から、ロシアで始めてアルコール飲料の製造・販売を国家管理にした。 1652年には「酒屋改革」が行われ、酒屋が閉鎖されそれに代わり居酒屋が設けられ、酒販売が制限されたが、これらは国内消費を削減して輸出用穀物を増加させることを目的としていたといわれる。ツァーリの命により何軒もあった酒屋は閉鎖され、各町には一軒の居酒屋しか認められず、他にも多数の制限が課された。酒の販売は年間200日以下に規制され、また掛売りの禁止など酒代の借金により苦しむ飲酒者への配慮がなされ、個人的な酒の販売や申告外の酒の所有・蒸留を厳しく禁止した。しかし廃止された酒屋の用語は使用され続け、法令の中にも酒屋の経営のことについて様々な言及があった。また法令は酒の財源と社会的不安要因の側面も問題にしていた。つまり国家としての関心はスピリッツの供給を国家が独占し、酒屋の経理が正しくなされ財政の収入が増えることと、居酒屋において悪事、口論、殺人などの犯罪行為が起きたり、盗賊や大酒飲みが居酒屋に入って問題を起こしたりすることをなくすことにあった。販売できる期間の短さによる損失を補うためウォッカの価格はそれまでより高い水準に定められたが、ビールと蜜酒の価格は引き上げられなかったため、これらのアルコール飲料の消費は増えたものと推測される。しかしこの改革は、諸官署が供給量についての情報を持たず新しい価格で必要とされるアルコール飲料の量を評価する手段もなくその損失を国家が負うことになったという国内の困難と、英蘭戦争の勃発によってアルハンゲリスク経由の貿易が荒廃することによって穀物をアルコール生産から輸出に向けるという期待が打ち砕かれるという対外的困難、また1653年に始まったポーランドとの戦争による国家の収入の必要性の増大から酒屋制度は若干の規制を残してすぐに復活することになった[xl]。 16世紀にモスクワに最初の皇帝の居酒屋ができてからウォッカの売買が一般市民に浸透してくると、経営形態も役人直営から居酒屋の主人の手にゆだねられるようになってきた。その結果官民の癒着による権益の乱用やウォッカの偽造などが多くなり、ピョートル1世によって酒造りが自由化され、設備も近代化され、製品の販売には課税がされた。 18世紀には貴族によるアルコール飲料の家内生産が増え、1755年エカテリーナ2世が貴族に対し各種造酒に関する税金を免除し、私用の自家造酒を許可したことで、貴族による造酒は高品質なものになり、品揃えも豊富になり独自ブランドを生み出した。 19世紀においては、1863年までは政府は国家独占を試みた1819−27年の短期間を除き、専売制である酒税請負制を続けた。酒税請負制は「国庫に規則的に、正確に、そして用に入ってくる主要収入源」であったが、酒税請負人たちは多額の利潤を得ており、そのために彼らによる酒類取引の不正が多発し、国家の収入にも損害を与えていた。また酒税請負人の有利な独占に対抗する密売人の活動が1840年代と1850年代に活発に行われた。そして酒税請負人たちは政府の暗黙の支持を受けて農村住民にますます飲酒を勧めたことによって、酔っ払いの増加という社会的代価があった。このときの酒税請負人たちに対する農民たちの抗議としての過激化した禁酒運動はこの制度が廃止される大きな要因となった[xli]。1863年に酒類は自由化され、間接税制度が導入され、世紀末までそれが続いた[xlii]。このときそれまで非合法だった密売店が合法化されたことも含め酒類を販売する小売店が増大し、ウォッカの価格下落と相俟って消費が増加した[xliii]。19世紀末に資本主義経済の発展とともに製造業の競争が激化し、廉価なウォッカが市場に出回ることになったが、この原料には伝統的な麦類の代わりにジャガイモなどが素材に使われており、この種のものに含まれている有害物質からアルコール中毒患者が急増した。ロシア政府はウォッカの製造・販売を国家管理とし、「特別委員会」を発足させ、ウォッカの品質の向上と密造酒の禁止を決定した。この改革は当初酔っ払いという社会問題に取り組むためのものと主張され、実際に伝統的なロシアの居酒屋は閉鎖され、小売店の中で酒を飲めなくし、小売店の数が規制され、ウォッカに混ぜ物をするなどの不正行為ができないよう点検をよりよくできるようにした[xliv]。しかし財政的目的が無視されるということはなく、ウォッカの製造・販売への国家管理導入は国家財政に大いに寄与することになり、20世紀初頭には歳入の3分の1を占めることになった[xlv]。 1914年にニコライ2世によって実行された禁酒令は1917年の革命で社会主義国家が成立した後も、初期の頃は引き続いて行われていたが1924年に解かれた。ソ連時代には他の産業と同じくアルコール飲料の企業も国有化され、1924年から1992年までの68年間はアルコール飲料の製造・販売は国家管理の下にあった。1920年代末になるとソビエト政府は工業化の資金を得るためにウォッカの生産を拡大し、販売を増大させた[xlvi]。また特に第二次世界大戦で荒廃した国土を立て直すために国庫収入を増やす必要があり、そのためにウォッカを増産したともいわれる[xlvii]。 1992年にエリツィン大統領はアルコール飲料の国家管理を撤廃した。これは社会主義政権からの脱皮をアピールするという意図もあってのことだったが、その結果全国に粗悪品や偽者が出回り、ウォッカの値段が急騰した。またアルコール飲料の輸入権や輸入関税の免除など官民癒着の利権問題が生じた。アルコールの消費量は増え続け、ゴルバチョフ政権の末期、1990年にロシア国民一人当たりの純粋アルコール消費量は6リットルだったのが、エリツィン政権の8年間で2倍以上の13リットルとなった[xlviii]。 プーチン大統領になり中央管理的要素が強まっていく中でアルコールの製造・販売の国家管理移行に関する議論が出てきたが、その背景にはロシアにおける密造酒の販売高が市場の約50%を占めることになり、有害物質を含む粗悪品中毒によって年間約4万人が死亡しているという事実もあった。官民癒着の利権構造のため議論は延びたが、結果的には2006年から再びアルコール飲料は国家の管理下におかれた。 (2)禁酒・節酒令 ロシアの歴史上ウォッカの製造・販売を禁止や、節酒令が敷かれたことが何度かあったが、そのどれもが国民の反対を抑えることができずうまくいかなかった。またそれが直接の原因ではないが禁酒・節酒令の後に国の体制が崩壊するという事態がたびたび起こったために『ロシア国家の命運は為政者のウォッカに対する態度に左右される』などというジョークにされることもある。 外戚あがりの皇帝で、正統な継承者を殺して帝位を奪ったとされるボリス・ゴドゥノフは1601年の飢饉の折に、穀物からアルコール飲料を生産することを禁止しようとし、ロシア史上最初に禁酒令をしいた。 またニコライ二世は帝政ロシアでの国民一人当たり年間純アルコール消費量が1905年に3.5リットルだったのが1910年には3.6リットル、そして1914年には4.7リットルと増えていったことを懸念し、また民間グループによる禁酒運動を受けて1914年に禁酒令を発布した。この禁酒令は1914年から革命後の1924年までの10年間施行された。 第2次世界大戦前後の混乱期を経て、1958年にフルシチョフは飲酒制限を行おうとして「アルコール飲料価格値上げと販売制限」を実施したが効果は上がらず、アルコール飲料の消費は衰えなかった。 その後ロシア人の飲酒量は1980年代に入りさらに増大し、1980年の年間国民一人あたり純アルコール消費量は10.8リットル、1983年には12.0リットルとなった。これは当時の欧米の3倍の飲酒量に当たった[xlix]。過度の飲酒による弊害は人々の健康だけでなく、労働災害や労働者の無断欠勤、製品の欠陥、離婚や暴力などをもたらし、深刻な社会問題となっていた。共産党本部には生産現場や病院や婦人団体から飲酒の害悪を訴える投書が毎日押し寄せていたといわれるような中でゴルバチョフ政権が誕生した。 1985年ペレストロイカを掲げたゴルバチョフは書記長就任後の重要政策として強制的節酒策を行った。同年5月に共産党中央委員会は『酔っ払いとアルコール中毒者追放に関する措置』と題する中央委員会を交付したが、これも一年足らずで失速することになった。 ゴルバチョフの節酒政策は製造・販売・消費のあらゆる面に及び厳しい処罰を伴って実行されたものだった。アルコールの製造、販売量が削減され、価格も1985年に20%、86年には25%上昇した[l]。酒の販売時間は短時間に制限され、空港のバーやレストランでアルコール飲料を出せなくなった。生産工場、建設現場、経済教育機関、寮、子供の施設、サナトリウム、休息の家(保養所)、駅、港、空港、文化の家(地域や企業などの施設)、映画館、ダンス広場、スポーツ施設、病院、その他多数の人が集まる場所の近くがアルコール類を売ってはいけない場所と設定され、アルコールを手に入れる場所がなくなった。またテレビ、ラジオ、新聞といったマスコミを動員して大々的な反アルコール・キャンペーンが行われた。そこでは飲酒自体が『悪』、飲酒をする人は『悪い人』とみなされるような単純化されたイメージが盛んに喧伝され、また共産党への心象を良くしようと過剰なほどに禁酒を徹底しようとする人々もおり、グルジアなど国内有数の葡萄の産地で葡萄畑がつぶされたり、ウクライナの首都キエフに近いニェミシャーエフ州ではウォッカだけでなくビールなども州内では一切アルコール飲料を販売しないという宣言をしたり[li]、といったように、『節酒令』とはいうものの実施段階では限りなく禁酒令に近づいていってしまった[lii]。 このアルコール規制政策は当初のうちは効果を挙げており、一般、特に女性からの支持を集めた。規制が最初に実施された後、アルコールの製造量は3分の1減少し、アルコール消費量が急減した。アルコール関連の生涯や志望、犯罪、無断欠勤も減少した[liii]。 しかし極端に厳しい節酒政策は逆に国民のアルコールへの欲求を高め、節酒令のためにかえってウォッカの消費が増えるという事態を引き起こす結果となった。かつては1瓶ずつ購入していたウォッカを皆が1ダース、2ダースとまとめ買いするようになった。また酒店が開店する午後2時になるとどの職場からも大量の従業員が抜け出して行列に並ぶようになり、瞬く間に店頭から酒類が消えた。レストランでもアルコール類を提供できるのは午後2時からと決められていたが、昼食や接待を午後2時からにして酒を飲む人はいなくならなかった。外国からの密輸が増え、外国から帰って来るソ連人への税関のアルコールの取締りが厳しくなり、それから逃れるためにトランクの上げ底に酒を隠したり、猛毒の印のある瓶や塗料容器に酒を紛れ込ませたりといった抜け穴が多々考案された。時間のある年金生活者が行列に何度も並んでウォッカを買い込み、それを買えなかった人に高い値段で売る、という行為で逮捕された者もいたが、当時500ミリリットルのウォッカ1瓶が日本円にしておおよそ1700円だったものに2倍の値段をつけても買い手がいくらでもあったという[liv]。 酒店からアルコール類を手に入れることができなくなってしまったために様々な社会的影響があった。闇市場の発達に加え、第4節で紹介するサマゴンというロシアの伝統的な密造酒の需要が増え、サマゴンを作るために砂糖や砂糖が不足し、また砂糖を含んだジャムや菓子、歯磨き粉が店頭からなくなった。またアルコールを含有するオーデコロンやヘア・トニックといった化粧品類が酒類の代替品として消費された。さらには靴磨き用のクリームまでもがアルコールを手に入れるのに使われた。靴クリームをパンに分厚く塗っておいておくと、含まれているアルコールが少しずつ降りてきてパンに染み込むので、十分に染み込んだところで靴クリームをそぎ落としアルコールが染み込んだパンを食べるという話が当時のソ連邦政府機関紙『イズベスチヤ』に掲載された節酒令の波紋に関する学術論文に実例としてあげられた[lv]。このように反アルコール・キャンペーンの末期には節酒令が当初狙った目的を果たせないだけでなく、むしろ逆効果となってしまい社会・経済の混乱を加速しており、即刻中止すべきという論陣が張られた。 こうしてゴルバチョフによる節酒令は効果を上げず、なし崩し的に無視されるようになり、ゴルバチョフの人気を落としただけに終わった。ペレストロイカも失敗し体制転換が起こる中で節酒運動は消えていった。 第4節
サマゴン サマゴンとはСамогон=Сам(自分で)+Гнать(蒸留する)という意味の自家製蒸留酒のことである。サマゴンは砂糖を水に溶かし、そこにイーストを混ぜて発酵させて作るもので、家ごとに製法も様々で密造器を持っていた。この密造酒の歴史は古く、14世紀ごろ一般に普及したといわれており、16−17世紀にさらに広く普及した。国家によるアルコール飲料の統制販売や禁酒令・節酒令があった時代でも政府は家庭内でのアルコール飲料の生産や消費については見逃してきたことが多く、サマゴンは禁酒令などアルコールが手に入らない時期に農民たちの対抗手段として作られてきた。 1914年に帝政末期の政府がウォッカの製造と販売を禁止し、革命政府も1924年までこれを引き継いだが、この禁酒令が解除された後も生産不足、流通網の不備、高価格などのため製造されたウォッカが農村まで行渡らなかったために農民がサマゴンでしのごうとし、またソビエト政府がサマゴンの普及促進を図ったことでソ連時代初期に特に広範囲に普及した。その結果ウォッカ製造は徐々に拡大し、蒸留分野の技術が急速に改善された。 1927年の調査によると農民の42%がサマゴンを生産し、その80%が自家消費に回された。農村地域では工業生産ウォッカの4倍のサマゴンが消費されたと推定される[lvi]。 その後経済が発展するにつれてウォッカの生産も増え、毎日飲めるほどになっていったが、消費生活の貧しさ、自由のない閉塞感、社会の矛盾などによって飲酒量が増えるにつれ、次第に飲酒の社会的悪影響が問題になっていった。 ペレストロイカでのゴルバチョフの節酒令でアルコールが手に入らなくなった時、再びサマゴンの製造が増えていった。サマゴンの製造に必要な砂糖が不足し、当時砂糖には配給制が導入されていたが、1ヶ月に一人当たり3キロの配給は即座に売り切れ、店頭から砂糖が切れて市場では闇値がつくようになり社会・経済が混乱した。また品質の悪いサマゴンを飲む人が増えて国民の健康を悪化させた。 現在のロシアではウォッカなどアルコールを手に入れるのに障害はないが、サマゴンはロシア人の生活に深く根付いた文化であり、地方でもアルコールの消費が拡大している現在でもなくなることはない。 第2章 現在のロシアにおけるアルコールと社会状況の相互影響 第1節 ロシアのアルコール関連問題 ロシアの人口は1993年の1億4860万人をピークに減少傾向にある。2007年1月時点での人口は1億4220万人であり、一年間で56万人減少した。2006年の国際連合の世界人口予測によると、2050年の時点でロシアの人口は1億783万人とピーク時の約4分の3に縮小し、日本以上の速さで人口減少が進むと予想されている(表 3)。ロシアでの人口減少が加速している原因の一つは先進国共通の出生率の低下であるが、もう一つは死亡率の高さである。2006年のロシアでの出生率(人口1000人当たり出生者数)は10.2であったが、死亡率(同死者数)は16.1で死亡率が出生率を大きく上回っている[lvii]。ロシア人の人口減少の原因である死亡率、そしてロシア人男性の平均年齢の低さにはアルコールが深く関わっていると見られている。 ロシアの15歳以上の年間純アルコール消費量はWHOの統計によると、2003年の時点で10.32リットルである。同じ統計でイギリスでは11.75リットル、フランスでは11.43リットル、ドイツでは11.99リットルであり、ヨーロッパ全体から見ればロシアのアルコール消費量は特別高いわけではない。(表 4)しかしアルコール消費の内訳を見ると、フランスはワインが多く、イギリス、ドイツはビールの消費が多いのに対して、ロシアはスピリッツの消費が多い。(表 5,表 6,表 7)また第2章で述べたように、ロシアでは一杯のウォッカを一気に飲み干すという慣習があり、1回の飲酒の機会に大量のアルコールを摂取してしまう可能性がある(表 8)。アルコール度数の高い酒を一度に大量に飲むことによる健康への悪影響が注目される。さらにロシアにはサマゴンの文化や安価な飲用でないアルコール含有製品の代用酒が普及していることから、統計には表れないアルコール摂取があることも考慮しなければならない。 ロシア人の平均寿命は2004年の統計によると男性が59歳、女性が72歳と男女間で大きな開きがあるのが特徴的である[lviii]。特に男性の平均寿命の低さが目立っており、近年の医療技術の発達、食生活や公衆衛生の改善などによって平均寿命は世界的に延びる傾向にあるのに対して、ロシアでの平均寿命は低下傾向にある(表 9)。その原因はアルコールが関係する成人男性の死亡率の高さにあると考えられる。 ロシア人の直接の死因は心臓血管疾患が半数以上の53%を占めており[lix]、ロシア人のスピリッツの消費量の多さと心臓血管疾患が密接な関係を持っていることが国連開発計画の中で指摘されている[lx]。またロシアは自殺率も高く、2007年の時点でリトアニア、ベラルーシに次いで自殺率の高さは世界3位である(表 10)。ロシアでは男性の自殺率が女性の自殺率より約6倍も高い(表 11)。ロシアよりも自殺率の高いリトアニア、ベラルーシも旧ソ連に属しており、体制の移行による社会不安やそこからのストレス増大などが自殺率の高さの原因ではないかとも考えられ、実際にロシアでの自殺率は1991年後のソ連崩壊後に急増しており重要な要因の一つであると考えられるが(表 12)、旧ソ連地域ではソ連時代の1980年代から自殺率は世界の上位にあったため、ソ連崩壊に伴う社会混乱だけが自殺率の高さの原因であるとはいえない。アルコールの使用によってうつ病や統合失調症などの精神障害を悪化させたり、アルコールでのトラブルから社会的・経済的に追い詰められたり、あるいは飲酒運転など犯罪行為によって法的状況を悪化させることによって自殺に追い込まれるといった間接的影響、また酔うことにより自己破壊傾向が強くなったり、酔った勢いで普段実行されなかった自殺願望を実際に行動に移してしまうといった直接的影響によってアルコールの乱用・依存が自殺のリスクを高めることは知られており[lxi]、ここでも自殺率の高さ、自殺の原因にアルコールが関係しているのではないかという指摘がある[lxii]。 自殺だけではなく他殺にもアルコールとの関連があると見られており、殺人による死者数は人が酒を飲みに出かける金曜日と土曜日に高くなっているという調査の結果がある[lxiii]。殺人に限らずアルコールが原因で起こる犯罪、交通事故は大きな社会問題となっている。またアルコール中毒による死亡者は毎年4万人を越えるが、一般に売られているアルコール飲料による中毒だけでなく、粗悪な密造酒や工業用アルコール、洗剤、オーデコロン、液体燃料や不凍液といった飲用に製造されたのではないアルコールが原因となったものも含まれている[lxiv]。第2章で述べたゴルバチョフの節酒令のときウォッカの次にアルコールが含まれた化粧品類などがなくなってしまった話のように、アルコール依存症患者がこうした飲用でないアルコールを飲んでしまうことは以前から知られている。飲用でないアルコールを飲む人は市販のアルコール飲料だけを飲む人よりも飲酒暦が長く、中毒を引き起こす危険も高い。飲用でないアルコールによる健康被害の大きさも死亡率に関わっていると見られている[lxv]。ロシアのアルコール依存症患者は2002年の時点で約220万人が診療所に登録されている[lxvi]。WHOの統計でもロシアのアルコールによる精神病の発生率の高さが分かる(表 13)。 ロシア科学アカデミーデモグラフィーセンターの2001年の報告によれば、ロシア人の死因全体の3分の1は直接・間接にアルコール飲用に関係しており、死因別では他殺72.2%、自殺42.2%、そのほかの外部要因による死亡53.6%、肝硬変症67.6%、心臓血管疾患23.2%、それ以外の死因についても25.0%が何らかの形でアルコールと関係していたという[lxvii]。またWHOの統計からも、イギリス、フランス、ドイツといったヨーロッパの他国と比べてロシア人の死亡率にはアルコールの影響が大きいということがいえるだろう(表 14,表 15,表 16,表 17)。 人口減少がロシア経済に与える影響は大きく、2005年時点でのロシアの労働力人口は7381万人だが、それが2007年から年間30万人減少すると見込まれている。減少傾向は加速し、2026年までに1800万人が減少する見通しである[lxviii]。ロシア経済発展貿易省による2006-2015年の長期経済見通しの標準シナリオでは、5、6%の成長が維持され、この間のGDPは1.75倍伸びるという見通しを立てているが、これを達成するには2015年の時点で500万〜600万人の労働力不足が生じるという人口統計学者の見解がある[lxix]。 アルコールは家庭にも影響を及ぼしている。ロシアでは1970年には結婚件数が131万9200組で、離婚件数が39万6600組、離婚率(1000組に対する比率)は3.0だったのが、1980年には結婚件数146万4600組、離婚件数58万700組、離婚率4.0、1990年には結婚件数131万9900組、離婚件数55万9000組、離婚率4.2、2002年には結婚件数101万9800組、離婚件数85万3600組、離婚率8.4と上昇を続けてきた。ロシア統計局のデータでは2004年の結婚件数は97万9800組、離婚件数は63万5800組、離婚率は6.5と下がったが、2004年の日本の離婚率2.15と比べるとかなり高い数字であり、アメリカよりも高く離婚率は世界1位である[lxx]。(表 18)ロシアの離婚率の高さの原因はソ連崩壊による社会混乱や、若い女性の社会進出・自己啓発が進んだことや西側の価値観の影響による結婚への意識の変化によって結婚件数が減ったこと、若い年齢のうちに結婚し1度離婚して再婚する人が多いことなどが考えられるが、離婚の原因についてのアンケート調査などでは配偶者のアルコール問題を挙げる人も多い。2007年のWCIOM社の世論調査によれば、離婚の最大の要因はアルコール中毒(51%)である。同調査の結果は17年の間に「アルコール中毒や麻薬中毒が離婚の原因」と答えた人が33%から51%に増加している[lxxi]。 アルコール依存症やそのほかのアルコール問題の原因にはウォッカの値段の安さがあるのではないかという専門家の指摘がある。1970年代の平均賃金は125ルーブル、ウォッカの値段は3ルーブル62コペイカであり、一月の給料でウォッカが35本買える計算である。1980年代には平均給料が170ルーブル、ウォッカは4ルーブル12コペイカ、一月の給料で42本ウォッカが買えるようになった。2000年には平均給料で57本のウォッカが買えるようになり、2006年の平均給料は1万1000ルーブルで、ウォッカの値段は約80ルーブル、一月の給料で137本が買えることになった[lxxii]。こうした度数の高いアルコール飲料を手に入れやすいことが、人に飲酒をさせる要因の一つであるかもしれない。
第2節 個人の状況と飲酒との関係 ロシアにおいて男女の性別の違いは飲酒に大きく影響している。モスクワでの経済的状況、社会的関係、性別と大量飲酒との関係についての調査[lxxiii]では、飲酒の頻度に関して、「ほとんどない」「特別なときだけ」「月に1,2回」「週に2回」「週に数回」「毎日」という区分で、男性は「毎日」を除きおおよそ均等に分布されるのに対し、女性は「ほとんどない」「特別なときだけ」が7割を占め、特に「毎日」という回答はごく少ない。また1度の飲酒の機会に飲むアルコールの量の平均も女性は男性の半分以下である。しかし、若い年齢層においては男女ともに飲酒量が増える傾向にあり、飲酒を始める年齢も下がっている。 経済的な問題と飲酒量の関係は、男性については顕著であるが、女性にはあまり見られない。経済的問題と飲酒量との関係の男女差にはジェンダーの概念が強く影響していると見られている。男性が失業、賃金の削減・不払いといった経済的問題によって飲酒量が増えるのは、ストレスから飲酒によって一時的に解放されるという理由だけでなく、一家の大黒柱としての男性の地位が不安定になり「男らしさ」が揺らぐことを、大酒を飲むという「男らしい」行為で立て直そうという意識もまた影響していると考えられる。一方女性は男性以上の経済的問題によるストレスがあってもそれに順応でき、飲酒量は増えない。ただし、経済的問題を経験した男性に飲酒量が多いのは飲酒によって経済的問題が引き起こされたという可能性もあり、飲酒量の多さが経済的問題のためであるとは断定できない。 男女共に受けた教育の水準が低い人は、経済的な状況とは関係がなく教育水準の高い人よりもアルコールの摂取量が多い傾向にある。これは受けた教育水準の違いによって活動の選択や社会的活動に参加する方法が異なるためではないかと考えられる。またアルコール摂取による危険に関しての知識の違いもあるかもしれない。しかし、教育水準の高い人と中等・低い教育水準の人の間には飲酒量に大きな差があるが、中等教育を受けた人と教育水準の低い人の間の差は小さい。ただし、まったく飲まない人を除き、一度に大量にアルコールを摂取する人とそうでない人を比べると、教育水準の低い人と高い人の間の差はよりはっきりと開く。またロシアにおける学歴別の20歳平均余命にもはっきりと差が見える(表
19)。 結婚・同棲をしているかいないか、という条件は男性の飲酒にはほとんど影響していないが、女性には重要な違いがあり、結婚・同棲をしている女性はしていない女性に比べて明確に飲酒量が少ない。また、男性は一人で飲むことと友人同士で飲みに行くことにほとんど違いはないが、女性の場合は友達が集まって飲酒をする傾向がある。この違いにもやはり伝統的なジェンダーの観念・役割が深く関わっている。女性は家事など家庭での日々の役目を果たす責任を求められることから、時間や金を使って酔っ払うことを選ばないのではないだろうか。また女性が友人と集まって飲みにいくとき飲酒量が増えるのは、男性がどのような状況で大量飲酒をしていてもそれは社会化されていて特に問題にならないのに対し、女性が大量に飲酒をするのは友達のグループの中でのみ受け入れられ、女性が一人だけで飲酒することははばかられる様な社会的規範があるためと考えられる。また結婚していない女性の飲酒量が少ない別の可能性としては、飲酒量の多い女性は飲酒量の少ない女性よりも結婚することに困難があるという要素があるのかもしれない。 また飲用に製造されたのでない工業用アルコール、消毒薬やオーデコロンなどを飲んでしまう人は、それらの飲用でないアルコールが市販のアルコール飲料よりも安価でアルコール濃度が高いために、失業中の人など経済的に困窮している人がより手を出しやすくなる傾向があるのかもしれない。教育水準が低い人のグループほど飲用でないアルコールを飲む人の割合が高いという調査の結果もある[lxxiv]。また職業柄入手できるアルコール含有製品を利用する人も多く、外科チームが手術終了後に外科用アルコールを分け合って飲んだり、航空技師が戦闘機のタンク除氷剤を飲んだりというケースが報告されている[lxxv]。 第3章 考察 文化・社会とアルコール消費の関係について 〜何が人を問題飲酒に向かわせるか、そしてアルコール問題を防ぐにはどのような対応が必要か? アルコール飲料は古くから人間の歴史の中で食品として、共同体の儀式の道具として、コミュニケーションを円滑にするためのものとして、あるいは医薬品としてなど様々に利用されてきた。アルコールのもたらす酩酊によって普段は表に出さない本音が聞けたり、それを共有したりすることで仲間意識をつくることは社会的生活を送る中では有効な場合もあるし、また少量のアルコールは血管に付いている脂を取る働きがあるといわれる善玉のHDLコレステロールを増やす働きや食欲増進剤などの効果があり[lxxvi]、「酒は百薬の長」という言葉通り身体に良いものであるというのも間違いではない。 一方で、過度の飲酒によって引き起こされる泥酔の騒ぎや、長期間にわたって飲酒し続けたための身体的・精神的疾患の症状もまた古くから、それらの原因が飲酒であるとは考えられていないうちから、人々の間で知られていた。しかし多くの人にとっては飲酒の機会が限られていた時代には飲酒によって引き起こされる問題も限られた場所、あるいは一部の人の問題に過ぎなかった。それが時代が進み経済の発達と技術の進歩によって、よりアルコール度数の高い酒が大量に生産され流通されるようになり、限られた階級の人たちだけではなく一般の人たちが、特別の日だけでなく日常的に酒を飲めるようなっていったことでアルコール問題も常態化し、社会的に見過ごせないほどに重要なものとして見られるようになっていった。 人が問題になるような飲酒をしてしまう、つまり自分の身体に合った適正飲酒ができない理由は、酒が好きで飲みすぎてしまうとか、ストレスから開放されたくて飲んでしまうなど、個人によって様々だろう。同じような状況にあっても飲酒が問題になる人とならない人がいるように、アルコール問題を引き起こす飲酒にはその人の体質やそれまで培われてきた飲酒への考え方、飲み方など個人の要因が関係していることは誰もが認識している。しかし、個人の飲酒がその人の属する文化や社会状況に大きな影響を受けることもまた明らかである。好んで飲まれるアルコール飲料の種類やその飲み方などには国ごと民族ごとの文化的背景があり、アルコール飲料が広まっていった過程やどのようにしてアルコール飲料を手に入れられるかといったことには社会的背景がある[lxxvii]。また不安定な社会状況が人を飲酒へと向かわせるということもあるのではないか。問題飲酒によって起きるアルコール問題が社会に重大な影響を与えるのとは逆に、社会の方からも飲酒、そしてアルコール問題に影響を与えていると言えるだろう。ここではロシアでの状況を通して見られる個人の飲酒に影響を与えていると考えられる文化・社会的要因をまとめ、問題飲酒、そしてアルコール問題を防ぐにはどのような対策が必要であるかということを考察する。 ·
宗教・慣習・気候など 古くから飲酒は祭日や儀式と深く結びついてきた。これはアルコール飲料を製造するのにかかる費用のためにそれほどの量を製造することができず、特別の日だけにしか飲むことができなかったためである。一方で宗教は飲酒に対し批判的・否定的であることもある。イスラム教は飲酒を禁じているし、キリスト教でも儀式にワインなどアルコールを使うことはあるが人々が日常的に飲酒をして酔っぱらうことは堕落と見ているし、仏教でも飲酒のような世俗的な欲は捨て去るべきと戒めている。宗教の戒律によってそれぞれの文化の飲酒への寛容度・飲酒の機会の多さはある程度影響を受けるが、特にイスラム教のような戒律の厳しい宗教のほうがより影響は大きいだろう。 また酒の飲み方にはその国ごとの慣習が関わっていることもある。日本にも一気飲みの慣習があり近年問題視されるようになってきたが、ロシアでもウォッカは一気飲みが一般的な飲み方とされており、アルコール度の強い酒を一気飲みすることによる健康への悪影響は大きいと考えられる。またサマゴンのような自家製蒸留酒の文化があることでアルコールの摂取量を上げていることが指摘されている。自家製蒸留酒など市販のものではないアルコール飲料は品質が悪いこともあり、さらに飲用に製造されたのではない工業用アルコールなどを代用酒にすることも知られているが、そういった危険なアルコール飲料を飲むことでの中毒など健康被害は大きな社会問題である。 そして国ごとにどのような種類の酒が好まれるかというのはその国や地域で一般的な飲酒パターンと関連することが多い[lxxviii]。例えばワイン文化のある地中海地域では適量を食事とともに飲むパターンが一般的であるのに対して、蒸留酒文化である北欧では特定の機会に一気飲みをするパターンとして知られている。裏づけされる史料があるわけではないが、ロシアでウォッカのような蒸留酒が好まれ近年になるまであまりビールなどアルコール度数の低い酒が飲まれなかったのは寒い気候のためすぐに身体が温まるウォッカのほうが適しているから、とも言われることがある[lxxix]。 しかし各国の飲酒文化には近年変化が見られる。伝統的にワインを消費していた地域でビールの消費が増えたり、蒸留酒が飲まれていた地域でワインやビールの消費が増えたりといったことが起こっている[lxxx]。こういった新しいアルコール飲料への嗜好はアルコールに対する規範の変化とともに若い世代の間によく見られ、飲酒の低年齢化にも関わっている。 ·
ジェンダー 日本、ロシアを含め多くの社会では女性の飲酒量は男性より少なく、したがってアルコール問題も女性より男性に圧倒的に多い。これは女性が体脂肪と水分量といった生理によって、また体格が小さいことによって男性よりアルコールの影響を受けやすい[lxxxi]という理由もあるが、伝統的なジェンダーの観念もまた深く関わっている。つまり、「酒に強いことは男らしい」「女が酒を飲んで酔っ払うなんてみっともない」といった飲酒規範や飲酒への寛容度が男女で違うためである。このため男性は「男らしく」なりたいという願望から、あるいは自分が「男らしくない」から「男らしく」ならなければという意識から飲酒へ向かってしまうことがあると言える[lxxxii]。そして男性が一度に大量に飲酒し、泥酔したとしてもそれが大目に見られる風潮がある。この背景には男は社会に出て家族を養わなければならないという考えとともに、「人間関係を築くのには一緒に酒を飲むのが一番だ」「酒が飲めないと社会生活では不便なことが多い」といったアルコールの社会への有効性への考え方がある[lxxxiii]。一方で女性は家庭を守り、子供たちの道徳教育を引き受けなければならないという考えから女性が酔っぱらうことは男性よりも非難すべきことと見られていた[lxxxiv]。 さらにジェンダーの差はアルコール治療にも影響している。アルコール依存症患者の「問題否認」には男性の場合、人に援助を求めることは自分の弱さをさらけ出すことであり、「男らしさ」、そして飲酒を含めた自分の有様自身を否定されるように感じ、それを恐れて自分の問題を認めたがらないのだと見ることができる。しかし実際に依存症患者を否定しているのは他者ではなく本人であり、自己否定を恐れるためにその恐れを増幅させる他者からの忠告や介入に対し防衛機制が働くために「問題否認」も強くなるのだろう。一方で女性の場合は「女なのにアルコール依存症になってしまうなんて恥ずかしい」といった恥や自分を責める気持ちから受診をためらってしまい、援助を求めるのにも困難を感じる。しかし女性の場合は断酒後の回復に向かうプロセスの中で男性よりも仲間に心を開く傾向が高い[lxxxv]。 伝統的な男女の役割は飲酒に作用し、現代にも影響しているが、近年ではジェンダーの観念に大きな変化が現れるにつれ、女性の飲酒にも変化が現れている。伝統的な女性の役割が変わり、女性の社会進出が増えるとともに女性への飲酒抑制も薄れ、女性の飲酒機会、飲酒量が増えている[lxxxvi]。 ·
社会政策(アルコール飲料の利用しやすさ) 近代になってアルコール飲料の消費が増えたことには国家の政策が深く関わっている。ロシアの場合では、15世紀にスピリッツの蒸留を始めてから17世紀にウォッカが広く飲まれるようになり、近代に至るまでにはウォッカが国民的な飲み物となっていったのには、政府が税収を目的として設置を増やしてきた居酒屋の存在が大きい。それまで家庭内で少量の酒を造り特別なときにだけ飲酒をしていた人々が、居酒屋ができたことによってわざわざ自分たちで酒を造らなくとも居酒屋に行けば酒が飲めるということで日常的に飲酒をしてしまうようになった。貨幣経済が発展するとそれはますます促進された。また工業化や戦後の復興のために国庫の収入を増やす目的で政府がウォッカを増産するということもあり、国が飲酒を奨励するかのような流れがあった。また現代でもウォッカの価格の安さ、入手しやすさが過度の飲酒をさせる要因になっているとの意見もある。 しかし、アルコール飲料を入手しにくくすれば飲酒が抑制できるか、といえばそうではないことはアメリカの禁酒法や、ソ連末期のゴルバチョフの節酒政策、反アルコール・キャンペーンを見ても明らかである。それまで普通に利用できていたものをある時から突然、極端に厳しく規制されれば反発が生まれ、むしろ欲求が高まる。ゴルバチョフの節酒令のときはアルコール飲料が手に入りにくくなることで飲酒欲求が治まることはなく、人々はウォッカを買い溜めし、ウォッカが手に入らなければアルコールを含んだ化粧品類など危険な代用酒に手を出した。また密輸やサマゴンの需要が高まったことで砂糖不足や闇市場など経済の混乱、モラルの崩壊が起こった。このことは社会全体の閉塞感や人々の感じている不安感を無視してアルコールだけを目の敵にした極端な供給規制は、一時的な効果にとどまり、後にはむしろ逆効果になってしまうということを証明している。 ·
社会的・経済的状況 かつてのアメリカでは黒人やインディアンが「酒を飲むと働かなくなる」「酒を飲むと粗暴になる」といわれ飲酒を規制され、白人の管理のもとだけで飲酒が許されていたように[lxxxvii]、また歴史的に多くの国では社会階層によって飲まれるアルコール飲料が異なっていたように[lxxxviii]、社会的地位など個人のおかれている社会的・経済的状況もまたその人の飲酒に影響を与えている。経済的問題が人を飲酒に向かわせるのか、それとも飲酒によって経済的問題が引き起こされるのか、という点で議論はあるが、ロシアでの自家製蒸留酒が普及は、特に農村地域やブルーカラー、退職者、失業者の間で最もよく見られる。また経済的な必要性から生じた社会現象として、退職者を中心に高齢の貧困層が所得を補う目的でサマゴンの製造と販売に携わるということが見られる[lxxxix]。貧困層では市販のアルコール飲料よりも安価な飲用でないアルコール製品の代用酒の消費が一般化している。 ロシアにおいては結婚の状況は女性においてその影響が顕著である。これは伝統的なジェンダーの考えと関係している。また受けた教育のレベルと問題飲酒の関係性についても注意を払うべきである。飲酒自体の健康への被害もまた社会的・経済的状況によって変化する。社会的・経済的下層の人は、栄養摂取が不十分で健康状態も良くない場合が多く、結果的に健康被害を受けるリスクが高くなる[xc]。表19に見えるように学歴によって平均余命に差が出ていることは、学歴と飲酒との関係だけではなく医療格差の存在も示唆している。 また、急速な社会的変化、経済的変化の途上にある国の社会的・経済的要因が過度の飲酒を招くこともある。つまり、高い失業率や貧困、その結果としての欲求不満が大量飲酒に結びつくという[xci]。ロシアではソ連崩壊後の経済的混乱、社会的不安が人々を飲酒に向かわせ、それが表9,12に見えるように、1990年代初めの自殺率の急増や平均寿命の低下に表れているのかもしれない。1970年以降のロシア人男性の平均寿命の推移を見ると、80年ごろまでの緩やかな低下、87年ごろから90年代半ばまでの急速な低下、その後の上昇と低位安定という動きは、旧ソ連の下での計画経済の失敗、ペレストロイカ、ソ連解体後の経済混乱と一致しており、社会・経済的混乱によるストレスと飲酒との関係性が見える[xcii]。 ·
アルコール問題の予防・軽減対策 アルコール問題を予防し、またその被害を軽減するためにはそれぞれの国ごとの飲酒文化や社会背景に合わせた複合的な対策が必要とされる。アルコール飲料は多くの社会の中で食文化として、また社会的な関係を作るための効果があるものとして役立てられている。それを単純に規制し、供給を減らすことによって消費量を下げようとしても効果は限定的であり、極端な規制は密輸・密造などの社会・経済的混乱を招くこともある。また日本のような資本主義社会で製造・販売の大幅な規制はあまり現実的ではなく、また酒税といった国の収益にも関わることであるため、社会の中から突然アルコール自体をなくそうというのは不可能であり適切な対策とはいえない。 またアルコール飲料の広告・宣伝等の規制や、過度のアルコール摂取による健康へのリスクなどの教育・啓蒙もそれら単独ではあまり効果を上げられない。たとえば酒類広告の全面禁止策をとってきたいくつかの国では、相変わらず国民一人当たり純アルコール消費量は高く、重篤なアルコール関連問題も少ないことが知られており、また実験的に酒害と健康に関する啓蒙、教育キャンペーンをしてその効果を測ってみても、知識は増加してもそれが実際の飲酒行動に結びつかないといったことが報告されている。これは広告宣伝がアルコール飲料の販売戦略全体を構成する要素の一部分でしかないこと、青少年への啓蒙・教育を行ったとしてもそれが一時的なものであり実社会の実態や仲間同士の集団の強い影響によって相殺されてしまうからである[xciii]。 しかし、たとえば飲酒運転による事故などの被害を訴え、検査・取締りを厳しくしたり代行運転などのサービスを広めたりすることで飲酒運転を防ぐこと、あるいは妊婦、高齢者、服薬している人、若者など特にアルコールによるリスクが大きいと見られる特定の集団に対してのアプローチなど、飲酒と健康や社会的・経済的・法的損害の間に明確で具体的な因果関係を見せ、関心を集めることでアルコール問題を防ぎ、被害を抑えることには効果がある[xciv]。つまり若者や女性を特に対象としたアルコール飲料の広告・宣伝の規制やすでに行われているアルコール飲料を購入する際の年齢確認の徹底、日本でならばアルコール飲料の自動販売機の撤去や外国メーカーの日本へのアルコール飲料輸出に関する国際的配慮をした対策など[xcv]、単純な全人口的規制ではなく特定の対象・目的を持った規制策と共にアルコール摂取のリスクと適正飲酒への知識を普及していくことを同時に行い、加えて過剰にアルコールに頼らずにいられる社会的環境(飲酒に関する社会通念の変化、経済的問題への対策、教育格差の是正等)を整えることが必要である。 また社会の中の居酒屋など飲酒する場所での食器や物理的空間への配慮、店員への問題発生時の対処法の教育などを行うことで酩酊による傷害事件を防ぐこと、店頭で品質の悪い酒を出さないよう品質管理の責任を負うことなど飲酒環境の改善や[xcvi]、社会的偏見をなくす、アルコール依存症という『病気』の正しい知識を広める、アルコール依存症治療の施設を増やし治療の内容・回復へのプロセスを普及させるといったアルコール依存症患者に対し治療を受けやすい、治療につながりやすい環境を作ること、そして地域社会でアルコール問題防止への取り組みをすることなど、社会全体が問題意識を持って多面的に取り組むことがアルコール問題の予防と解決、被害の軽減には重要である。 終わりに 初めはロシアのアルコール問題について調べていたのが、次第にアルコール文化や社会状況が飲酒に及ぼす影響について興味が行くようになり、時代ごとの政策やアルコールそのものに関してではない伝統的な男女の役割への観念などがその文化・社会に属している個人の飲酒に深く関わっていること、そして今でもそれらが飲酒に対して影響力を持っていることが分かった。 国の政府が財源を確保するためにアルコール飲料の生産・消費を奨励してきたというのは話には聞いたことがあったが、それがアルコール問題にどれほどの影響を及ぼしたか、ということは実感としてなかった。しかし実際に調べてみて、政府が政策によって国民の間にアルコール消費を広めていったことや、その結果飲酒の日常化でアルコール問題が深刻化し逆に政府が対策を迫られる事態になったこと、一度広まってしまったアルコール飲料を規制しようとしても難しいことが分かり、アルコール消費と社会政策とのつながりの大きさが興味深かった。 また調べてみて意外に感じたのは伝統的なジェンダーの役割、「男らしい」「女らしい」という考えが飲酒にも影響していることだった。男性が一気飲みや大量飲酒をして騒いだり、家で酒を飲んでストレスを解消しようとしたりするのには「男らしさ」の考え方が関わってきているのだろうとは予想できたことだが、逆に女性があまり飲酒をしないことに「女が酒を飲んで酔っ払うなんてみっともない」という女性の飲酒に対して社会が非寛容的であるということが影響していることは、調べてみるまで気付かなかった。確かに、家でも外でも女性が泥酔するほど飲んだり騒いだりしているのは珍しいと感じたり、「キッチンドリンカー」という言葉にも女性のアルコール依存症を特殊なものと見ているような印象がある。しかし今まで自分はそれに違和感を覚えることなく、「男性が酒を飲むのは普通だが女性が酒を飲むのは珍しい」という男女の区別を当たり前のようにしていたことに初めて気付いた。現代では伝統的なジェンダーの役割、考え方が変化しつつあり、女性が飲酒をすることも増えているが、自分自身でも気付かないほどに文化的・社会的男女差への考え方は今でも根深いのだということを改めて感じた。 最後に、アルコール問題の発生には個人の要因だけではない文化や社会状況などの社会的要因があること、アルコール問題を予防するにはそれら社会的要因の存在を自覚し、社会全体が取り組まなければならないことだというのが分かった。飲酒の問題というと個人に原因を求めるような社会的傾向があるが、飲酒が社会的行動でもあるということ、個人の飲酒には社会からの影響があることが認知され、アルコール依存症などアルコールに関わる問題で苦しんでいる人が救済されやすい社会になるよう変わっていきたいと思う。 表 1 過去6年間のアルコール飲料の生産量推移(単位100万g)
―ロシア連邦国家統計庁― 表 2アルコール飲料の販売量(単位100万g)
―Russian Figures 2004― 遠藤洋子『いまどきロシアウォッカ事情 ユーラシア・ブックレット89』(2006)東洋書店 42頁
NBonline(日経ビジネスオンライン)「ロシアの人口減少は日本より深刻」(http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20060621/104822/) 表 4
表 5
表 6
表 7
表 8 Heavy episodic drinkers
World Health
Organization「Global
Information System on Alcohol and Health Data query」 (http://www.who.int/globalatlas/DataQuery/default.asp) 表 9
社会データ実情図録「ロシアの平均寿命の推移」(http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/8985.html) 表 10 社会実情データ図録「ロシアの平均寿命の推移」(http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/8985.html) 表 11 MSN産経ニュース「【新せかい百科】ロシア発 自殺率高い旧ソ連諸国」(http://sankei.jp.msn.com/world/europe/071120/erp0711200837001-n1.htm) 表 12 社会実情データ図録「主要国の自殺率長期推移」(http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2774.html) 表 13
表 14
表 15
表 16
表 17
World Health
Organization「Global
Information System on Alcohol and Health Data query」(http://www.who.int/globalatlas/DataQuery/default.asp) 表 18 世界実情データ図録「主要国の離婚率推移(1947年〜)」(http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/9120.html) 表 19 社会実情データ図録「ロシアの平均寿命の推移」 (http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/8985.html) 参考・引用文献 遠藤洋子『いまどきロシアウォッカ事情 ユーラシア・ブックレット89』(2006)東洋書店 井本沙織『ロシア人しか知らない本当のロシア』(2008)日本経済新聞出版社 Tanya Jukkala,Ilkka Henrik Mäkinen,Olga Kislitsyna,Sara Ferlander,Denny Vågerö(2008)「Economic strain, social relations,gender,and binge drinking in Moscow」『Social Science & Medicine』66 小林和夫『1プードの塩 ロシアで出会った人々』(2007)日本放送出版協会 小林和夫『モスクワ特派員物語 エルミタージュの緞帳』(2001)日本放送出版協会 小町文雄『ロシアおいしい味めぐり』(2004)勉誠出版 沼野充義/沼野恭子『世界の食文化−R ロシア』(2006)農山漁村文化協会 David A Leon,Ludmila Saburova,Susannah tomkins,evgueny Andreev,Nikolay kiryanov,Martin McKee, Vladimir Mshkolmikov(2007)「Hazardous alcohol drinking and premature mortality in Russia:a population based case-control study」『THE LANCET』vol 369 清水新二『アルコール関連問題の社会病理学的研究 文化・臨床・政策』(2003)ミネルヴァ書房 ロバート・アーネスト・フレデリック・スミス/デーヴィド・クリスチャン著 鈴木健夫/豊川浩一/斎藤君子/田辺三千広訳『パンと塩 ロシア食生活の社会経済史』(1999)平凡社 ジャン=シャルル・スールニア著 本多文彦監訳/星野徹・江島宏隆訳『アルコール中毒の歴史』(1996)法政大学出版局 ジェリー・スティムソン/マーカス・グラント/マリー・ショケ/プレストン・ギャリソン著 新福尚隆監修『飲酒文化の社会的役割 様々な飲酒形態、規制が必要な状況、関係者の責任と協力』(2007)アサヒビール株式会社 高田和夫(2003)「近代ロシア社会再考(続)」『比較社会文化:九州大学大学院比較社会文化研究科紀要vol.9』 米原万里『ロシアは今日も荒れ模様』(1998)日本経済新聞社 全日本断酒連盟「アルコール依存症と自殺(自殺対策意見交換会記録)」(2008)『かがり火』平成20年7月号別冊(pdfファイル)(http://www.dansyu-renmei.or.jp/news/pdf/0807_alcoholism_suicide.pdf) 社会実情データ図録(http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/index.html) World Health Organization世界保健機構ホームページ(http://www.who.int/en/) 世界市場紀行ワールドバザール21 各国いまどき報告 ロシア「殺人ウォッカ?」(http://www.e384.com/imadoki/index.htm) энциклопедия кругосвeт(百科事典krugosvet)(http://www.krugosvet.ru/) healthクリック(http://www.health.ne.jp/index.html) 謝辞 卒業論文を指導してくださった文学部社会福祉学科の橋本明先生、ロシアの情報を提供してくださった外国部学部の加藤史朗先生、いろいろな意見を出してくれた橋本ゼミの学生の皆さんに、心から感謝いたします。 |
脚注
[i] ロバート・アーネスト・フレデリック・スミス/デーヴィド・クリスチャン著
鈴木健夫/豊川浩一/斎藤君子/田辺三千広訳『パンと塩 ロシア食生活の社会経済史』(1999)平凡社 393−394頁
[ii] 同上109−110頁
[iii] 同上112−114頁
[iv] 遠藤洋子『いまどきロシアウォッカ事情 ユーラシア・ブックレット89』(2006)東洋書店 3−5頁
[v] 沼野充義/沼野恭子『世界の食文化−R ロシア』(2006)農山漁村文化協会99−100頁
[vi] 上掲『パンと塩 ロシア食生活の社会経済史』190−191頁、203頁
[vii] 同上284−287頁
[viii] 同上308頁
[ix] 同上325−326頁
[x] 同上443−445頁
[xi]上掲『いまどきロシアウォッカ事情 ユーラシア・ブックレット89』41頁
[xii] 上掲『世界の食文化−R ロシア』110−111頁
[xiii] 上掲『パンと塩 ロシア食生活の社会経済史』405−408頁
[xiv] 上掲『世界の食文化−R ロシア』111頁
[xv] 同上112−113頁
[xvi] 同上115頁
[xvii]上掲『パンと塩 ロシア食生活の社会経済史』398−399頁
[xviii] 同上317頁
[xix] 同上319頁、321−325頁
[xx] 同上326頁
[xxi]上掲『世界の食文化−R ロシア』117頁
[xxii] 同上108−109頁
[xxiii]上掲『パンと塩 ロシア食生活の社会経済史』111−112頁
[xxiv] 同上115−116頁
[xxv] 同上118−121頁
[xxvi] 同上123頁
[xxvii] 同上144頁
[xxviii] 同上216頁
[xxix] 同上240−241頁
[xxx] 同上196頁
[xxxi] 同上430-433頁
[xxxii] 同上69頁、73頁
[xxxiii] 同上284頁
[xxxiv] 同上434−438頁
[xxxv] 同上440頁
[xxxvi]米原万里『ロシアは今日も荒れ模様』(1998)日本経済新聞社 79頁
[xxxvii] 高田和夫(2003)「近代ロシア社会再考(続)」『比較社会文化:九州大学大学院比較社会文化研究科紀要vol.9』97頁
[xxxviii] 上掲『いまどきロシアウォッカ事情 ユーラシア・ブックレット89』18頁
[xxxix] 上掲『ロシアは今日も荒れ模様』24−25頁
[xl] 上掲『パンと塩 ロシア食生活の社会経済史』220−229頁
[xli] 同上445頁
[xlii] 同上413−416頁
[xliii] 同上426頁
[xliv] 同上428頁
[xlv] 上掲『いまどきロシアウォッカ事情 ユーラシア・ブックレット89』20頁
[xlvi]小町文雄『ロシアおいしい味めぐり』(2004)勉誠出版179頁
[xlvii]小林和夫『1プードの塩 ロシアで出会った人々』(2007)日本放送出版協会 86頁
[xlviii] 同上87頁
[xlix] 上掲『いまどきロシアウォッカ事情 ユーラシア・ブックレット89』12頁
[l] ジェリー・スティムソン/マーカス・グラント/マリー・ショケ/プレストン・ギャリソン著 新福尚隆監修『飲酒文化の社会的役割 様々な飲酒形態、規制が必要な状況、関係者の責任と協力』(2007)アサヒビール株式会社 115頁
[li] 小林和夫『モスクワ特派員物語 エルミタージュの緞帳』(2001)日本放送出版協会 242−243頁
[lii]上掲『ロシアは今日も荒れ模様』66−68頁
[liii] 上掲『飲酒文化の社会的役割 様々な飲酒形態、規制が必要な状況、関係者の責任と協力』115頁
[liv] 上掲『モスクワ特派員物語 エルミタージュの緞帳』242頁
[lv] 上掲『ロシアは今日も荒れ模様』74−75頁
[lvi] 上掲『ロシアおいしい味めぐり』178−179頁
[lvii]井本沙織『ロシア人しか知らない本当のロシア』(2008)日本経済新聞出版社108−109頁
[lviii] World Health Organization『Mortality Country Fact Sheet2006 Russian Federation』(http://www.who.int/whosis/mort/profiles/mort_euro_rus_russianfed.pdf)
[lix] 上掲『ロシア人しか知らない本当のロシア』112−113頁
[lx] 社会実情データ図録「ロシアの平均寿命の推移」(http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/8985.html)
[lxi] 全日本断酒連盟「アルコール依存症と自殺(自殺対策意見交換会記録)」(2008)『かがり火』平成20年7月号別冊(pdfファイル)(http://www.dansyu-renmei.or.jp/news/pdf/0807_alcoholism_suicide.pdf)
[lxii]社会実情データ図録「自殺率の国際比較」
(http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2770.html)
World Health Organization「Global Information System on Alcohol and Health
Data query『Suicide and Alcohol』」(http://www.who.int/globalatlas/DataQuery/default.asp)
[lxiii]「Weekend effects on binge drinking and
homicide: the social connection between alcohol and violence in Russia.」『Pridemore WA.』 Addiction, 2004,
99(8):1034-1041.
*World Health Organization「Global Information
System on Alcohol and Health
Data query『Homicide
and alcohol use』」(http://www.who.int/globalatlas/DataQuery/default.asp)に引用がある
[lxiv] 世界市場紀行ワールドバザール21 各国いまどき報告 ロシア「殺人ウォッカ?」(http://www.e384.com/imadoki/index.htm)
[lxv] David A Leon,Ludmila Saburova,Susannah tomkins,evgueny Andreev,Nikolay kiryanov,Martin McKee, Vladimir Mshkolmikov(2007)「Hazardous alcohol drinking and premature mortality in Russia:a population based case-control study」『THE LANCET』vol 369 2001−2009頁
[lxvi] энциклопедия кругосвeт(百科事典krugosvet)「АЛКОГОЛИЗМ (alcoholism)」(http://www.krugosvet.ru/articles/117/1011774/1011774a1.htm)
[lxvii] 上掲『ロシア人しか知らない本当のロシア』112−113頁
[lxviii] 同上109頁
[lxix] 同上110頁
[lxx] 同上117頁
[lxxi] 同上122頁
[lxxii] 同上122−123頁
[lxxiii] Tanya Jukkala,Ilkka Henrik Mäkinen,Olga Kislitsyna,Sara Ferlander,Denny Vågerö(2008)「Economic strain, social relations,gender,and binge drinking in Moscow」『Social Science & Medicine』66 663-674頁
[lxxiv] 上掲「Hazardous alcohol drinking and premature mortality in Russia:a population based case-control study」2004頁
[lxxv] 上掲『飲酒文化の社会的役割 様々な飲酒形態、規制が必要な状況、関係者の責任と協力』45頁
[lxxvi] healthクリック「薬としてのお酒の効用は大きい」(http://www.health.ne.jp/library/0600/w0600033.html)
[lxxvii] 上掲『飲酒文化の社会的役割 様々な飲酒形態、規制が必要な状況、関係者の責任と協力』18−22頁
[lxxviii] 同上40−41頁
[lxxix] 上掲『世界の食文化−R ロシア』110頁
[lxxx]上掲『飲酒文化の社会的役割 様々な飲酒形態、規制が必要な状況、関係者の責任と協力』40−41頁
[lxxxi] 同上35−36頁
[lxxxii]清水新二『アルコール関連問題の社会病理学的研究 文化・臨床・政策』(2003)ミネルヴァ書房 216−230頁
[lxxxiii]同上201−210頁
[lxxxiv]ジャン=シャルル・スールニア『アルコール中毒の歴史』(1996)法政大学出版136頁
[lxxxv] 上掲『アルコール関連問題の社会病理学的研究 文化・臨床・政策』205−207頁
[lxxxvi] 上掲『飲酒文化の社会的役割 様々な飲酒形態、規制が必要な状況、関係者の責任と協力』36−37頁
[lxxxvii] 上掲『アルコール中毒の歴史』54頁
[lxxxviii] 同上31頁
[lxxxix]上掲『飲酒文化の社会的役割 様々な飲酒形態、規制が必要な状況、関係者の責任と協力』44頁
[xc] 同上38頁
[xci] 同上
[xcii] 上掲『ロシア人しか知らない本当のロシア』113頁
[xciii] 上掲『アルコール関連問題の社会病理学的研究 文化・臨床・政策』382−383頁
[xciv]上掲『飲酒文化の社会的役割 様々な飲酒形態、規制が必要な状況、関係者の責任と協力』117−129頁
[xcv]上掲『アルコール関連問題の社会病理学的研究 文化・臨床・政策』386−388頁